ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

野津田岳人

のつだがくと

広島県広島市西区出身のプロサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー(MF)。日本代表。
目次 [非表示]

概要編集

1994年6月6日生まれ。

幼稚園の頃から地元クラブのシーガル広島FCでプレーし、小学生年代6年生のときにはキャプテンを務めた。

2007年、サンフレッチェ広島ジュニアユースに入団する。2008年、JFAプレミアカップ決勝進出に貢献している。

2009年からユースに参加し、2010年正式にユースに昇格する。同年高1のときからレギュラーに抜擢され、2011年高校2年時にはチームの中心選手となり、高円宮杯3連覇(第21回高円宮杯・2011年高円宮杯プレミア・2012年高円宮杯プレミア)に貢献、自身もチャンピオンシップで2度MVP(2011年・2012年)を受賞した。FUJI XEROX SUPER CUP NEXT GENERATION MATCHでは2年連続でU-18Jリーグ選抜に選ばれている。吉田靖率いるU-19日本代表には初期から選ばれている。

2011年高2からトップチームに2種登録選手として登録され、2012年高3時も引き続き登録された。この年から就任した森保一監督に評価され、同年3月にJ1デビューを果たした。

2013年トップチームに昇格、背番号は前年シーズンに森脇良太が着用していた「24」。同期入団に朴亨鎮・浅野拓磨[・金廷錫がいる。2016シーズンより背番号が「17」に変更。

2016年3月29日にオリンピック出場を目指すために出場機会を求め、アルビレックス新潟へ期限付き移籍する事が発表された。4月16日 ナビスコカップ第3節VS川崎フロンターレとの試合で新潟デビュー。

2017年、清水エスパルスに期限付き移籍で加入したが、8月7日にベガルタ仙台に期限付きで移籍することが発表された。9月10日、第25節のサガン鳥栖戦で移籍後初得点を決めた。12月28日、仙台から期限付き移籍期限延長が発表され、2018年も引き続き仙台でプレー。

2019年シーズンより広島に復帰。背番号は、2016年シーズンまで森崎浩司が着用し憧れのあった「7」にし、3-6-1のシャドーのポジションで開幕スタメンを果たす。

2021年、ヴァンフォーレ甲府に期限付き移籍。プロ入り後初めてとなるJ2クラブでのプレーとなった。シーズン序盤からスタメンに定着、リーグ全42試合のうち35試合でスタメン出場し2得点をマークした。

2022シーズンからサンフレッチェ広島に復帰。このシーズンからチームを率いたミヒャエル・スキッベ監督の評価が良く、ボランチやアンカーでスタメン定着した。5月28日、名古屋グランパス戦で自身の7年ぶりとなる広島でのゴールを決めた。このゴールはKONAMI月間最優秀ゴールとなった。このシーズンでは3得点を記録した。

2024年夏、タイ・プレミアリーグのBGパドゥム・ユナイテッドFCに移籍。

日本代表編集

吉武博文率いるU-16日本代表候補にも選ばれていたが、最終的には落選し、2011 FIFA U-17ワールドカップ出場は叶わなかった。

U-21日本代表からは常連メンバーになって中島翔哉と矢島慎也らとともに2014年アジア競技大会では中盤のレギュラーとして活躍したもののその後のリオデジャネイロ五輪のメンバーに入ることは叶わずバックアップメンバーにとどまった。

A代表には長年縁がなかったが、EAFF E-1サッカー選手権2022に出場する国内組(Jリーグ)のみで構成される日本代表に初めて選出された。

関連タグ編集

サッカー選手

関連記事

親記事

サッカー選手 さっかーせんしゅ

兄弟記事

pixivに投稿されたイラスト pixivでイラストを見る

このタグがついたpixivの作品閲覧データ 総閲覧数: 2

コメント

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました