概要(基本プロフィール)
同門には佐藤康光九段がいる。
棋歴
年度 | 主な成績 |
---|---|
1981年度 | 12月に田中魁九段門下として6級で奨励会に入会。 |
1985年度 | 6月、17歳9ヶ月の若さで四段昇段(プロ入り)。 |
1993年度 | 第12回全日本プロ将棋トーナメント決勝三番勝負で中田宏樹六段に3勝2敗で勝利し、自身初の全棋士参加棋戦優勝を果たした。 |
2000年度 | 第20回オールスター勝ち抜き戦を5連勝を果たし、棋戦優勝。 |
2002年度 | 第15期竜王戦挑戦者決定トーナメントでは佐藤康王将、藤井猛九段ら歴代竜王を破り活躍。挑決三番勝負で中田七段に2勝1敗で勝利し、自身初のタイトル挑戦を決める。羽生善治竜王との七番勝負は3勝4敗のフルセットの末、惜敗。 |
2005年度 | 第64期B級1組順位戦では8勝4敗2位成績で自身初のA級昇級を決める(同時昇級は深浦康市八段)。 |
2020年度 | 7月、第33期竜王戦5組昇級者決定戦で藤倉勇樹五段に勝利。八段昇段後250勝の規定を満たし九段に昇段した。 |
棋戦優勝履歴
八大タイトル戦(登場予定も含む)
☆は永世称号資格保持
計0期(登場1回)
一般棋戦
棋戦名 | 優勝回数 |
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全日本プロ将棋トーナメント | 1回 (1993年度) |
オールスター勝ち抜き戦 | 1回 (5連勝-1992年度) |
計2回
余談
- 順位戦で苦労した棋士である。他棋戦では活躍する一方、A級に昇級するまでにC級2組には5年、C級1組には6年、B級2組には4年、B級1組には5年在籍していた。苦労して上がったA級もわずか1期で降級の憂き目にあっている。
- 四段から九段まで全て勝数規定で昇段した棋士である。そのため、通算成績は800勝を超えており、2020年に九段へ昇段するまでに800勝超えながら九段に昇段していなかったのは阿部のみである。
- 持ってない人といわれる部分とともに、喜怒哀楽の激しい人物として知られる。人はそれを「仏の阿部」または「鬼の阿部」と呼び、ジキルハイドのような人物である。勝負に勝って機嫌がいいときは終始笑顔で感想戦を遠慮深そうに語るのに対し、負けたときは「こんなんこっちの勝ちや」とひたすら毒を吐いて、あまりに不甲斐ない時は感想戦もボイコットしたりするほど。
- それでもファンは大切にしており、ファンサービスは旺盛なことでも知られ、関西では根強いファンも多いなど浪花節的な一面も持つ。
関連タグ
羽生善治・・・デビュー当時はライバルと目され、将棋雑誌で「天才少年激突三番勝負」という企画が行なわれた(結果は羽生の2連勝)。