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3750形

さんぜんななひゃくごじゅうがた

鉄道車両の形式名のひとつ。本項では名古屋鉄道に在籍した3750形を中心に記載する。
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概要編集

1948年8月に太田川駅隣接の太田川車庫(1985年廃止)で発生した火災で被災した知多鉄道由来のモ910形914、愛知電気鉄道由来のモ3300形3301・3304の復旧を目的に、機器類を流用して新造したAL車3800系に準じた車体と組み合わせた車両。

車体は3800系と同型の運輸省規格型車体だが足回りは種車由来の手動加速制御のHL車である。

製造は名古屋市にあった日本車輌製造本店。

足回りを除けば3800系と全く同型の車体であるが、同時期に製造された3800系が押込式ベンチレーターを装備していたのに対しガーランド型ベンチレーターを装備している。


当初制御装置は電動発電機を使用するHB式を採用していたが、1951年に従来車と同じHL式に改造されている。

1954年にはモ3751・3752の2両が東洋電機製造カルダン駆動装置の実用試験車に改造され、SR車初代5000系の導入に必要なデータ収集に使用された。

TD継手式中空軸並行カルダン駆動は日本の狭軌鉄道では初採用であった。制御装置も電磁単位スイッチ式自動加速制御器に交換された。

改造後は戦時急造の木造車ク2080形ク2081と3両編成で運行された。

1961年にモ3752の主電動機が故障し、モ3751と2両編成を組んで制御車代用となった。1963年に正式に電装解除と制御車への車種変更を行い、ク2751となった。同時期にモ3751も元のHL仕様の足回りに戻されている。それぞれの履いていた台車は3700系ク2700形ク2702・2704に流用された。

1965年に当時増備が進行していた3730系の車両番号枠を確保するため形式名をモ3750形はモ3250形へ、ク2750形はク2250形へと改めた。同時に車体改修工事が施工され窓下のウィンドウシルが埋め込まれたほか、モ3750形に関しては高運転台化改造も行われた。


1967年には3780系の新造に際して機器を供出するために全車電装解除を行い、全車がサ2250形となった。同時に台車も供出されたために廃車となった電気機関車由来の台車へ交換している。サ2251はデキ370形、他2両はデキ300形から流用したとされる。

付随車化と同時にドアエンジンを撤去して手動ドア化され、客車代用として築港線で電気機関車にプッシュプルされる形で運用されたが、1969年に全車廃車となり形式消滅した。


廃車後サ2251は撤去した前照灯やマスコン、ブレーキハンドルなどを再設置し、現役時代には纏うことがなかった名鉄スカーレット色に塗装されて静岡県の療護施設「ねむの木学園」へ譲渡された。


その他の事業者の3750形編集

鉄道省セム3750形編集

現在の日田彦山線の一部の前身にあたる小倉鉄道が110両を導入したセム1形が前身。1943年5月の国有化に際し鉄道省セム1形との重複を避けるために改称した。

鉄道省でもあまり例の無い形式番号であるがすでに鉄道省にセム3700形が在籍していたためとされている。

1943年7月には産業セメント鉄道(現在の後藤寺線および平成筑豊鉄道糸田線の一部)のセム1形3両・セムフ1形1両も編入された。

1947年に特別廃車の対象形式に指定され、1955年までに全車廃車となり形式消滅した。


北陸鉄道3750形編集

北陸鉄道加南線向けに導入した5000形を石川総線に転属するにあたり、石川総線に導入された3700形(元名鉄700形)と仕様を統一するため機器類をAL車の廃車発生品に交換した車両。

詳細は5000形を参照。


関連タグ編集

名古屋鉄道 HL車


3700形 3800形

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