路線データ
路線名 | 後藤寺線 |
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路線記号 | JJ |
ラインカラー | 紫 |
路線区間 | 新飯塚〜田川後藤寺 |
路線距離 | 13.3km |
軌間 | 1,067mm |
駅数 | 6駅 |
非電化区間 | 全線 |
単線区間 | 全線 |
最高速度 | 85km/h |
閉塞方式 | 特殊自動閉塞式(軌道回路検知式) |
保安装置 | ATS-DK/ATS-SK |
大都市近郊区間 | 福岡近郊区間:全線 |
ICカード乗車券エリア※ | SUGOCA福岡・佐賀・大分・熊本エリア:新飯塚 |
第一種鉄道事業者 | 九州旅客鉄道(JR九州) |
※途中下車不可。通過利用のみ。
概要
新飯塚駅(福岡県飯塚市)と田川後藤寺駅(田川市)を結ぶ九州旅客鉄道(JR九州)の鉄道路線で、地方交通線。
全長13.3kmと非常に短い路線だが、筑豊の主要都市である飯塚市と田川市の短絡ルートとして機能している。元は筑豊炭田で採掘された石炭や石灰石を輸送するための貨物線であった。かつては運炭の為の貨物支線が存在したが、いずれも石炭産業の衰退と共に廃止されている。
全線が大都市近郊区間の福岡近郊区間に設定されている。交通系ICカード乗車券「SUGOCA」の福岡・佐賀・大分・熊本エリア内だが、新飯塚駅以外は対応していない。その為新飯塚駅〜日田彦山線城野駅間を途中下車せず通過利用する場合に限りICカード乗車券を利用出来る特例が設けられている。
なお日田彦山線添田駅〜夜明駅〜日田駅間が不通になる以前は、新飯塚駅〜久大本線(ゆふ高原線)善導寺駅/向之原駅間でも同様の措置が取られていた。
沿革
開業〜後藤寺線統合まで
三区間に分けて開業した。
最初に開業したのは後藤寺駅(現・田川後藤寺駅)〜(貨)起行駅(廃止)間。1897年(明治30年)10月20日に豊州鉄道の路線として開業した。
1901年(明治34年)9月3日:九州鉄道が豊州鉄道を吸収合併し同社の路線となる。
翌1902年(明治35年)6月15日には山野分岐点(現・新飯塚駅構内)〜(貨)上三緒駅〜(貨)山野駅(後の筑前山野駅。廃止)間が開業。
1907年(明治40年)7月1日には鉄道国有法に基づき九州鉄道が国有化され、1909年(明治42年)10月12日には国有鉄道線路名称制定に伴い山野分岐点〜山野駅間を筑豊本線貨物支線、後藤寺駅〜(貨)起行駅間を田川線(現・平成筑豊鉄道田川線)貨物支線とされた。
1913年(大正2年)8月20日には筑豊本線貨物支線の上三緒駅〜(貨)漆生駅間が延伸したが、1920年(大正9年)5月10日にこの区間を含む芳雄駅(現・新飯塚駅)〜漆生駅/山野駅間を漆生線として分離された。同日漆生線本線で旅客営業を開始し、山野分岐点はこの日開業した芳雄駅の構内に編入された。
1922年(大正11年)2月5日には九州産業鉄道により(貨)起行駅〜(貨)船尾駅間が開業。1926年(大正15年)7月15日には九州産業鉄道船尾駅〜赤坂駅(現・下鴨生駅)間延伸及び貨物支線赤坂駅〜(貨)赤坂炭坑駅間が開業した事で現在の後藤寺線に相当する区間が全線開通した。同日起行駅〜船尾駅間の旅客営業が開始された。
1933年(昭和7年)10月6日には九州産業鉄道が産業セメント鉄道に改称された。
後藤寺線統合〜国鉄分割民営化まで
1943年(昭和18年)7月1日に産業セメント鉄道を国が買収して国有化。同日漆生線の本線新飯塚駅〜赤坂駅間・貨物支線上三緒駅〜筑前山野駅間及び赤坂駅〜赤坂炭坑駅間、旧産業セメント鉄道区間、田川線貨物支線が後藤寺線として分離・統合された。
しかし1945年(昭和20年)6月10日には赤坂炭坑駅への支線が、1964年(昭和39年)2月25日には筑前山野駅への支線がそれぞれ廃止された。更に石炭産業衰退のみならず鉄道貨物輸送の衰退もあり、1982年(昭和57年)11月15日には後藤寺線開業当初からある(貨)起行駅が廃止された。
国鉄民営化以降
1987年(昭和62年)4月1日、国鉄民営化に伴いJR九州が第一種鉄道事業者として路線を継承。同日全線での貨物営業が廃止された。
以降は筑豊のローカル線として細々と営業を続けている。
2009年(平成21年)3月1日にはJR九州にSUGOCAが導入されたが、後藤寺線では新飯塚駅以外で利用出来ず、前述の通りエリア内通過利用時に限り利用できるとされた。
2018年(平成30年)3月28日には駅ナンバリングが設定された。
運行形態
朝に1本下り新飯塚発田川後藤寺行ノンストップの快速が運行されている他は全て普通列車で、ワンマン運転が行われている。
毎時1本、ラッシュ時には2本設定されており、途中駅発着の列車は無い。
駅一覧
●:停車 レ:通過 ※快速は下りのみ運行
廃止駅
廃止区間
貨物支線(上三緒〜筑前山野)
1964年(昭和39年)2月25日廃止。
貨物支線(赤坂〜赤坂炭坑)
1945年(昭和20年)6月10日廃止。
使用車両
全て直方車両センター所属の気動車。
現在の使用車両
国鉄時代から使用され、ワンマン化対応が施されている。
過去の使用車両
- キハ31形(メイン画像)
大分車両センター及び鹿児島車両センターからの転属車。
2006年(平成18年)から使用されていたが2017年(平成29年)に予備車となり、2018年(平成30年)に運用を離脱した。