概要
埼玉県の高校在学時に軽音部の仲間で結成、大学進学後の1997年から本格的に活動を開始。
1999年にヴォーカルが脱退、現在のスリーピースの形になり、下北沢を拠点に活動。
バンド名に深い意味はないらしいが、一般的には「気難しい人」の意で使われる。前ヴォーカルによる命名。
ACIDMANの前身となるバンドの名が文字どおり「LSD」だったことから、LSDの通称も踏まえた命名だと考えられる。
ただし、LSDは、「Lonely Scribe of Dreamer」(夢見る男達の悲しい落書き)のダブルミーニングだったそうだ。
メンバー
オオキ ノブオ(大木伸夫、B型、1977年8月3日生) ボーカル・ギター
通称「大木」「ノブオ」。身長180cm。体重67kg
埼玉県川越市出身。
作詞作曲のほとんどを担当。
サトウ マサトシ(佐藤雅俊、A型、1977年4月7日生) ベース・コーラス
通称「佐藤」「サトマ」。身長169cm。体重52kg。
埼玉県富士見市出身。
他のメンバーに比べて寡黙であるがライヴではアジテイターを務める事が多い。
ウラヤマ イチゴ(浦山一悟、B型、1978年3月27日生) ドラムス・コーラス
通称「イチゴ」「イッちゃん」「仙人」「ロッキー」「ニット」。身長174cm。体重75kg
埼玉県所沢市出身。東京海洋大学卒業。既婚。
※『Loop』までは、メンバーの表記を片仮名にしていた。それ以降、『A beautiful greed』まで漢字に表記を変えていた。
しかし、A beautiful greedツアー終了後、メンバー全員の表記を片仮名に戻した。
大木が薬剤師免許を持つ事もあってか、「コロイド」「シナプス」など化学的、生物学的な単語も多く用いられる。
また、「サールナート(仏教の八大聖地の一)」・「イエス」・「ルルド」などの宗教用語、「ノルド」・「ハルシュタット」などの古代ヨーロッパ文化関連用語なども用いられており、「green chord」以降は終末観と生命の対比を色濃くしている。
静と動を生かしたロックサウンド、美しい旋律をエモーショナルに歌い上げるヴォーカルが特徴。
また、パワーポップ、ガレージ、パンク、ジャズ、ボサノヴァ、ファンク、R&Bなど、様々な音楽の要素を取り入れている。
当初はスリーピースのみによる表現に拘っていたが、「季節の灯」以降はストリングスの導入も試み、スタイルの幅を広げている。
既存の曲を大幅にアレンジした「second line」では、メンバー以外にゲストミュージシャンも招聘している。
メジャーデビュー以降の全楽曲が作曲、編曲はバンド名義でクレジットされている。
しかし例外的に、アルバム『ALMA』では大木がほとんどの作曲と表記されている。
アルバムを作る度に解散の危機に瀕していたが、「and world」のレコーディング終了直後に、大木が東京スカパラダイスオーケストラのメンバーに飲みに連れて行ってもらったことをきっかけに、バンド内の雰囲気がガラッと良くなった。大木曰く「全員泣いた」とのこと。
映像に対してもこだわりが強く、ミュージックビデオはプロモーションビデオの枠を超えた映像作品として高く評価され、2004年には『彩-SAI-(前編)/廻る、巡る、その核へ』(ディレクター:西郡勲)で第8回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門優秀賞を受賞。
また、映像とライヴを融合した「Cinema」というイベントをこれまで4回主催している。
第17回(2003年)ゴールドディスク大賞の「ニューアーティスト・オブ・ザ・イヤー」の10人のうちの1人に選ばれる。
バンド以外の活動として総合格闘家の須藤元気の歌手活動のプロデュースを行う。
メンバーと須藤は同い年で親交が深く、須藤の著書『幸福論』の帯には大木がコメントを添えている。
また、土屋アンナのアルバムにも演奏とアレンジで参加。
2007年に、ワンマンライブツアー『ACIDMAN LIVE TOUR "green chord"』の最終公演において、単独で初の武道館公演を行なった。
以前には、2004年の「ASIAN KUNG-FU GENERATION presents NANO-MUGEN FES」、
2005年の「SPACE SHOWER Music Video Awards」で計二回出演している。
地上波への露出は比較的少ない。
ショートムービーDVD『JAM FILMS2』の中の「机上の空論」に喫茶店の客として大木と佐藤が出演している。
なお、この作品の監督である小島淳二は『今、透明か』から『リピート』までACIDMANのPVの監督を務めていた。
2007年9月から10-FEET、RIZEの2グループと全国6都市を回るライブツアー「Trinity Trip」を行った。
(wikipedia抜粋)