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曖昧さ回避

  1. パンクチャー(puncture)の略。タイヤの空気が抜けること。
  2. 1970年代に登場したロック音楽の一種。ロックンロール回帰を志向し、簡潔でアップテンポで攻撃的なのが特徴。→ パンクロック
  3. 音楽を始めとした文化のムーブメント。
  4. パンク・バンド及びそのオーディエンスに源流を発するファッション。→ パンクファッション
  5. ロックマンシリーズのキャラクター。→パンク(ロックマン)
  6. 電話インターネットなど通信機器の回線切れのこと。
  7. 不良のパンクファッションのこと。
  8. ProjectDIVAシリーズにおける初音ミクモジュールの一つ。

文化としての「パンク」

'60年代のガレージ・ロック、ビート・ロックの影響を受けながら'70年代に巨大化した音楽産業へのアンチ・テーゼとして社会運動化した。

→「パンクロック」の記事へ

音楽のジャンル、ファッション、スタイルに囚われず、反社会的な姿勢そのものを総称してパンクと呼ぶ場合もある。

音楽の1ジャンルとしてのパンクと、生き方としてのパンクとに意味が分かれる理由には、イギリスにはアメリカ発の「ファッション」として伝えられ「流行」したという点が大きかった。

歴史

パンクという言葉がアメリカで使われ始めたのは1950年代と言われている。

パンクロックはアメリカのザ・ストゥージズMC5ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのようなニヒリスティックな音にルーツを持ち、1974年頃からパティ・スミステレヴィジョンラモーンズトーキング・ヘッズブロンディ等がシーンを形成したが、音楽性ファッションもバラバラであった。

パンクを世界的流行にしたのはイギリスでのムーヴメントによるところが大きいだろう。それまで主流であったハードロックなどは高度な技術を見せびらかすだけになって不満を持つ若者たちとは乖離し、粗削りなパブ・ロックなどに注目が集まるなど下地が出来ていた。そこに登場したのが技術的には稚拙でも奔放で激しいパンクであった。

1974年、ニューヨークニューヨーク・ドールズのマネージャーを務め、ニューヨーク・パンクに影響を受けたマルコム・マクラーレンは、ロンドンに戻ると所有するブティックの店名を「SEX」に変え、「ニューヨーク最先端のパンクファッション」なる物の販売を開始。

「SEX」の宣伝のため、店の常連ゴロツキたちのバンド「スワンカーズ」にジョニー・ロットンらを加入させ、メンバーにはテレヴィジョンのリチャード・ヘルの恰好を模したファッションでキメさせ、バンド名は「セックス・ピストルズ」とした。

彼らのテクニックを無視した演奏スタイル/ステージ・パフォーマンス/ファッション/そして歌詞に込められた政治に対する批判や反抗精神は同世代のフラストレーションに火をつけ、圧倒的支持を得た。

その後、雨後の筍のようにこれらの後追いバンドが大量に登場。一気に時代のメインストリームへと踊りでた。しかしあまりにも急速に広がり過ぎたために空洞化が著しく、単に「パンクとさえ名乗っておけば売れる」といった志の低いバンドも多数存在した。そのためにパンクムーブメントは短期間で失速する。

1978年、ニューヨーク・パンクのシーンの後のニューヨークにはコントーションズDNAリディア・ランチソニック・ユーススワンズ等がシーンを形成し、ブライアン・イーノがプロデュースしたコンピレーションアルバムノー・ニューヨーク」からノー・ウェイヴと呼ばれ、この頃日本から渡ってきてコントーションズ等に参加したレックチコ・ヒゲは、帰国後にフリクションを結成した。

西海岸では、ブラック・フラッグやデッド・ケネディーズといったコマーシャルなラジオに激しい敵意をもったバンドがカルト的な人気を集めていた。

その頃、イギリスはパンク・リバイバルの時代に入り、パンクのロックンロール色を排して暴力性や攻撃性を強調したエクスプロイテッドディスチャージミドルクラス等がハードコア・パンクと呼ばれていた。

1990年代に入るとシアトルにパンク、ハードロックカントリーなどに影響を受けたオルタナティヴ・ロックグランジ」が登場。その立役者のニルヴァーナはニューヨーク・パンクの末裔たるソニック・ユースからの多大な影響を公言していた。

同時期、バークレーのシーンでパンク・ポップメロコア)の雄グリーン・デイランシドも台頭したが、彼らの成功はラモーンズクラッシュら先達の功績に負うところも大きい。

どちらもシーンは長続きせずに終息した。

日本では頭脳警察が早すぎたパンクと言われることもあったが、テクノ/ニューウェイヴとともにやってきたパンク・ロックはそれまでのプロテストフォークなどとも結びついて独自のスタイルを形成していった。

その中でもBOØWYブルーハーツは商業的にも成功を収めた。

さらに1980年代にニューウェーブの申し子BUCK-TICKが、後のヴィジュアル系V系の魁となっていった。

1990年代から2000年代前半にかけて「青春パンク」と化してJ-POPに取り込まれていき、現在ではパンク=青春パンクのイメージが強い。

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