イギリス領マラヤ
いぎりすりょうまらや
イギリスの旧植民地であり、現在のマレーシアとシンガポールにあたる。
なお、この領土は3つの区分に分けられ、本国の直轄地である海峡植民地(Straits Settlements)、マレー連邦(英国海峡植民地総督の下で連邦を組織している地域)、その他の領域(地方の領主により統治される地域で連邦に非加盟の地域)により成立していた。
マレー半島においては現地でムスリムの複数の王国が成立しており、マラッカにおいては16世紀以降征服によるポルトガル、さらにはオランダの植民地が成立していた。
ペナン島はイギリス東インド会社(イギリスの勅許会社、国家行政の特別許可状をもらい設立された貿易を主とする会社、本来インドネシアの香料輸入のための会社であったが、他国との戦いに敗れ軸足をインドに移す、インドを支配しインド全域における行政機構としての性格をも帯びた後、東インドに再進出するものの、インドの大反乱の責任を取って会社を解散する)が当時その地を支配していた王国より詐欺的な条約により1786年に取得(この詐欺的な条約が遠因となりタイと領土問題が存在するようになった)、プリンス・オブ・ウェールズ島と改め、ジョージタウンを建設。
シンガポールは1819年、ジョホール王国(16世紀から存在するムスリム王国、最盛期にはマラッカ海峡両岸を支配していたが、次第に没落、一応現在も王国自体は存続している)から割譲させた。
マラッカは他の植民地(スマトラ島西海岸)との交換により入手した。
これら3つの地域は後に海峡植民地と呼ばれるようになった。
その後、この植民地から収入が得られないとして放置されていたが、インドとの従属関係は続いた。
ところが、あまり動かないこの状況をシンガポール在住の商人が嫌い1867年イギリス本国直轄となった。これ以降積極的に周辺国に関与するようになり、イギリスが保護国として間接統治を行う地域が増えた。
海峡植民地とこれらの間接統治国(マレー連邦)などをあわせこの領地が成立した。
その後第二次世界大戦というか大東亜戦争の開始により大日本帝国の侵略を受ける。1941年12月8日(真珠湾攻撃と同日)に攻撃を開始し、翌年1月30日には全土を制圧された。
この際、名称が変更された地域が存在し、シンガポールは1942年から1945年までイギリスを駆逐して統治権を得た大日本帝国により、昭南島となっていた。また、ラブアン島は前田島とされた。
また、ケダ州(この地に存在した王国がタイに侵略され、その際条約を無視し兵力を出さなかったた結果、領土問題が発生していた)はタイに割譲された。
これらは戦後元に戻された。