概要
駅が廃止になってしまう理由は複数存在する。
駅の利用者の減少
旅客駅で言えば旅客(利用者)の減少、貨物駅の場合は取扱貨物の減少のことである。
旅客駅について説明すると、これは現在だと都心から遠く離れた田舎の駅であることが殆どである。
このような廃駅の特徴として、同じ路線の他の駅と比べ極端に列車の停車本数が少なく、
駅の造りも簡素である。冬季等一部の時期では全ての列車が停まらない、というのもJRの駅を中心にある。
このような状態の駅が路線の多くを占めると鉄道自体の廃線による廃駅になることもある。
線路付け替えなどによる別線上の新駅への機能移転のため、旧駅が営業廃止
この原因は様々で、昔は市電を廃止し地下鉄の代替手段を新設する時に使われた。
既存の鉄道のルートに新線を設けることでスピードアップを図る際、遠回りな旧線の駅を廃止するのもここに含まれる。
また沿線のダム工事等でそこに駅を設置することが不可能になる場合、その区間ごと駅を廃止する希有な例もある(例:JR飯田線)。
駅と駅の間が近すぎるため2つの駅を統合した
これは地方より比較的都心の廃駅に多い理由で、京急本線の北馬場駅と南馬場駅が有名である(現在は統合され新馬場駅として現存)。
これにより各駅停車の停まる駅を減らし、優等種別の本数増加やスピードアップを狙え、合理化にも繋がる。
もともと仮設の駅として作った
鉄道沿線の大きなイベントの最寄りとして造られたり、創業当時から延伸予定のある鉄道が仮の終着駅として造るもので、いずれも用済みになればすぐに廃止されることがあるが、稀に沿線開発等で復活する(阪急京都線物集女(もずめ)駅は1946~48年の短い営業期間を終えた後、2003年に洛西口駅として復活)。
災害や戦災など
災害により壊れたまま、駅を復活させる資金や需要が無いため、そのまま廃止に持ち込まれる。沿線の過疎化が進んでいたり、災害による鉄道へのダメージが大きいとそのまま廃線になる例もある(高千穂鉄道とか近鉄、今の四日市あすなろう鉄道八王子線の一部廃止など)。
戦争の場合は、戦災の被害は勿論、合理化によって廃止され、戦後復活しなかった例がある(東武東上線、金井窪駅)。
休止駅
廃駅とほぼ同等の扱いをされる駅に、休止駅がある。これは正式な廃駅の手続きを行っていないが、終日鉄道の停車せず、利用できない駅である。
近年ではあまり見ないがかつては数年間の休止期間を置いてから正式に廃止される駅もあった。
代表例は2018年に正式に廃駅となった神戸電鉄有馬線の鵯越(ひよどりごえ)~鈴蘭台の間の菊水山駅。休止駅となった2005年から一度も列車が停車せず、神戸電鉄公式HPにも同駅は廃駅となる以前から記載が無かった。
ほかにJR田沢湖線の雫石(現存)から分岐していた橋場駅があるが、同線のルート変更により橋場駅へ向かう路線自体が休止線となり、鉄道の進入すら不可能な状態になり、その区間は実質的な廃線による廃駅となっている。
廃駅のその後
駅自体存在しなかったような風景になることもあれば、交換駅だった場合ホームだけ無くし信号場に格下げされつつ残る物もある。
逆に、線路の片隅に不自然に盛り上がったホームの跡が残っていることもあり(JR高徳線阿波市場駅など)、廃駅のその後は様々な扱いである。
駅舎は、取り壊される場合も多い中、そのまま代替バスのターミナルになったり、店舗など別の用途で再利用される事もある。また鉄道記念館のような、メモリアル施設として残される例も少なくない。
勿論、整地されて跡形もなくなってしまう事もあれば、放置されて廃墟と化してしまう事もある。