概要
藤原師輔の三男、母は藤原盛子、官位は従一位、摂政、関白、太政大臣。
経歴
誕生
延長7年(929年)に誕生、従五位下、侍従・左兵衛佐・左京大夫などを歴任した。
一族同士の争い
安和2年(969年)に中納言、天禄3年(972年)に兄兼通より先に大納言となり兼通は不満に思うようになる。同年に兄伊尹は関白を辞任、後任は兼通となり兼家は不満を持った。貞元2年(977年)に兼通は関白を辞任し後任は頼忠となり兼家はさらに不満を持つようになったが天元元年(978年)に右大臣となった。
懐仁親王即位
永観2年(984年)に花山天皇が即位し皇太子は外孫懐仁親王(円融天皇と兼家の娘詮子の皇子)となる。寛和2年(986年)に息子道兼と共に天皇を退位及び出家させ皇太子懐仁親王(一条天皇)を即位させることに成功した(寛和の変)。
関白
一条天皇の即位に伴って摂政になり同年に右大臣を辞任、永延3年(989年)に頼忠の死去し太政大臣に進み永祚2年(990年)に関白となるが病のために辞任し出家し同年に死去。