図鑑データ
「秋雲着任!提督、よろしくね」
概要、出撃するよ!
2015年3月時点から秋雲は建造では入手できず、戦闘終了後のドロップでしか手に入らなかったが、2015年9月のアップデートで香取とともに建造が可能となった。陽炎型なので、建造時間は24分。オール30で建造が可能なため、yaggyが出る可能性も否めない。
ドロップ出来る海域は3-5、5-1、5-2、5-3…と超難関のマップばかりである。
もっとも、ボス戦だけでなく道中でもドロップするので高難易度海域のボス戦でしかドロップしない長波、初風よりは手に入りやすいかも知れない。
難易度9(2014年3月現在通常海域では最高難易度表記)の5-2を巡回できれば、の話だが…
比較的難易度の低い5-4でもドロップが確認されているので、そこを巡回するのが得策だろう。
うん、そう。容姿は大切だよねぇ
栗毛に近い茶色の長髪を、黒いリボンで束ねてポニーテールにしている。毛先が若干巻いており、少しばかりクセっ毛のようだ。
瞳はオリーブ色。
前述の通り、彼女自身も陽炎型なのか夕雲型なのか自覚していないフシがあるが、ゲームでは陽炎型に分類されている(但し、服装は夕雲や巻雲と同じジャンパースカートとなっている)。
なお、意外にも胸部装甲は浜風や潮や長波程ではないが、駆逐艦の中では大きい方で、後ろを向いていてもその膨らみが確認できる程である。
その独特のポーズから、「コロンビア」という愛称が与えられているが、コロンビア第1号の座は既に鬼怒が射止めている事から、彼女の場合は「コロンビア二号」などと呼ばれる事が多い。
また、某利根型のお面のように顔をネタにされる事もあるのだが、その理由は作中の図鑑イラストを見ればわかるだろう。
秋雲に性能発注ですか~?
史実でのホーネット撃沈のエピソードから絵が上手いという設定が与えられており、その時敵に発見されなかった事からも、運と回避のパラメータがネームシップの陽炎よりも高めに設定されている(流石に同じ陽炎型の雪風には及ばないが)。ついでに夜戦で探照灯を照らしたがるのだが、巻雲からは中破時に非難される(なお昼戦でも同じ文句なのは御愛嬌)。
一方、対空は初期値が低いものの、改になれば雪風と並ぶ陽炎型5位となかなかの高さ。その分、火力の最終値が平均的な改駆逐艦より5低い“44”で留まってしまう。
なになに~、性格?いいの~?
性格はノリが軽く、一つ事にこだわらず忙しなく動き回るタイプ。
その所為か秘書艦時も周りのことが気になるらしく、提督のことは半分放ったらかしである。
どこか人を小馬鹿にしたような上がりっぱなしテンションは、某お笑い芸人のそれに近い。ついでに「なになに~?」や「おっつかれちゃん♪」など、セリフも似ているため、賑やかでうざかわいいキャラクターに感じられる。
後述するように五航戦の一員だったのだが、その割に翔鶴や瑞鶴との絡みが少ない・・・ような気がする。
しかし2015年9月25日のアップデートで、この2人と朧を加えた4人での編成・出撃任務が追加された。
またスケッチのエピソードからか、艦娘の秋雲は同人誌を書いてサークル活動している様子が時報や放置ボイスなどで伺える。
以下抜粋。
- 「2時よ。いいよ、秋雲も夜型だから原稿書きながら付き合ったげる」
- 「午前4時でーす 休める時に休む 描くときには描く これがイケてるサークルなのよ」
- 「8時。朝ご飯食べてから原稿するかなぁー、提督は朝ご飯はパンとご飯どっち派?」
- 「うわああ! そうだ、もうすぐ早割入稿日じゃない! こうしちゃいられない!」
お盆や大晦日のイベント海域に向けて「我、夜戦に突入す!(原稿的な意味で)」な光景が目に浮かぶ。
ただし、コスプレまで嗜むかは定かでは無い。(画像右端:腐海棲艦・コスプレ級)
2014/7/4のアップデートにて、トレス台やスタミナドリンク付きの「原稿机」が実装された為、彼女の原稿は捗る事だろう。
史実
1939年度(マル4計画)仮称第115号艦として浦賀船渠で1940年7月2日起工、1941年4月11日進水、同年9月27日に竣工。
竣工後は朧と共に五航戦に編入され、翔鶴・瑞鶴の護衛を務めた。
真珠湾攻撃を経て、ラバウル、ニューギニアおよびビスマルク諸島方面の作戦や、セイロン沖海戦に参加。
その後夕雲・巻雲がいた第十駆逐隊に編入され、第十駆逐隊も第十戦隊に編入された。
1942年10月26日の南太平洋海戦では、航空攻撃によって大破した米空母ホーネットを「事情許さば、拿捕曳航されたし」との命令を受け、巻雲と共に追跡した。
だが、排水量で大きく差がありすぎる上、大破炎上したホーネットを拿捕する事など不可能であり、結局巻雲と共に同艦を雷撃処分する事となった。
沈みゆくホーネットの姿を見た相馬艦長は、この光景を軍令部に報告提出すべく写真撮影するよう命じるが、航海長に「夜ですから写真は無理ではないですか」と意見された為、スケッチでホーネットの最期を記録する事となった。
スケッチを担当した信号員が「細部が見えない」と申し出ると、相馬艦長はスケッチの助けにしてやろうと「探照灯照射用意」と令して、ホーネットに向けて何度もサーチライトを照射したが、当然ながらこの行為は自らの存在を敵潜水艦に知らしめる事にも繋がりかねず、事情を知らない他の乗組員は驚き、巻雲からは「如何セシヤ」の発光信号が送られた。
相馬艦長は周囲の驚きをよそに5回、6回もサーチライトの照射を行い、「大胆というか、無謀というか」所業の助けを得た信号員は、幸い敵に発見されることなく無事にホーネットの最後の姿を描ききることが出来、信号員が描いたスケッチは後世に残されたのであった。
また、ホーネットはB-25を飛ばして東京を空襲したドーリットル隊の母艦でもあった為、乗組員の中には「東京空襲の仇を取ったぞ」と喝采をあげる者もいた。
1944年4月10日、ミンダナオ島ダバオに向かう途中米潜水艦に撃沈された。
陽炎型か夕雲型か
秋雲が陽炎型なのか夕雲型なのかについては戦後長らく「夕雲型2番艦」とされていたが、1994年の調査で海軍の内令や工廠の図面等に「陽炎型秋雲」の記述がある事が発見され、陽炎型の最終艦という研究が発表された。
その理由は以下の2説が唱えられている。
- 夕雲型1番艦として建造するはずだったが、早期完成を目指すべく陽炎型の図面を使用した為、完成したのは陽炎型となってしまった。
- 本来は「島風」と命名される予定だったが、その名前が丙型駆逐艦(=島風)へ流用される事になり、改陽炎型として建造予定だった「秋雲」の名前が陽炎型へ繰り上がった為、本来「秋雲型」になる予定だったものが「夕雲型」になった。
なお、『艦これ』においては『分類は陽炎型だが、キャラクターデザインは夕雲型準拠』という扱いになっている。
関連イラスト描きたーい!
ところで、絵師提督各位のリアル原稿は大丈夫ですか?