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関脇の編集履歴

2016-07-02 20:04:21 バージョン

関脇

せきわけ

大相撲における地位、三役の一つ

日本大相撲における地位の一つ、上から数えて三番目(横綱大関に次ぐ)の地位にあたる。


横綱や大関のように昇進に基準は定められておらず、幕内で8勝7敗で勝ち続ければ、いずれは到達する地位となる。しかし、関脇、小結の地位で3場所33勝程度(一場所平均11勝程度、情勢によって基準は上下する)挙げないと、大関に昇進できないので、8~9勝しかできない力士はここまでの地位しか上がれない。大関候補と呼ばれる力士が関脇の地位で足踏みしてしまうケースも多く、1990年代後半の魁皇や大関昇進直前の琴光喜、そして2012年5月場所から関脇在位を続けていた豪栄道のように実力を持つ力士が長く在位する事もある。豪栄道は14場所連続関脇在位の末、2014年の名古屋場所後に大関昇進を果たした。


関脇以下は前場所における成績で地位が決まり、原則として勝ち越せば番付が上がり、負け越せば番付が下がる。そのため、必ずしも小結から関脇になるわけではない。前頭上位で好成績を挙げた力士が、小結を飛び越えて関脇になる事も珍しくはなく、小結を経験していない関脇力士も存在する(※1)。前頭上位力士に好成績を上げた力士がいない場合は、成績によるが小結・関脇で負け越しても地位が陥落しない場合もある(※2)。


関脇で優勝した力士は、1972年3月場所に優勝した長谷川を除き、いずれも大関・横綱に昇進を果たしている。


※1……年6場所制となった1958年以降では佐田の山(のち横綱、境川相撲協会理事長)、高鐵山(こうてつやま)、追風海(はやてうみ)、北勝力(ほくとうりき、現・谷川親方)、そして現役の照ノ富士(現・大関)、琴勇輝がいる。引退した力士に関して記せば、佐田の山以外は三役経験が新関脇の1場所のみに終わった。

※2……例えば、2013年5月場所において、東関脇豪栄道は7勝8敗の1点負け越しであったが、西関脇把瑠都以下、幕内前頭(平幕)5枚目以内で勝ち越した力士は、東前頭筆頭の妙義龍(11勝4敗)、東前頭5枚目の松鳳山、西前頭5枚目の高安のみ(いずれも8勝7敗)であったため、翌場所の番付で、豪栄道は西関脇に留まった。ちなみに、この時東関脇は妙義龍、東小結松鳳山、西小結には東前頭8枚目で10勝した時天空が昇進している。


関脇に在位した事のある現役力士

横綱・大関昇進者を除く。(2016年7月現在)

  • 妙義龍 埼玉栄高校時代の同級生に大関・豪栄道がいる。追手風部屋に所属していた元力士で、現在はお笑い芸人マービンjr.は埼玉栄高校相撲部の後輩。
  • 豪風  2014年9月場所において、年6場所制の下での新関脇昇進の最年長記録を塗り替えた。また、新入幕から68場所以上を経ての関脇昇進は歴代1位のスロー昇進でもある。小柄ながら、重心の低い安定した相撲が持ち味で、その実力は衰えを知らない。
  • 安美錦 怪我が無ければ大関と言われるほどの実力者だが、判定が難しい所謂行司泣かせの相撲も多い。2015年1月にジョブチューンに出演した際、立行司の40代式守伊之助から「『安』の字を見るだけで気分が悪くなる」「早く引退してください」と言われてしまった。
  • 栃煌山 2016年3月場所は東小結を務める。三役の常連と言える力士の一人で、長らく大関昇進が待望されている。
  • 豊ノ島 身長168cmと小柄ではあるが、長く幕内を務め、三賞も10回獲得している実力者。ユーモアのある力士として知られ、2013年に『笑っていいとも!』のテレフォンショッキングに出演した。
  • 朝赤龍 十両昇進の頃はその四股名で話題になり、後年には実際に行司から間違われてしまった事もある。
  • 碧山 ブルガリア出身の大型力士で、四つにも強く突き押しの威力もある。
  • 逸ノ城 土俵上における強さと、土俵外における人物像のギャップもあって、番付とともに人気も急上昇させた有望株。新入幕の翌場所に三役に昇進した力士は北の富士(のち横綱)、大錦(小結、現・山科親方)がいるが、新入幕翌場所の新関脇は、昭和以降では初めてである。
  • 隠岐の海 その四股名の通り、島根県隠岐郡隠岐の島町出身。2016年5月場所、西小結に返り咲く。
  • 嘉風 2016年1月場所に於ける新入幕から59場所を所要しての関脇昇進は、史上2位のスロー昇進で、33歳9ヶ月での新関脇は、戦後6位の高齢昇進となる。30代に入ってから豪快な突き押しに磨きがかかっている。
  • 大阪出身の美男力士として人気を集める。右四つの相撲を得意とするが、中位以下で大勝ちしながら幕内上位や三役で負け越す傾向が強い。2016年5月場所は前場所、上位陣に負け越しが多かった事もあり、西関脇に昇進。本場所がない時期には歌番組にゲスト出演したことがあるほどの歌唱力も知られる。
  • 琴勇輝 香川県小豆島出身の力士。突き押しに徹底的にこだわる相撲と、時間いっぱいの立ち合いの時に独特の発生をするルーティンで知られる。2016年3月場所は初の幕内上位ながら12勝3敗(黒星を喫した相手は、横綱・白鵬、横綱・鶴竜、大関・稀勢の里。琴奨菊は同部屋のため対戦なし)の大活躍を見せ、同年5月場所で東関脇昇進を果たした。
  • 栃ノ心 ジョージア(旧グルジア)出身。膝の怪我のため2013年9月場所途中より長期休場し西幕下55枚目まで番付を落としたが、復帰後は実力の違いを見せつけ、2014年9月場所には「十両で全勝優勝(史上5人目)」し、翌場所幕内に復帰。2015年9月場所小結に復帰。翌11月場所から3場所連続で負け越して番付が下がったが、2016年5月場所は10勝を挙げ、翌7月場所関脇に昇進。近年では珍しくなった「つり出し」を得意とする。
  • 魁聖 2016年5月場所東小結で新三役となり、勝ち越して翌7月場所栃ノ心とともに関脇に昇進。ブラジル出身の日系三世で、自身も2014年に日本国籍を取得した。巨体を生かした四つ相撲を得意とする。また、北の富士は「腰高だがおっつけが巧い」と評価している。コーラが好きなゲーマーでもある。ちなみにサッカーは好きではない。


主な元関脇力士

最高位が関脇だった力士を挙げる。

横綱・大関に昇進した力士は除く。


  • 逆鉾 寺尾の兄。長兄の鶴嶺山(かくれいざん)も関取(十両)で、「井筒3兄弟」として知られる。引退後、現役時代を過ごした井筒部屋を継承し、横綱・鶴竜を育てた。ちなみに、逆鉾および寺尾の父親にして師匠である鶴ヶ嶺も現役時代の最高位が関脇だった。現・井筒親方
  • 寺尾 逆鉾の弟、同時に兄弟で関脇になった(1989年3月場所)ことで知られる。ソップ型の力士だったが、大型力士が相手でも真っ向から勝負した。また、男前の力士として女性に人気が高かった。現・錣山(しころやま)親方
  • 安芸乃島 「横綱キラー」と呼ばれた力士。金星16個(大乃国2個、千代の富士4個、北勝海4個、旭富士4個、1個、武蔵丸1個)と三賞19回(技能賞4回、殊勲賞7回、敢闘賞8回)はともに史上1位。現・高田川親方
  • 益荒雄 1987年3月場所で4大関・2横綱を倒し、益荒雄ブームを巻き起こした。三賞受賞も5回を誇る実力者であったが、怪我に泣き幕内在位は20場所に終わった。現・阿武松(おうのまつ)親方
  • 多賀竜 1983年9月場所(蔵前国技館最後の場所)優勝力士。現・鏡山親方
  • 高見山 ハワイ出身力士。1972年7月場所に於いて、外国人力士として初めて優勝した。1980年に日本国籍を取得し、引退後は2009年の停年まで東関(あずまぜき)親方として相撲協会に残った。
  • 貴闘力 平幕に陥落した後、2000年3月場所で史上初の幕尻優勝を果たした。しかし、大嶽親方として後進の指導に当たっていた2010年に、野球賭博問題への関与が発覚し、解雇されてしまった。
  • 琴ノ若 関脇在位中の四股名は「琴乃若」。現・佐渡ヶ嶽(さどがたけ)親方
  • 水戸泉 豪快な塩撒きで会場を沸かせた、元祖ソルトシェイカー。1992年7月場所優勝。現・錦戸親方
  • 長谷川 関脇・小結に通算30場所在位し、前述の通り関脇の地位で優勝したが、勝ち星や番付運に恵まれず大関昇進は果たせなかった。一方で生命運は並はずれて強く、フグ中毒や旅客機墜落事故(乗客乗員133名全員が死亡)の難をいずれも逃れるなど、奇跡的な命拾いを何度もしている。
  • 琴錦 関脇・小結に通算34場所在位。女性問題を起こした事もあったが、最高位が関脇以下の力士としては2013年9月場所終了時点で唯一、複数回の優勝を達成している(2回)。いずれも平幕優勝だが、最初の優勝後には、小結から関脇を飛び越しての大関昇進を期待された。引退後は多くの現役力士から年寄名跡を借り継いでいたが、2016年になって朝日山の年寄名跡を取得したことが発表された。早口でまくし立てながらも的確な分析に基づく解説に定評がある。
  • 旭天鵬 モンゴル出身ではあるが、2005年に日本国籍を取得した。大島部屋の継承者とされていたが、師匠の停年(定年)後も引退せず現役を続行。友綱部屋移籍直後の2012年5月場所で37歳にして平幕優勝を果たした。40歳を迎えてもなお幕内で勝ち越し、三賞の一つである敢闘賞を受賞していたが、2015年名古屋場所(7月場所)で大きく負け越し、幕内残留が絶望的になったことを受け引退した。人柄の良さもあり、多くの力士から慕われている。休場は序二段時代の1場所と不祥事による1場所謹慎のみで、幕内出場1470回は歴代1位の記録を持つ。現・大島親方。
  • 若の里 関脇・小結在位26場所(その内19場所連続三役在位)の記録を持つ、かつての大関候補の一人だったが、怪我に泣いたこともあり、大関昇進を果たせずに終わった。しかし、通算9回の手術を経て、39歳になった直後まで現役を続けていた。通算出場記録1691回の記録を持つ一方で、土俵外ではユーモア溢れる一面を見せていた。ちなみに、旭天鵬とは同期。現・西岩親方。

※年3場所の時代ではあったが、力道山も大相撲時代は関脇まで昇進し、その地位で廃業(引退し、そのまま協会に残らず退職)している。

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