概要
ロンドン海軍軍縮会議の結果、補助艦にまで制限を受けた海軍だが、直後に第一次海軍軍備補充計画(通称マル1計画)を策定、めげずに新造艦の建造に着手することとなる。
しかし、駆逐艦には「1500トンを超える艦は、合計して、駆逐艦全体の枠の排水量の16パーセントまで」と言う項目があったため、当時主力として建造していた特型駆逐艦(吹雪型/綾波型/暁型)の増産が不可能になった。そこで海軍では、特型(1,680トン)より約200トン小さい1,400トンの船体に特型に準ずる性能(重武装)を持った艦の建造を進めることとなる。
このような設計は確かに排水量の軽減に役立ったが、問題も引き起こすこととなった。
特型と比べた場合、全長で10mほど短くなり、全幅は40センチ狭く、喫水も20センチ浅くなるなど特型より小さくなっている。その上、船体下部の機関重量が軽量化されたにもかかわらず、上部の武装重量は殆ど変わらず、艦橋・煙突なども高くなった結果、艦の重心があがり(いわゆるトップヘビー)左右の安定性が悪い艦となった。
その証拠に、公試試験の際、一番艦「初春」は、38度もの傾斜をして危うく転覆し廃艦になるところだった。加えて海軍を痛撃する有名な事故「友鶴事件」、「第四艦隊事件」が発生する。
結果、本型は直ちに設計の変更が施され、なんとか実用レベルにこぎつけたが、武装を一部撤去したにもかかわらず最終的な排水量は1700tを超え、初期の特型よりも重くなってしまった。
また、友鶴事件によって、設計主任だった藤本喜久雄造船官もその責任を押し付けられて左遷され、事件後の心労でその1年後に脳溢血で47歳で他界してしまっている。
軍部が無理な要求をしてきたことが原因だというのに、特型を生んだ天才造船官はスケープゴートにされてしまったのである。
上記の事情により、特型駆逐艦より後に作られたにもかかわらず、ほぼすべての性能で特型に劣る。勝っている点は、魚雷の次発装填装置を標準装備していることと、厨房のコンロが重油炊きになって使いやすくなった点ぐらいしかない。
特に、速力33ノットは艦隊型駆逐艦としては非常に遅く、下手をすれば空母にすら置いて行かれるレベルである。
(とはいえ特型も第四艦隊事件後の改装で重量増になってしまい、34ノット程度にまで速力が低下してしまったのだが)
二番艦子日は初春ともども竣工後に問題が発覚したので、進水してからの船体変更となり、この2隻は、改修前と改修後ではほとんど別物と言っていいほどの大改修となった。
三番艦若葉と四番艦初霜は建造途中だったため急遽改造工事となり、結果起工の遅かった初霜のほうが若葉より早い竣工となった。
問題発覚時に建造初期の段階だった五番艦有明、六番艦夕暮は設計段階から改められたのでこの2隻は「改初春型」とも呼ばれる(一時期は白露型の初期の5隻とともに書類上も正式に有明型駆逐艦に分類されていた事もあった)。しかしこの2隻も相次ぐ改装の結果、船体がつぎはぎ状態になり、速力性能が落ちてしまう……。
そんなこんなで残念な性能になってしまった初春型は6隻で建造中止となり、改良型の白露型が建造されることになる。
兵器としてはいささか能力不足であった初春型各艦は、前線での戦闘よりも、輸送護衛や哨戒などの任務を任されていた。そのためか、戦争終盤まで生き残った艦もある。
また、初春、子日、若葉、初霜は4隻で第二一駆逐隊を編成している。
残りの有明・夕暮は白露、時雨と第二十七駆逐隊を編成するが、有明と夕暮が次々戦没していったので、2隻の後にはこちらも相次ぐ戦没で解隊された第二駆逐隊から春雨、五月雨が入っている。
失敗のイメージと裏腹に若葉と有明と夕暮の名は後に海上自衛隊に受け継がれている。
ちなみにわかりづらいが、艦名規則は「“最初”にまつわるもの」。なかなかに風雅である。
初春は「新年」、子日は正月の行事である「子の日の遊び」、若葉は「生え始めの葉(≒夏の訪れを指す季語)」、初霜は「晩秋に降る最初の霜(≒冬の気配を指す季語)」、有明は「(空に月の残る)夜明け」を意味する。
夕暮は日が落ちることを指すため“最後”のイメージが強いが、「夜の始まり」と考えれば合点がいくだろう。また有明と対を成す言葉でもある。
艦歴
No | 艦名 | 工廠 | 起工 | 進水 | 竣工 | 戦没 |
一番艦 | 初春 | 佐世保 | 1931/05/14 | 1933/02/27 | 1933/09/30 | 1944/11/13 |
二番艦 | 子日 | 浦賀 | 1931/12/15 | 1932/12/22 | 1933/09/30 | 1942/07/05 |
三番艦 | 若葉 | 佐世保 | 1931/12/12 | 1934/03/18 | 1934/10/31 | 1944/10/24 |
四番艦 | 初霜 | 浦賀 | 1933/01/31 | 1933/11/04 | 1934/09/27 | 1945/07/30 |
五番艦 | 有明 | 川崎 | 1933/01/14 | 1934/09/23 | 1935/03/25 | 1943/07/28 |
六番艦 | 夕暮 | 舞鶴 | 1933/04/09 | 1934/05/06 | 1935/03/30 | 1943/07/20 |
艦隊これくしょん
上記の史実のような残念っぷりはいざ知れず、そのステータスは睦月型のような低性能どころか、僅かながら初期値で吹雪型を超え、最終値も他の平均的な特型駆逐艦と並ぶほどに成長する。なので提督各位は、安心して使用していただきたい。
2015年1月のアップデートで編成・出撃任務が追加された。
ちなみに竣工は初春と子日でいっしょだが、実は進水は子日のほうが早く、初春よりちょっと年上だったりする。
実装されている4隻の声優は、全て小林元子が担当している。
また、見ての通りだが、竣工前に大改修を受けることとなった初春・子日と、途中修正を受けてから建造された若葉・初霜とでは、制服や武装、絵柄に違いがある。
艦娘
「わらわ」が一人称で古風な口調の一番艦。のじゃロリ。
言っておくが「ういはる」ではない。「はつはる」である。
気は大きいが高飛車ではなく、周りへの感謝を忘れない。
公式4コマではトップヘビーとマジックアームネタが定番。
2014年10月のアップデートで初春改二が実装された。
ノリの良い天真爛漫な二番艦。名前が持ちネタ。午前0時(子の刻)に執務室に現れた事も。
潜水艦に沈められた事から潜水艦トラウマ組の筆頭。
ワーカーホリックな三番艦。口数少ないがかなりの天然。中破台詞のせいでドM疑惑あり。
事故で自分だけ途中帰投になってしまったキスカ島撤退作戦に想いを馳せる。
「守る」をよく口にする天使な四番艦。魚雷発射管の角度をよく直してもらってるらしい。
終戦の少し前まで数々の激戦の中頑張ってほぼ無傷だった幸運艦。若葉・長波との玉突き事故は急減速した阿武隈の所為。
2015年1月のアップデートで改二が実装された。
五番艦(改初春型一番艦)。未実装。
六番艦(改初春型二番艦)。未実装。
余談
1.初春型という級別は実は二代目であり、明治には初代初春型(初代)が存在している。
※初代神風型の一部に相当する。
2.戦後、海上自衛隊には「わかば」(若葉)、「ありあけ」(有明)、「ゆうぐれ」(夕暮)が受け継がれた。
- 「わかば」
橘型駆逐艦10番艦「梨」(仮称4810号艦)として、川崎重工業神戸艦船工場で1944年9月1日に起工、1945年1月17日進水、同年3月15日に竣工したが、同年7月28日、山口県平郡島北岸沖において停泊中、アメリカ空母機動部隊艦載機の空襲を受け沈没。戦後スクラップ目的で1954年9月21日に引き揚げられたが状態が良好な為引き揚げた業者より購入、修理改装の後、1956年5月31日、警備艦「わかば」として海上自衛隊に編入。1958年には改めて兵装を装備した上で乙型警備艦「DE-261 わかば」として再就役した。1971年3月31日に除籍、解体処分。
- 「ありあけ」「ゆうぐれ」
初代「ありあけ」(DD-183)は前身がアメリカ海軍のフレッチャー級駆逐艦「ヘイウッド・L・エドワーズ」で戦後モスボール状態だったのを横須賀に曳航、国内で解撤工事等を施した。
同型艦「ゆうぐれ」(DD-184)は同じくフレッチャー級駆逐艦「リチャード・P・リアリー」で1974年除籍。
2代目「ありあけ」(DD-109)はむらさめ型護衛艦(2代目)の9番艦。2015年現在現役。
関連タグ
艦隊これくしょん駆逐艦 駆逐艦娘 第二一駆逐隊 第二七駆逐隊
駆逐艦級名