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業績録(オクタビヤヌス)の編集履歴

2016-11-27 15:34:52 バージョン

業績録(オクタビヤヌス)

あうぐすとぅすのぎょうせきろく

「アウグストゥスが世界とローマ市民たちの支配に従わせた神アウグストゥスの業績および、国家とローマ市民たちのために彼が為した支出の写し」の青銅版2枚の記念碑的文章(『神アウグストゥスの業績録』から抜粋)

RES GESTAE DIVI AVCVSTI

「Res Gestae:なされたこと」「Divi:神(神格化されたことを表す)」「Augusti:アウグストゥス」

日本語では一般に『神君アウグストゥスの業績録』『神アウグストゥスの業績録』等と呼ばれる。


「初代ローマ皇帝アウグストゥス自身が編集し、自身の霊廟に書き記させた碑文。アウグストゥスの現存する唯一の肉声的文章である。


この文章はラテン語で青銅版2枚に刻印されている。生前からアウグストゥス(オクタウィアヌス)は自身の霊廟の前に設置することを希望していたとスエトニウスが伝えている(スエトニウス『ローマ皇帝伝』「アウグストゥス伝」101)。アウグストゥス没年のAD14年に次代のローマ皇帝ティベリウスにより製作されたとされている。


イタリアローマに現存する「アウグストゥス廟」の前からは青銅版のオリジナル(2枚)はすでに消失したがこれを写した青銅柱が古代より各地に作られ、このうちの「アンキュラ碑文」から16世紀以降テクストが転写され発表されていた。「アンキュラ碑文」のテクストも完全なものではなかったが、その後それを補う形で「アポロニア碑文」「アンティオキア碑文」が発見され、ほぼ全内容が復元された。


碑文は前文と本文35章と付記4章からなり、「元老院から自分(アウグストゥス)が受けた称号」「国家や市民に対してなされた自身からの支出」「全軍司令官としての征服活動」「共和国(ローマ帝国)における自身の地位についての記述」に四分することができる。


全文邦訳は

『西洋法制史料選I古代編』(創文社、1981年、pp103-128)

国原吉之助スエトニウス『ローマ皇帝伝』(岩波文庫、1986年)付録「神君アウグストゥスの業績録」(pp206-225)

部分邦訳は

『西洋古代資料集』(東京大学出版会、1987年、pp180-182)

外部リンク


原文の訳


【前文】この世界 『共和国S・P・Q・R元老院と市民』

において「人々(ローマ人)が彼(アウグストゥス)に命じて作り上げた業績・栄誉」「ディヴィ(神)・アウグスティ・インペラートル(全軍指令)としてローマ市民(ローマ軍)への命令(インペリウム)」「ローマ市民・人々に(渡した)費用(貨幣)」、彼が全世界(ローマ帝国)で実施したことをローマ人宛てに2枚削りました。これらを経費を用いてローマ共和国(レスリパブリック・ローマ二アノンス)に全体にコピーしてゆく計画です。



【Ⅰ】私が第19歳の時、私は自身の発意と私自身の費用でイニシアチブ(主導)し、私は共和国(ローマ帝国)を自由にさせることに成功した。(私は)一党派の支配による制圧を保持するとともない、ローマ軍を引き上げさせました。元老院(セナートス)は政令で私の名誉を与え、私に在籍措置を与えられ(元老議員登録)、またカイウス・パンサとアウルス・ヒルティウスのローマ統領(コンスル)は、「ローカル(元老院(上院)や市民会議(下院))での意見の付与における指令権(インペリウム)」を与えました(閣僚登録)。私はプロプラエトル領事(副ローマ統領の1人)として、能力を提供すると同時に、統領(コンスル)としてレスパブリック(共和国・ローマ帝国)への被害を防止するために指令した。そして人々(コミティア・下院会議)は、同年に私をコンスル、ローマ統領を指名しました。また、私を三大統領(Triumviratus)の1人にしました。前任者の三大統領の1人(ユリウス・カエサル)はそれぞれの状況の争い(暗殺)で死に、空席だからです。



【Ⅱ】(我が軍・オクタビヤヌス軍)は我が父(ユリウス・カエサル)を虐殺したやつらと戦争征伐)を行った(1)、(また往生際悪く)合法を用い(征伐から)逃亡した奴等(ブルータス達)を(追撃するため)、戦線を拡大し、奴等を征伐し服従させた(征服)(2)、我は2つを戦った。そして、我(オクタビヤヌス)はこの事態(カエサル殺害・S・P・Q・R共和国の権力戦争)をもたらした奴等達(投降した兵士若者)・協力者)を全て処罰シタ。(反逆罪による拷問公開処刑



【Ⅲ】 (市民会議(コミティア、下院50万人での彼の演説)「私(全軍指令・インペラートル)は『地球(TERRA・テラ)と海(OCEAN・オーシャン)(ローマ共和国全土)』のために、しばしば(計画的な)戦争を繰り広げました。そして、そのつど、ローマ市民ローマ軍と諸外国の市民(武装集団)の全てが戦争につぎ込まれてゆきました(総力戦)そして、われわれは全ての戦争に勝利しました。我々は、戦利品として賞金(金貨)30,000,000MONET(マネー、3000万)とガレー船(三段櫂船、古代軍艦)の小さいのをあわせて600隻を捕獲しました。私(全軍指令、インペラートル)は、これら(戦利品)を全てを、まず全てのローマ軍将兵の報酬として割り当てたい。(そのため、私(インペラートル)は)、金貨30,000,000MONET(マネー、3000万)を(兵士1人)300マネーとして100,000人(関係者合わせて10万人分)を用意しました。また全てに割り当てられたものに関して、(また残った賞金と征服領土など)は、私(インペラートル)がイニシアチブ主導)し、戦争による出費対費用として、全ての共和国コロニー(S・P・Q・R共和国構成都市国家)に還元させました。それと、ええと(私が市民に望む事は)、(敗北した)諸外国市民たち(「ゲルマン族国」「フランク族国」「サルマタイ族国」)は、降伏をし、私(インペラートル)に対して許しを求めてきました。私はこれに答えたい。((「ゲルマン族国」「フランク族国」「サルマタイ族国」)に対して「破壊占領政策(奴隷化」ではなく「安全な恩赦(国交正常化)」を望みます。」と言いました。(演説)(ローマ市民50万(市民会議(下院)定員50万人)はこれ(私の意見)について可決決裁をした。



※2オクタビヤヌスはヨーロッパ世界の奴隷化という状態をさけたかったようだ

※3下院議員(市民)50万人、まだ代議員が確立していない。共和制ローマにおいて議会が二院制的に最後に機能した最後の場面



【Ⅳ】※私がこれを書き記したとき、(私は)13回目のローマ統領(コンスル)に就いており、トリブリチア・ポテスタキース(護民官(元首))の37回目の任務についていました。※Ⅳ1 (戦争が始まったとき私は)、首尾よく地球(テラ・TERAA)と海の上(S・P・Q・R共和国)と私の後援者達(S・P・Q・R政府オクタビヤヌス政権)の下、私(三大統領兼ローマ統領)の私のメンバー(同僚の政治家・閣僚・将軍達)が物事(仕事)のために(動きました。そして)元老院(セナートス上院)は政令布告を出し、「(勝利や平和のために)不滅の神々(ローマの神々)への捧げ物儀式を55回(1年間・1週間に1回)」と元老院はローマ人に命じました。そして(捧げ物儀式は)彼ら(市民の平和の願い)が成就するまで890回行われました。私はそれぞれの戦いで作られた誓願(勝利や平和など)が適った時、私はカピトの丘聖堂(カピトリヌスヘル、現訳:国会議事堂首都)に束桿から月桂樹(月桂冠)を置きました。私は勝利をしたことで2回凱旋式オベーション)を行い、3度「(インペラートル!(司令官)」と呼ばれ、(再度全軍指令に)選ばれました。私の勝利で(敗北した)と9人の王子子供)達は私の戦車チャリオット)に縛られて連行されていきました。この後、私は高位高官達と21回勝利を享受しました。また、元老院(セナートス上院)は私に対し「(彼に)全ての勝利を上回る栄誉を」を政令で命じました。



※Ⅳ1元首政治体制37年目、アウグストゥス帝の治世は41年

※Ⅳ2(オクタビヤヌスが暗殺されたディクタトール・ガイウス・ユリウス・カエサル[([独裁官]]ローマ総統)の後任でローマ統領兼三統領に就任してから(BC44)、ローマを終戦に導くための国家手動の供物の儀式を1年55回行う。(一週間に1回)それが約890回目、アクティウムの海戦で平定し、ローマに凱旋して。元首政治体制が始まる(BC27)までの18年間続いた、ちょうどオクタビヤヌスの行動時期と重なる。)ローマ数字「890」は何を表しているか、今現在のローマの専門学者の間でも不明である。



【Ⅴ】(前置)マーカス・マーセラスとルシウス・アルキオーらがローマ統領コンスル)の職を受け取らなかったことがありました。前置の事から「私に独裁政権(ディクタトラルム)が提供され続けている」と元老院(セナートス上院)の人々(議員身分・野党側)が言われました。いいえ、わたしは〈独裁〉していません (元老院(上院)、市民会議(下院・コミティア))では、その、余りにも毎年のように私をローマ統領(コンスル)に指名します。が、私は永久的(慣例のごとく)にローマ統領(コンスル)になることはしてはいません。私は、その「不足している人々全体への小麦穀物」から起こる(社会的)恐慌危険についての対処法(ケア法)を数日中に提出した、(ケア法)には『私も含めた国民全体の最上層(上流層・セレブ)への犠牲(負担)」も※拒否しません※1でした


※Ⅴ1拒否を拒否権で可決。


【Ⅵ】元老院(セナートス・上院)において「地位は存在しないが、(ローマの)法律モラル倫理)に対して、最大の権力をもつ『最高のトリブルス護民官(元首)」)』を作成することに全会一致合意)した。」(私は)同僚達から自発的にそれ(最高の護民官・トリブキアエ・ポテスタキース)になるようにすすめてきました。(しかし私は4度断りました)、5度目の時に全閣僚(ローマ政府)と全上院議員(元老院セナートス)のから要求されたので、私はそれを(最高の護民官・ローマ帝ローマ皇帝)受け取り、完全にそれ(ローマ元首)に就きました。「※元老院とローマ市民(S・P・Q・R)※2」の政府閣僚(マギストテリアル)の、マーカス・ヴィシニウスとクィントゥス・クレティウス、プブリウス・レントゥルスとグエナウス・レントゥルス、パウロ・ファビウス・マクスムスとクイントゥス・チュベロウスらローマ統領コンスル)達らは先祖時代(共和制ローマ)の時の閣僚のルール慣例を逸脱していないことを私は確認しています。


※2(SENATV POPVLOQVE ROMANO SPQR ローマ帝国の正式名)


【Ⅶ】 (私の肩書きサインタイトル称号)については、私がなる以前から使用されていた三大統領の1人については、『共和国に確立された三大統領』をサインしました。ある日から、初めて使用した(ローマ帝初日)に使ったサインは、『国家最高司祭(最高神祇官、ポンティクス・マクシムス、現訳教皇)、国家鳥占神官(オーガー、アウグル)、15の国事の主催者、7の神聖な祭儀の上演者、博愛主義者、ティターンズ・ソリドゥス(ビッグ・ブラザー独裁者)のローマ版)、魔法使い(ハウル)』を用いました。



【Ⅷ】(S・P・Q・R)「元老院とローマ市民」(政府)は「ローマ統領5カ年計画」によって、ノビリス(上流階級貴族セレブ)を倍増されました。そして、私(オクオクタビヌス)は、同僚で閣僚のローマ統領コンスル)達と同じように元老院(上院・セナートス)のローマ統領(コンスル)を3回就任しました(任期1年・計3年)、(ユリウス・カエサル・オクタビヤヌスローマ統領と)マーカス・アグリッパローマ統領ローマ統領年(BC28)に指令(インペリウム)し実行させた。私が、40から1年(41歳)の『第6回センサス(国勢調査)』(第1回目)(S・P・Q・R総人口)1,401,5600人(140万1560人)。(私とローマ政府は)3000人(3千人)に対し※「市民登録&神話洗礼式」(入国許可)※Ⅷ1を行う。(2回目は、)ガイウス・センソリヌスとガイウス・アシヌスローマ統領年(BC8)、私は再度ローマ統領に就任し(ユリウス・カエサル・オクタビヤヌスローマ統領)で1人でセンサス(国勢調査)で指令(インペリウム)し実行させた。(S・P・Q・R総人口)2,311,314人(321万1314人)。(私とローマ政府は)3000人(3千人)に対し「市民登録&神話洗礼式」(入国許可)を行う。3回目(AD14)はセクティウス・ポンペイウスと、息子のセクティウス・アプリティウスローマ統領年、私(ユリウス・カエサル・オクタビヤヌス)がローマ統領(コンスル)に就き、政府閣僚(マジストテリアル)らに指令(インペリウム)し実行させた。(S・P・Q・R総人口)1,401,930(140万1930人)。(私とローマ政府は)7.000人(7千人)に対し「市民登録&神話洗礼式」(入国許可)を行う。私は、(疲弊した)古き法律を廃止したり、私と私の後援者(パトロンパトロヌス)や、私たちの先祖からのその他大勢の観衆に適応できる新たな法律を作りました。※私は、私のことを模倣する後世のために、多くの先例を提供(と記録)をしておきます。※Ⅷ2


※Ⅷ1近代以前の古代社会や中世ヨーロッパ、ギリシャ・ローマ神話、三大宗教(ユダヤ・キリスト・イスラム)では、入信した人が同時にその社会や住人になるという価値観が常識のようだ。また近代国家以前では国家や政府に関しても重要視していない。これを日本で理解されるのは難しい。カルトにはまる人は分かるかも知れない

※Ⅷ2人口については、少ないような感じもする。でもローマ総人口1000万超えたことはないのだろう。人口を増やす事は難しいです。


【Ⅸ】5ヵ年ごとの元老院(セナートス上院)の政令布告式は行われます。その誓い(公約)(の式典は)、ローマ統領(コンスル)と旧ローマ神話司祭(サチェルドス)達が私の体調に合わせて行ってくれました。また、これらの誓いの履行(公約実現)において行われた、パーティゲームでは。旧神話司祭(サチェンドス)が(経営する)4つの著名なカレッジ(聖堂の会場、現訳大学の講堂・大会宮殿)に彼ら(元老議員)や、時には、ローマ統領(コンスル)が主催して行われました。また、両方の個人(男女のローマ市民)や全ての市民(下院会議・コミティア)は全会一致で「私の健康の継続」をパンテオン万神殿)で全員で祈ってくれました。



【Ⅹ】 元老院(セナートス・上院)は(私を神格化すべく)、カルメン・ザーリアの式典での賛美歌の中に、私の名前(カエサル・オクタビヤヌス)を含ませようとしました。(元老院は)私が生きている間は、私(という存在)が永遠に神聖であるとというかその可能性について示唆し、(私の神格化を決議しようとしていました。)しかし私はこれをVETO拒否権・拒否・ヴェトー)しました。なぜなら、トリブキア・ポテスタキース(最高の護民官(護民官(元首)というより護民官(10数人))は、すでに法律(ローマ法)によって「神聖な存在」と(規定)されているからです。私はすでにそれ(最高の護民官(元首))なので、神聖です。(また、ローマ市民は)は私が「生きたローマ神の化身的な国家最高司祭(ポンティフェクス・マクシムス)」に成ることに消極的※Ⅹ1なのです。私の父(ユリウス・カエサル)は。(独裁官ローマ総統)ディクタトールとして)、ローマ神話協会(組織)の行動(仕事・役割)を完全にコントロール(統制化)においていました。私は、彼(カエサル)の死のニュース報道)をプブリウス・スルキピウスとガイウス・ヴァルギリウス、彼らローマ統領らから聞きました。(後任としての)私(オクタビヤヌス)はかつて(ローマ総統カエサル、が取り上げていた)聖職者の選挙権など諸権限を、旧ローマ神話協会に戻しました。ところが、『ローマ市全土で聖職者選挙権が再び出来るようになった』というニュースが誤って伝わってしまいまして。イタリア中から多数の立候補者が乱立し、数年間混乱しました。しかし私たちはこの混乱を元に戻しました。





※Ⅹ1『余は神であるぞ』など論外で、偉大な存在として銅像を立てる事も論外らしい。






【ⅩⅦ】私は「上院財務長官」(閣僚。セナトス・クワァエストル)を4度就きました。私が給料を与える存在(スタッフ)は500~1000人とか沢山いました。その中で、マーカス・レピドゥスとルシウス・アルキオーはローマ統領(コンスル)を17回も就き、長い時間(17年)も私の業績を上げてくれました(支えてくれました)。私のアドバイス助言)によって設立されたローマ軍の金庫についてですが、20年以上(25年)務めた兵士に対してそこの(金庫)から支払われるべきであるという事です。





【ⅩⅣ】私の可愛い息子達、幸運で名誉あるガーユスとルキウス・カエサルと同級生の少年たち(親衛隊少年団、ユーベント)、少年(ガイウス、ルキウス)は14歳の時に私に変わって、5年後閣僚(マジストテリアル)に明記(就任)する前に準備として「副ローマ統領(予定執政官)」に就任しました。彼らはフォーラム(公会広場、コミティア、市民会議(下院)会議場)に案内された日から、(下院会議)に参加する必要があります。(下院会議)で彼ら(ガーユスとルキウス)と同級生の若者(親衛隊少年団)らにローマ軍騎兵と同じ銀の盾と槍の作品(記念としてプレゼント)する事を決議しました。その事は※ローマ・ユニバーシニティ(ローマ公園公会堂。現訳:大学(ローマ大学))※3に記録してあります。





【ⅩⅧ】 プブリウス・レントゥルスローマ統領(コンスル)の年に、税金「10万(貨幣)」か「由来穀物」(に対する政策のため)「私の穀倉地帯」(彼(アウグストゥス)が所管する共和国の領土・皇帝属州」を多くの男性(市民労働者)に使えるようにしました、これらを多くの人々(労働者や他の人々)もお金や穀物を(作れるように開放しました。)また、歴史的遺産(宮殿お城※2)などを一般開放しました。


※2 エジプト属州の事を言っているのかもしれない、かつてのファラオ王宮ピラミッドなどを一般開放(観光化)したようだ。


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