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アメリカ独立戦争の編集履歴

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アメリカ独立戦争

あめりかどくりつせんそう

アメリカ独立戦争は1775年4月19日から1783年9月3日までイギリスとそれまでイギリスの植民地であったアメリカ東部沿岸13地域および諸外国との戦争である

概要

 英語表記はAmerican War of Independence

 1775年4月19日から1783年9月3日までのグレートブリテンと当時植民地であったアメリカ東部沿岸の13のとの戦争であり、この戦いはアメリカ合衆国ではアメリカ独立革命(American Revolution)、または革命戦争(American Revolutionary War)と呼ばれる。

 戦争の全期間を通して、イギリスはその海軍の優越性によってアメリカ東海岸沿海を制し、海岸に近い幾つかの都市は占領できたものの、陸軍の兵力が数において少なく、また広範囲に配置しなければならなかったため層が薄いために支配地域は限られたものになった。

 この戦争により植民地の者達がイギリスの支配を拒否しアメリカを政治的独立に導くことに成功し、またヨーロッパ近代への移行にも大きな役割を果たした。

流れ

 この戦争が始まるきっかけとなったのは、イギリスがアメリカ大陸における権益確保のための戦争のため、財政的な余裕がなくなり、植民地に税負担をかけたことがあげられる。

 これに対し植民地側は猛反発し、イギリスの一部では和解の声が上がったものの、国王および首相はそれを無視。

 1775年、レキシントン・コンコードの戦い( レキシントンに派遣されたイギリス軍をアメリカ民兵が襲撃した戦い、数において劣勢だったイギリス軍は撤退 )によりこの戦争は始まった。

 戦争はボストンニューヨークカナダなどで行われた。

 イギリス軍は正規軍のほかにドイツ傭兵先住民王党派( アメリカ国内で国王に対する忠誠を誓って結集してくる人々、ただしこの戦争では逆に足を引っ張った可能性も否定できない )も用いた。

 一方革命派は民兵情報、そしてライフルを用い13植民地政府の全てを掌握すると共に、政治と立法を主に担当する第2回大陸会議で軍事を担当する大陸軍(Continental Army)を発足させ、司令官としてジョージ・ワシントンを任命。

 翌年の1776年7月4日に、トマス・ジェファソン( 政治家、第3代アメリカ合衆国大統領ラシュモア山の左から二番目の人 )らによって起草されたアメリカ独立宣言を採択し、イギリス本国からの独立を宣言。

 1777年、アメリカ大陸軍がサラトガの戦い( ハドソン川の支配権を巡る一連の戦いの最後を飾るものであり、フリーマン農場の戦いベミス高地の戦いに分けられる、イギリス軍は連携のミスにより単独行動となり各個撃破された )でイギリス軍のジョン・バーゴイン将軍( 軍人および劇作家、政治家 )を降伏させ、勝利した。

 1778年、サラトガでの勝利の報を聞いたフランスは、それまでもアメリカ側と輸入などの面で親密であったが、これをきっかけに同盟条約を結び、フランスがアメリカ側に付いて参戦した。

 またスペインネーデルラント連邦共和国も同様に2年以内にアメリカ側に付いた。

 これによりヨーロッパから義勇軍が多数派遣されるようになった。その中にはフランスラファイエット侯爵( このほかにもフランス革命初期のフランス人権宣言起草などで知られる )や、ポーランドタデウシュ・コシチュシュコ( コシューシコ、ポーランドの貴族、政治家、後にポーランドの独立のために働き、ポーランドおよびリトアニアでは英雄あつかいである )などが存在する。

 またロシアもイギリスに対抗し武装中立同盟( イギリスの海上封鎖に対抗するための同盟であり、スウェーデンデンマークプロイセンポルトガルが参加 )を成立させた。

 1781年、フランス海軍がチェサピーク湾の海戦( ワシントン州に存在する南北に細長い湾であるチェサピーク湾イギリス海軍が入ろうとしたところフランス海軍に攻撃を受け戦闘となるも、結果は引き分けであったが、そのすきにフランス海軍の援軍が到着していた。スペイン無敵艦隊を破ってから第二次世界大戦までのほぼ400年間で最も重大な敗北 )が引き金になり、アメリカ大陸軍はヨークタウンの戦い( イギリス軍の最後の拠点であったヨークタウンを大陸軍およびフランス群が2倍の兵力で包囲、援軍も遅延のため到着できなかった )でイギリス軍を降伏させ、実質的な戦闘は終わった。

 そして1783年のパリ条約で戦争が終結となった。

 この条約によりイギリスは、13植民地の独立を正式に承認した。また、ミシシッピ川より東をアメリカ領とした。

 さらに、ヴェルサイユ条約( 第一次世界大戦の同一名の条約とは別 )により、フロリダがスペインに、セネガルがフランスに割譲された。

 また、これをきっかけとしてオランダとイギリスは戦争していたが、これも翌年のパリ条約により終結。

他地域への影響

 この戦争はアメリカだけではなく、他の地域にも影響を与えている。

  • メキシコ湾方面でも戦争が行われたが、戦争後支配権は元に戻されたものの、スペインベルナルド・デ・ガルベス伯爵の活躍により、フロリダを占領、その後の両雄が認められた。
  • ヨーロッパにおいてはスペインはジブラルタル( アフリカ大陸の北端にある地域、スペインとともに地中海の出口となる。 )および地中海のスペイン寄りにあるメノルカ島を攻撃、メノルカ島の奪回に成功( 後に領有を認められる )。
  • インドにおいてはマイソール王国とイギリス東インド会社の戦争が発生、これにフランスも加担し、マイソール王国側は引き分けまで持ち込んだ。
  • オランダはイギリスに戦争を仕掛けられ、インドの領土を包囲され、のちに割譲することとなった。

そのほか

 アメリカ独立宣言を採択した7月4日はアメリカ合衆国では独立記念日として現在も祝われている。

 フランスはこの戦争によりイギリスほどではないが戦費を費やし財政が危険状況となった。これはフランス革命の一因となった。

 アメリカ独立宣言はヨーロッパにおける革命のモデルとなり、フランス革命18世紀ポーランド分割レジスタンス運動にもつながったとされる。

関連タグ

独立戦争 アメリカ合衆国 イギリス ジョージ・ワシントン 草の根の愛国者たち

参照

wikipedia:同項目およびリンク先

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