概要
基本的に男性中心の軍隊などでは、特に戦争中においては過酷で隔離された環境下にいることが原因なども重なり、ストレスなどから強姦などの犯罪が発生する。
また、管理されていない現地の売春宿や強姦による場合、性病などの病気の発生や現地住民からの敵意が発生するなど問題が発生することがある。
そこで性欲処理を行ってストレスを緩和し、性犯罪を防止することおよび軍人の健康維持および住民からの敵意緩和のため、戦地に国内および植民地、場合によっては現地より売春婦が派遣され利用されることがある。こうした戦地や軍の基地、あるいはその周囲で働く売春婦を『戦地売春婦』『戦場売春婦』と呼び、『慰安婦』とも呼ばれた。
慰安所自体は軍主導の場合があり、その場合現地兵士の要求と中央からの要求が存在し、場合によっては支配地域主導のものも存在することがある(これは軍人等による強姦防止のためである)。
歴史等
軍人の慰安(心をなぐさめ、労をねぎらうこと。また、そのような事柄)のためのこの制度は近代的公娼制度の発生と同時に発生したとされ、おおむねナポレオンの時代から19世紀前半のことであるといわれる。
ところが公娼制度は女性の権利拡大とともに批判されるようになり、イギリス(ただし植民地を除く)を皮切りに各国で廃止された。
第一次世界大戦においては兵士による現地住民への強姦が問題となり、アメリカでは女性の人権などないような行為(兵営5マイル以内では女性を逮捕可能かつ性病が発見されれば強制収用)を兵士の保護のために行ったとされる。
第二次世界大戦における慰安婦と売春
第二次世界大戦以前においては公娼制度の廃止は進んでいたものの、いまだ一部の国(1930年代の時点では日本、オーストラリア、イタリア、スペインなど)にて公娼制度は認められており、私的な売春は合法(なお現在でも合法、あるいはいったん非合法化されたもののものの合法化された国が存在する、ちなみに日本国においても管理売春、すなわち売春させることは禁止され罰則はあるものの単純売春は勧誘行為や場所の提供を除き禁止はされるが罰則はない)の国は多く存在した。
そのため各種事情により、少なくない国の軍隊およびその周辺には慰安所が設けられていたとされる(具体的に軍の上層部が関与するタイプの慰安所はドイツやフランスなどであり、自由恋愛の建前で現地の売春婦を利用、場合によっては強姦(犯罪)を行うのはアメリカやイギリスの本土軍など。なおソ連などは敵国の女性を戦利品とする「戦地妻」を容認し、「わが軍兵士のふるまいは絶対に正しい」と支配者が公認としていたため現地住民の強姦によりまかなったとされ、強姦防止のため占領地域において現地にて慰安所が作られた事例が存在するとされる)。
要求の違い
現地の兵士による要求の場合、主として現地の住民から彼女たちが提供され、これは現地に存在した売春宿の借り上げであったり、現地女性を鹵獲する場合なども存在する。また、軍中枢は現地軍の行動を黙認している場合と、現地軍が勝手に行っている場合が存在し軍中枢はまったく関与していない場合が存在する。
(だからと言って中枢部の責任を問わなくていいと言うわけではなく、むしろ『監督不行き届き』としてより一層厳しく問われることが多いが。)
中央からの要求の場合、国内および植民地(本国よりも貧困者が多く、安価に集めることが可能、また法律も本国と異なり集めやすいことがあるため)などから彼女たちが供給されることが多いが、場合によっては現地徴収を行うこともある。彼女たちの徴収方法はさまざまである(慰安所の経営元が募集をかける場合もあれば詐欺的徴収、あるいは強制的という場合も存在する)が、基本的に彼女たちを管理するのは基本的に売春宿の経営者、あるいはその知識を持つ軍人軍属であるとされる。
現地の要請の場合、占領軍による強姦が発生しているということであり、あまり軍人としては誇らしいものではない。ただし、ノルマンディー上陸作戦後のフランスにおいてアメリカ軍兵士による強姦が頻発した際現地では慰安所の設立を請願したものの、アメリカ軍により拒否された事例も存在する。
これらが複合した状況も存在し、同じくにの軍隊であっても状況が異なる場合が存在している。
また慰安所設立の行動が異なる軍隊が別になると問題が発生することがある。たとえばベトナム戦争においては大韓民国が慰安所を設立し国内から彼女たちを連れて行こうとしていたところアメリカ合衆国が反対、結局現地娼婦を使用するも不足したため強制的に事例がいくつも発生したらしく、ライダイハンの問題が発生する一員となっている。
従軍慰安婦
彼女たちは特に陸軍が主導した場合軍隊に付き添い、慰安所経営者は軍属(軍人以外で軍に所属する人間)扱いとして軍隊に属する事例が存在するとして、この場合彼女たちは「従軍慰安婦」と呼称すると言われることがあるが、これは戦後にできた造語であり、日中戦争および太平洋戦争の時点では存在していなかった言葉である。
類似した言葉として「従軍記者」(戦時中の軍隊ともに行動し、報道を行う記者、日本では近代には発生したといわれる)、「従軍看護婦」(日本では日清戦争で制度として決められたが、第一次世界大戦にて外地で活動)などが存在するが、当時はすでに実績も存在し、用語として存在している。
勿論、実態としての「慰安婦」が存在していないわけでは断じてなく、水木しげる氏(一兵士として南方戦線に従軍した経験あり)の経験を元に著した「総員玉砕せよ!」などの作品側によれば、「人権、何それおいしいの?」とでも言いたくなるほどの酸鼻を極める惨状であったとの事。
(水木氏自身は『性病が怖くて利用出来なかった』との事。)
挺身隊
なお、大韓民国における挺身隊は実際には複数の意味があるが、時々すべてが日本軍の慰安婦であると誤解されることが存在する。