概要
15回に及ぶ損傷に耐え、太平洋戦争序盤の苦しいアメリカ海軍を支えた。
第二次世界大戦における最殊勲艦とされる。
愛称は「ビッグE」の他、「ラッキーE」「グレイ・ゴースト」「ギャロッピング・ゴースト」など。
来歴
1936年10月3日、ニューポート・ニューズ海軍造船所で進水。
真珠湾攻撃
1941年12月8日の真珠湾攻撃の当時は第8任務部隊司令官ウィリアム・ハルゼー中将の旗艦としてウェーク島に航空機の運搬中で、ハワイ西方約320kmの地点にいた。日本軍の捜索にあたったが、発見できなかった。
12月10日、オアフ島近海で第6偵察飛行隊(エンタープライズ所属)のSBDドーントレスが日本潜水艦「伊70」を発見、これを撃沈している。
東京初空襲
1942年4月18日に日本本土空襲の為にジミー・ドーリットル中佐率いるB-25爆撃機を発艦させた「ホーネット」の護衛艦隊にハルゼー提督の旗艦として参加。
珊瑚海海戦
30日、真珠湾を出港し全速で珊瑚海に向かったが、5月8日の珊瑚海海戦には間に合わなかった。
ミッドウェー海戦
5月28日、日本軍の来襲についての情報に基づき、第16任務部隊司令官レイモンド・スプルーアンス少将の旗艦として「ホーネット」と共に真珠湾から出撃。ミッドウェー島北方海域へ向かう。30日には修理途中の迎撃艦隊及び第17任務部隊の旗艦である「ヨークタウン」も出撃。日本海軍潜水艦が哨戒線につく前に配置につき、連合艦隊を待ち受けた。
6月5日、アメリカ海軍3空母の艦載機が、南雲機動部隊の4空母を攻撃。雷撃隊の攻撃は失敗に終わったが、「エンタープライズ」艦爆隊が「加賀」と「赤城」、「ヨークタウン」艦爆隊が「蒼龍」に爆弾を命中させ、炎上させた(後に雷撃処分)。
雲に隠れて無事だった「飛龍」の反撃で「ヨークタウン」が二度に亘る被害を受け、伊168に雷撃されて沈没したが、「飛龍」も「エンタープライズ」と「ヨークタウン」の艦爆隊の攻撃で炎上し、雷撃処分された。
第二次ソロモン海戦
8月24日、第二次ソロモン海戦では「サラトガ」艦爆隊が「龍驤」を撃沈するが、「エンタープライズ」は「翔鶴」艦爆隊から爆弾3発を受けて大破し、トンガタプ島で工作艦「ヴェスタル」による応急修理を受け、真珠湾に後退した。
南太平洋海戦
10月26日、第16任務部隊司令官トーマス・キンケイド少将の旗艦として参加した南太平洋海戦では「ホーネット」艦爆隊が「翔鶴」を大破させ、「エンタープライズ」艦爆隊も「瑞鳳」を中破させるが、「エンタープライズ」も中破し、「ホーネット」を残して退避した。日本側の3次に亘る攻撃は「ホーネット」に集中し、大破炎上。雷撃処分を試みるも沈まず、漂流し、日本側に雷撃処分された。
ソロモン諸島周辺で稼動可能な空母が一時的にゼロになり、「史上最悪の海軍記念日」と呼ばれた。
第三次ソロモン海戦
「エンタープライズ」は11月11日までニューカレドニア島で工作艦「ヴェスタル」による応急修理を受けていたが、ガダルカナルの戦況が危険になったため、「ヴェスタル」の要員を載せたまま急行し、13日、ヘンダーソン飛行場へ艦載機を送り込んだ。
F4F6機・TBF15機は、ヘンダーソン飛行場への道中で操舵不能の戦艦「比叡」を発見し、雷撃を行った。「エンタープライズ」隊からの情報でヘンダーソン飛行場から基地航空隊が出撃し、「比叡」に損害を与えた。
14日、ヘンダーソン飛行場を砲撃した帰途の日本海軍外南洋部隊を空襲し、重巡洋艦「衣笠」を撃沈するなど損害を与えた。
4年ぶりの帰国
1943年7月20日、ブレマートンのピュージェット・サウンド海軍造船所に入港した。修理の他、バルジ増設、対空兵装増設、消火設備の充実、新艦戦F6Fの配備などが行われた。
10月31日にブレマートンを出港し、11月6日に真珠湾に到着。
中部太平洋戦線
アメリカ海軍の中部太平洋での進撃が始まり、「エンタープライズ」もマキン上陸、ガルヴァニック作戦、マーシャル諸島沖航空戦、トラック島空襲などに従軍した。
マリアナ沖海戦
第58任務部隊第3群司令官ジョン・リーブス少将の旗艦として1944年6月11日からサイパン、グアム、ロタを空襲して、6月15日に始まったマリアナ諸島への上陸作戦を支援した。
マリアナ諸島を防衛するため日本軍機動部隊が出撃し、19日よりマリアナ沖海戦が始まった。
「エンタープライズ」の攻撃隊は空母「龍鳳」、「隼鷹」、「飛鷹」を攻撃した。「飛鷹」は「レキシントン」(CV-16)艦攻隊の攻撃により沈没。
台湾沖航空戦
8月4日、真珠湾で修理中の「エンタープライズ」に新艦攻SB2Cが配備された。
10月7日、空母「フランクリン」、軽空母「ベロー・ウッド」、「サン・ジャシント」らと第4群を編成し、10月10日に沖縄、12日、13日に台湾、15日からフィリピンを空襲した。
反撃した日本陸海軍の基地航空隊が大戦果を報告し、10月19日、「空母19隻、戦艦4隻、巡洋艦7隻、艦種不明15隻撃沈・撃破」の大本営発表が行われたが、実際の被害は皆無であった。
レイテ沖海戦
10月20日、アメリカ軍はレイテ島に上陸。アメリカ軍の進攻阻止のため日本海軍は多くの艦艇を投入した。
10月24日のシブヤン海海戦では第38任務部隊第2群(「イントレピッド」、「カボット」)、第3群(「レキシントン」(CV-16)、「エセックス」)、第4群(「フランクリン」、「エンタープライズ」)の空母による5次に亘る空襲が行われ、後に戦艦「武蔵」が沈没した。「エンタープライズ」は第4次攻撃に参加した。
硫黄島の戦い
12月、「エンタープライズ」は夜間空母となる。
1945年2月16日より「サラトガ」と共に東京を夜間に空襲する。
2月19日からの硫黄島の戦いで第58任務部隊の防空を担当したが、21日に「サラトガ」が神風特攻を受けて離脱し、夜間空母は「エンタープライズ」だけとなり、苦しいやりくりが続いた。
日本海で日本軍輸送船を掃討中の3月18日、日本海軍機の500キロ爆弾が命中するが、不発弾だった。
3月20日、友軍誤射により40ミリ機関砲が爆発。甲板に整列していた艦載機が次々と誘爆し大火災となった。1時間以内に鎮火したが司令塔の機能を喪失し、ウルシー環礁に帰還し修理を行った。
沖縄戦
4月5日、沖縄戦を支援するためウルシー環礁を出撃した。
4月11日、左舷後部に突入しようとした特攻機を撃墜したが、爆弾がバルジの直下で爆発した。浸水は免れたが、船体各所に損害が発生した。任務を2日間継続後、ウルシー環礁に帰還し修理を行った。
5月11日より損傷した「バンカーヒル」より第58任務部隊司令官マーク・ミッチャー中将の旗艦を継承、14日、26機の日本機が飛来。特攻機1機(富安俊助中尉搭乗の零式艦上戦闘機)の直撃を受け大破炎上するが、17分で延焼を食い止め、30分で火災は消火。速度を落とすことなく旗艦として部隊の配置を守り続けた。15日、「エンタープライズ」は旗艦から外され、16日に任務部隊を離脱した。富安中尉の遺体がエレベーターホールの下で発見され、水葬に付された。
これが最後の戦闘になり、6月7日、ピュージェット・サウンド海軍工廠に到着し修理を受けた。
また、終戦後に乗組員が富安中尉の遺族を探し出し、彼の零戦の部品が遺族に引き渡された。
不沈空母とも言うべきエンタープライズを決死の特攻で大破させた富安中尉は、乗組員の間で「トミ・ザイ」と呼ばれ、彼は海軍関係者から「彼はこれまで日本海軍が3年かかって出来なかった事を、たった一人で一瞬の間にやってのけたのだ」と称賛の言葉を受けた。
戦後
終戦後は復員任務に従事して1万人以上をアメリカ本土へ輸送した。
記念博物館として保存する運動が行われたものの資金が集まらず、1960年5月、スクラップとして解体。
艦名はCVN-65(2012年12月1日退役)、CVN-80(建造予定)に受け継がれている。
関連タグ
エンタープライズ 空母 アメリカ海軍 ヨークタウン級 エンタープライズ(CVN-65) エンタープライズ(CVN-80)