概要
永禄4(1561)年、福島正信の長男として尾張国海東郡二寺村(現在の愛知県あま市)に生を受ける。母は正信の正室で豊臣秀吉の叔母にあたる木下氏。幼名、市松(いちまつ)。
天正6(1578)年、播磨国の三木城攻略戦において、秀吉の小姓衆として功名をあげて以降、秀吉旗下として各地を転戦。5年後の賤ヶ岳の戦いでは「賤ヶ岳の七本槍」筆頭として勇名を馳せる。
天正13年、従五位下左衛門尉に任ぜられ、左衛門大夫正則(さえもんのたいふ-)と名乗る様になる。
秀吉死後の慶長5(1600)年、関ヶ原の戦いでは徳川家康側につき東軍の先鋒第一番手として、西軍の宇喜多秀家隊と交戦し、東軍勝利に貢献。
戦後は毛利氏の居城であった広島城を与えられ、安芸・備後を領する広島藩の藩主となるが、元和5(1619)年に行った広島城の修築の件を幕府に咎められ、信濃・越後に転封されて、川中島の高井野村(長野県上高井郡高山村)に蟄居する。
翌年、息子・忠勝の早逝に伴い越後領を返還し、寛永元年に正則も没する。
この際に、幕府検使・堀田正利の到着前に遺体を火葬してしまった事で、高井野藩は廃藩処分となってしまった。
人物・逸話
戦場では決して敵に臆さず武勇に長けていた一方で、短気で乱暴者でもあったという逸話に事欠かず、幼少期に家業である桶職人の修行をしていた頃、喧嘩相手の大人をノミで刺殺したことがあるという。また、安芸広島に入国した際に地嵐に見舞われたことに対し怒り、乗っていた船の船頭を斬り捨てている(当然、自然現象など船頭の知るところではない)。他者を軽んじる発言も多く、ときには加藤清正から咎められることもあったようだ。
また、かなりの大酒飲み・酒乱でもあり、記憶を失うほど泥酔して起こした失敗談も多い。あるときは酒に酔って家臣に「切腹しろ」と命じ、翌朝我に返り死んだ家臣の御首に泣いて詫びたこともあったという。有名所では、仕事で訪れていた黒田家臣・母里太兵衛に大盃に注いだ酒を飲み干すように強要し、その末に秀吉から拝領した天下三名槍の一つ「日本号」を取られてしまう『黒田節』の逸話が存在する。
こうした逸話の数々や、文治派である石田三成との対立などの経緯からか、後世の創作作品では「武勇に長けるが智謀に乏しい猪武者」として描かれることも少なくないが、ときには家臣のために自身の軍功や名誉などをなげうつ気概もみせている。戦後はキリシタンの保護政策を続けたり、西軍に関与した戦没者を弔う海福院を建立している。
基本的には誰に対しても臆せず豪放な人物であったようだが、茶人・千利休については初めて茶会に参加した際に「今までどんな強敵にも怯んだことは無かったが、利休と向かいあっているとどうも臆したように覚えた」と発言している。また、女性問題を起こした際には妻の昌泉院に薙刀で斬りつけられ、このときばかりは慌てて逃げ出したという。
創作物での福島正則
戦国無双シリーズ
CV:藤本たかひろ
無双奥義・奥義皆伝の文字:『喧』『漢』
『3猛将伝』からプレイアブルキャラクターとして登場。武器は刺棍。
秀吉子飼いの若武者。共に育った加藤清正を兄弟の様に慕う一方で、石田三成とはソリが合わず、彼を「頭でっかち」と呼んだりと喧嘩が絶えない。そのことでよくねねからお説教されている。
喧嘩っ早く単純な性格だが、情に厚く涙脆い面がありどこか憎めない。
普段仲の悪い三成のことも内心は大事な家族として認めており、時勢で敵対した際も「本当は戦いたくない」という気持ちを漏らしている。
史実に倣って酒癖も悪いようで、『4』の流浪演舞及び『4Empires』ではベロンベロンに酔った口調で他人に絡むイベントも存在する。
リーゼント風の髷や黒長ランのような甲冑など、一昔前のヤンキー(不良学生)を彷彿とさせるデザインをしており、うんこ座りの立ち絵グラフィックや作中での口調などもそれに拍車をかけている。
なお、このデザインは『ポケナガ』のマサノリにも引き継がれている。
『4』では襟が高めの白い羽織りを袈裟懸けに羽織っており、どことなく暴走族の特攻服のようにも見える。また本作から額当てを着けているが、帯の結び方が酔っぱらいの「ネクタイ鉢巻」のようになっている。
因みに戦国無双4トレジャーBOXに同梱されているイラスト集及びアニメにてリーゼント風の髷をおろした姿を披露しており、ファンの間では「かっこいい」と好評。是非とも髷をおろした姿でPC化して欲しいという意見もある。ただし本人はこの髪型に並々ならぬこだわりがあるようで、『4Empires』の一部イベントではこの髪型を流行らせようと、自作自演で目安箱に意見を投入したことがある。
他作品においては、『無双OROCHI2』の甘寧とは武功を競い合う良きライバル(むしろ喧嘩仲間)になり、正則が「夕暮れの河原にでも行かねぇか」と誘えば、甘寧は甘寧で「朝の海にでも行かねぇか」となり、結果としては拳で語り合う仲になっていた(もっとも、この件に関しては呂蒙が「俺はなんだか頭痛がしてきた…。」と呆れていたが)。
また、源義経を一方的に慕い、舎弟になろうとしていた(しかし、女性に対して奥手な義経(露出度の高い衣装を着た女性陣にうろたえる程の奥手)を「可愛いー!」と茶化してもいる)。
ちなみに、『戦国無双2』では一般武将として登場していたが、ねねや三成と関わりがあるからか他の武将と比べて台詞が多い。CVは草尾毅さん(真田幸村と兼役)。
ねねの章の外伝「関ヶ原乱入」でのねねとのやり取りは完全に親に叱られる子供だった(このやり取りは『無双OROCHI魔王再臨』でもあるが、この時は『真・三國無双』側の勇将の声優であった田中大文さん(張遼役)による新録であった)。
関連イラスト
殿といっしょ
モブ武将として登場後、最終巻で名前が判明。やや唇が厚い。
短気な清正のストッパー役であるが、かなりの下戸で酔った時の失敗は枚挙に暇がない。また、嫁さんは尋常じゃないほど恐ろしい人物なようで、同僚の信繁からは同じく恐妻家である真田信之と比較されていた。
信長の忍び+軍師黒田官兵衛伝
清正や義継と共にねねのもとで修業を積んでいた少年武将。ガッチリ体型で丸顔。
清正と共に新入りの松寿丸(黒田長政)を鍛えた結果、彼がメチャクチャ喧嘩が強くなってしまい、軍師に育てたがっていた父・黒田官兵衛から怒りを買っていた。