香川県高松市を中心とした3路線(琴平線・志度線・長尾線)を運営する私鉄。
英称は TAKAMATSU-KOTOHIRA ELECTRIC RAILROAD Co.,Ltd. としている。また公的な略称は「ことでん」としている。ちなみに略称がひらがな表記である事や英略称を控えている事には理由がある(後述)。
概要
線路幅が標準軌であるところがほかの中小私鉄と異なる。特に前身3社のひとつであり実質上の存続会社となった琴平電鉄が「讃岐の阪急」を目指し、そして自称した挙句、実際に地元民に称されたため、標準軌採用や(当時の)都市圏規格級高電圧設備設置などイロイロとはっちゃけていた。
その名残は確実に現在のことでんにも継承されており、その様は明らかに香川県の誇る変態企業の一角、と言われる事も。そして、そのはっちゃけぶりによる資産が現在のことでんを救っている部分もある。
かつては大手私鉄や各地の中小私鉄からの種々の譲渡車両が集まり、「動く電車の博物館」とも称されたが、現在は車両の更新が進んでいる(なお入れ替えた車両も譲渡によるものである)。
更新後の運用車両は京浜急行電鉄、名古屋市営地下鉄、京王電鉄からの譲渡車両がメインとなっており、以降の車両も同様の運用が見込まれていることから、両社の鉄道ファンからは変わらず注目を浴びやすい。ちなみに、この車両譲渡は戦後すぐの大東急時代から行われているものであり、この事から一部マニアからは「讃岐(あるいは四国)の京急」との呼び声もあったりする。京急・名古屋市営は標準軌を使用しているため台車もそのまま使用可能。
譲渡車両中心の運用から部品の廃盤に悩まされることも多いと言われるが、その際には自社で代替部品を作り上げる事も少なくなく、車両を大事に使う・直して(改造して)使う・消費は極力避けるという方針が徹底されている。この点はおそらく近年どこの鉄道会社でも同じであろうが、ことでんは昭和戦後期の早いうちから行っていることは特筆できるものであり、それが後述の魔改造体質にも繋がっている。
香川県内では「ことでんの整備員は、技術者(開発者)以上に技術が要求される」とすら言われる事がある。
ところが1997年、とある都市圏の百貨店のせいで、余計な借金(いわゆる信用保証)を背負わされて民事再生法適用まで追い込まれてしまう。その際に昭和期の「地域の足」の立場に胡坐をかいた殿様経営体質から、うどん県民に「琴電(路線)はいるけど琴電(会社)はいらない」とまで呼ばれた。そのために地域経済が全力で経営支援と会社改革に介入する事となった。旧創業家だった大西家が経営から離脱するとともに、香川日産(日産ブルーステージ香川県域担当ディーラー)の創業家である真鍋家が経営に参画し社内体質改善を指揮。さらに、うどんを主たる商品とする食品メーカーの加ト吉(現・テーブルマーク)の創業家である加藤家・カトーグループも大株主のひとつとなっている。
- ただし2007年に加ト吉がJTグループに売却されたことから、ことでんの経営支援資産は加ト吉からカトーグループに移っており、現テーブルマークと現ことでんには資本関係は無い。
なお、民事再生法適用に基づく会社再建は2006年3月に完遂し、現在は安定した経営を行っているとされている。経営的にギリギリである事は再生法適用前と変わっていないが、少なくとも顧客対応に関しては改善されたとされる。
略称について
略称は公称上はことでん。かつては漢字表記の琴電あるいはカタカナ表記のコトデンもしくは英称略のTKRを使用していたが、これらに関しては漢字表記は戦時中の、カタカナと英称略は経営再建前の体質(過去の過ち)を象徴するもの、とされており公式には使用は控えられている。
が、そんなことなど知った事では無い地元一般市民(特にお年を召した方々)は「慣れているから」という理由で漢字カタカナ英略を引き続き使いまくっている。また漢字表記の「琴電」のみ、法律上の申請の兼ね合いからか、仕方なく駅名限定で使用されている場合がある。
路線など
上記の通り琴平線・長尾線・志度線の3路線を有する。
路線の集約するターミナル駅は瓦町駅。
車両工場は仏生山駅附設の仏生山工場(メイン。琴平長尾両線管轄)および今橋駅附設の今橋工場(サブ。志度線管轄)の2ヶ所。
注:この路線図には最新駅の綾川駅(琴平線。陶と滝宮の間)が無い。
なお高松築港駅と琴電琴平と琴電志度駅は、それぞれJRの駅に近く徒歩接続が可能(高松築港駅→JR高松駅、琴電琴平駅→JR琴平駅、琴電志度駅→JR志度駅)。ただし長尾線の長尾駅と平木駅だけは徒歩接続するJR駅が無い。
なお、バス停なら「長尾駅→大川バス本社(高松引田線)」がある。JR駅だと造田駅が一番近い。徒歩約40分。
琴平線
始発終着駅は琴電琴平駅と高松築港駅。
いわゆるこんぴらさん(金毘羅宮)への参拝旅客の輸送をメインとした旅客路線であり、ことでんにとっては最大の要となっている路線。
香川県内陸部から高松市郊外・中心部を一本で繋ぐ、香川県交通の大動脈のひとつである。
沿線に地域最大級のショッピングモールであるイオンモール綾川(綾川駅で下車)がある。
志度線
始発終着駅は琴電志度駅と瓦町駅。
四国八十八ヶ所遍路・第86番札所志度寺のある志度と高松市内を結ぶ路線。
路線全域においてJR高徳線と並走するため、運営が厳しいとよく言われる。
JRより停車駅の設定が多い事は、地域における乗降面を考えれば最大の長所であり、同時にスピード面を考えれば最大の短所でもある。
土日祝には輪行用の「サイクルトレイン」が運行されている。
Googleストリートビューで路線からの沿線画像が公開されている。
長尾線
始発終着駅は長尾駅と高松築港駅(書類名目上の高松側終着始発駅は瓦町駅だが、ほとんどの列車においては停車駅としてのみ設定されている)。ただし朝夕の各一本づつ、平木駅を始発終着駅とする列車が設定されている。
元は四国八十八ヶ所遍路・第87番札所長尾寺への参拝路線であったが、現在は高松市東にあるベッドタウンである三木町(長尾の手前。平木駅周辺)と高松市内中心部を繋ぐ生活路線として定義されている。
pixiv的に言うと『うどんの国の金色毛鞠』電車(通称:ポコ電)がメイン運用されている路線である。
築港線
詳細は築港線を参照
琴平線および長尾線のうち、相互乗り入れの共同運行区間(瓦町駅 - 高松築港駅 間)を指す通称。
歴史
1909年に高松電気軌道(現在の長尾線)設立。
1910年に東讃電気軌道(現在の志度線)設立。ことでん公式における会社設立年。
1920年に琴平電鉄(現在の琴平線)設立。
1943年に上記3社が対等合併し高松琴平電気鉄道となる。
(琴平線と長尾線が会社名に名を残す代わりに設立年を志度線が取る形となった)
1997年に旧そごうと提携しコトデンそごうを設立。
2000年に旧そごうグループが破綻して、そのアオリをもろに引っ被る事になった。
2001年12月に民事再生法適用を申請後、経営再建中。
2002年、イルカの「ことちゃん」をマスコットキャラクターに据える。
2005年、四国地方初の交通系ICカードとしてIruCaの供用を開始。
2011年、前身のひとつである東讃電気軌道の今橋~志度(現琴電志度)間開業以来100周年を迎える。
エピソード
- 現有3線の他に「高松市内線」と「塩江線」という2路線を持っていた。塩江線は琴平電鉄時代に有した路線であるが戦時中に台風被害に遭った後、財政難から再建が出来なかった上で軍部より不要不急線と見なされて鉄資材供出のため廃止に追いやられる。高松市内線はコトデン運営線唯一の路面電車だったが1945年7月4日に被った高松空襲の被害により壊滅し、戦後復旧都市計画の中で再建が望まれながらも計画(予算)上の様々な都合で廃線となった。
- 上述の通り「塩江線」を持っていたが、これは高松内陸にある温泉地であった塩江温泉と高松市内をつなぐ路線として設立されたものである。そして「讃岐の阪急」を目指していた琴平電鉄は塩江温泉の各旅館と提携して塩江温泉少女歌劇団を実際に設立させ地元旅館との合弁組織としてこれを所有していた。だが戦時中の娯楽統制とともに廃止となる。
- 塩江線の跡地の一部である安原駅〜岩崎駅付近は香東川自転車道(香川県道269号塩江香川高松自転車道線)の一部になっている。仏生山駅から伽羅土駅にかけても路線の一部が生活道路として残り、地域の人々から「ガソリン道」と呼ばれている。これは塩江線の車両がガソリン気動車であったため。
- 高松市内線の跡地は「香川県道173号高松停車場栗林公園線」(県庁前通り)として、ほぼ現存している。ただし瀬戸大橋通りから番町1丁目交差点までの区間は区画整理のために廃線跡そのものが消えている。
- 戦後すぐの輸送強化の目的で、高松琴平電気鉄道11000形電車を導入した事がある。この電車、元は国鉄のワフ25000形貨車を琴平の町工場で魔改造して客車化させたもの。この客車の存在を知った国は大慌てで運用するなら65km/hを超えるなとコトデンに通達している。標準軌なのでドイツなどの例を見るに1段リンクのままでも80km/h程度までは大丈夫なはずだが、狭軌鉄道しか運営したことのない鉄道省のノウハウによったためであろう。乗り心地に関してはお察しください。ちなみに3年で廃車となった……が、1991年まで倉庫として使われた上、その倉庫も取り壊したのちに仏生山工場の業務用無蓋貨車の材料としてリサイクルされた。
- 戦後混乱期を過ぎたあとも、国鉄からオハ31系を車体・台車込みで購入して改造したりしている(950形)。車体は作り直して戦後のわりと近代的な構造の電車となったが、台枠と台車を流用している。
- TR11台車は原設計の予定通り車輪を外にずらして標準軌化して使用、さらには台枠も前述通りオハ31の流用のため魚腹台枠のままで、ご丁寧にも正面にアンチクライマーまで残った写真が伝わっている。
- 上述の通り戦後すぐの頃、大東急から車両を譲り受けたことでんだが、その車両とは1913年製京浜電気鉄道29号形。1948年、ことでんに60型として入線した。本来なら5年近くで再起不能になるはずだった中古車両だったが、その後、剛体化改造や昇圧改造、台車換装、ATS取り付けなどを繰り返した結果として2007年まで、その最後の生き残りがことでんを走り続ける事となった。京浜電鉄時代から数える事94年間に渡る運用であり、これは日本の車両運用歴においては最も長期間の運用であったと言われている。現在はその最後の生き残りとされる60型62号(運用期間は89年間)が高松空港隣接の高規格児童公園「さぬきこどもの国」にて静態保存されている。
現役車両
動態保存車:1000形120号 3000形300号 5000形500号 20形23号
ほかの3両は琴電オリジナルだが4ケタ形式なのに3ケタ番号であることにツッコミを入れてはいけない。多分。
600形800番台:2両固定編成の600形を1両ずつにして増結用車両にした。
700形:名古屋市営地下鉄より移籍。
※この3形式の種車形式はバラバラ。
1080形:もと京浜急行電鉄1000形(初代) 2018年4月からは京急ラッピングを実施(復刻塗装ではない)。
1100形:もと京王電鉄5000系 琴電入線に際し台車交換を実施。
1300形:もと京浜急行電鉄1000形(初代) 在来車と連結できない仕様。
1200形までは主幹制御器をHL式に交換(主制御器自体はそのまま)でいわば「見做しHL制御」と言うべき構成とし、長年に渡って自動加速車と手動加速車を混用し続けてきた。
運賃
区間 | 対キロ数 | 運賃 |
---|---|---|
1区 | 4.0km | 190円 |
2区 | 4.1km~6km | 240円 |
3区 | 6.1km~8km | 320円 |
4区 | 8.1km~10km | 350円 |
5区 | 10.1km~12km | 380円 |
6区 | 12.1km~14km | 410円 |
7区 | 14.1km~16km | 440円 |
8区 | 16.1km~18km | 470円 |
9区 | 18.1km~20km | 500円 |
10区 | 20.1km~22km | 520円 |
11区 | 22.1km~24km | 540円 |
12区 | 24.1km~26km | 560円 |
13区 | 26.1km~28km | 580円 |
14区 | 28.1km~31km | 600円 |
15区 | 31.1km~34km | 620円 |
16区 | 34.1km~37km | 640円 |
17区 | 37.1km~40km | 660円 |
18区 | 40.1km~43km | 680円 |
19区 | 43.1km~46km | 700円 |
その他割引切符
種類 | 大人運賃 | 子供運賃 |
---|---|---|
1日フリーきっぷ | 1,230円 | 620円 |
ことでん・JRくるり~んきっぷ | 1,960円 | 980円 |
ことでんおんせん乗車入浴券 | 1,000円 | 1,000円 |
ことでんすけーときっぷ | 1,500円 | 1,000円 |
ことでんシネマチケット |
| 1,300円 |
関連項目
IruCa:2005年に四国内で初めて導入されたICカード乗車券。
築港線:ことでんの長尾線琴平線相互乗り入れ区間(高松築港 - 瓦町 間)の通称。
うどんの国の金色毛鞠:コミックバンチ連載、pixivコミック配信中の漫画。長尾線でラッピング電車を走らせている。
伊予鉄道:こちらは愛媛県を中心に走る私鉄。