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楓(バケモノの子)の編集履歴

2021-02-13 00:56:47 バージョン

楓(バケモノの子)

かえで

アニメーション映画『バケモノの子』の登場人物。

CV:広瀬すず

「忘れないで…私たち、いつだってたった一人で戦っているわけじゃないんだよ」


概要

細田守監督のアニメ映画『バケモノの子』の登場人物。


都内の進学校に通う女子高生で、九太)が再び人間界に戻ってきたときに訪れた図書館で出会う。


成績優秀な優等生だが常日頃より勉強に明け暮れ周囲とは距離を置いており、中にはそんな彼女を快く思わず軽蔑の眼差しを向ける者もいる。また実家は裕福だが、両親に幼い頃から自身の気持ちを顧みてもらえず勉強を強いられたために関係は冷え切っており、お世辞にもその家庭環境は良いとは言えなかった(奇しくもそれら境遇はバケモノ界で暮らすとある人物と共通している)。故にいがみ合っているとはいえ常日頃から育ての親である熊徹と馴れ合っている九太の家庭環境を羨んでいる。


ある日、いつものように行き着けの図書館で自主勉強をしていた際に突然白鯨の中の「」という文字の読み方を尋ねてきた蓮と出会い、その後日頃から自身を疎んじていた不良高校生らから言いがかりをつけられ乱行を受けていたところを彼に助けられる。そして蓮から9歳より一切(人間界の)教育を受けていないことを知らされると、その知的好奇心を感じ取り、彼に人間界の勉学を教え込むことで蓮との交流が始まることになる。それによって初めて自らを必要としてくれる理解者を得たことで次第に前向きとなり、彼との関係が深まると蓮のおニューの服を一緒に買うなど、プライベートな付き合いもするようになる。そんな彼との交流によって次第に自主性が身に付いていき、高校を卒業した暁には実家を出て独り立ちをする決意をしている他、中盤で蓮が熊徹と実の父親と仲違いしてしまったことで情緒不安定となって自分に詰め寄った際には、意を決してそんな彼に強烈なビンタを食らわしたのち励みの言葉をかけたり、終盤での人ならざる怪物と成り果てた人物との決戦の際には、強大な力を持つ彼に物怖じすることなく堂々と前に出て叱咤するという勇敢な行動を見せた。


エピローグでは、渋天街で行われた世界を救った蓮を讃えるための盛大な祝賀会に多々良に呼び出される形で参加し、そこで彼が高認を受験する意思表示をすると、それに大喜びした。


かわいそう

劇中で本格的に関わるのは中盤だが、物語冒頭でも多数のモブに混じって幼少時の彼女と思われる少女が母親と思われる人物に手を引かれる形で登場している。


自らの都合を我が子に強要し続けた自身の親に反発し離叛する姿勢から、「親離れ」と「自主性の確立」をテーマとした後半の展開を象徴としたキャラクターである。しかしながら彼女の博学ぶりは他でもなくその両親が楓を勉学に励ませていたからこそであるために、九太が自主性を確立出来たのは間接的ながら彼女の親の恩恵でもあることは断言せざるおえない。


尚、その楓の親は父母共に直接登場しておらず、人物像も彼女の主観的且つ断片的な証言からでしか伺うことが出来ない。親子の関係性を主要テーマの一つとしている本作に於いて、実、義理問わず親が登場し尚且つ物語に於いて重要な役割を担う九太、一郎彦、二郎丸らの存在を踏まえると、楓は特殊であると言える。


名前である「」は花言葉の一つには、「美しい変化」という意味がある。上述のように、劇中九太との交流を通して親からの自立を決意するなどといった心境の変化が生じたことから、正に彼女を冠した名前であると言えよう。


存在に対する是非

鑑賞者たちの間では彼女の存在に対する疑問の声が散見されている。この意見については、否定派はもちろんのこと、肯定的な鑑賞者でさえ提唱、賛同をする声が湧出しているため、如何に楓の存在が鑑賞者の間で物議を醸しているかが伺える


最大の要因としては本作の後半に於ける青年パートで、九太が人間界のことについて学んでいく展開自体に違和感を感じなくないためであろう。そもそも本作最大のテーマは「九太と熊徹の種族を超えた成長と絆」であり、にも関わらずその九太が熊徹の影響下を離れ、新たな(それもバケモノとは対を成す人間の)分野を学んでいくことから、そのメインテーマに反してしまうように見えることは否定できない。実際本作に対する批判は、主に後半の展開に集中している。


最もそれを差し引いたとしても、楓の物語の関わり具合や劇中での行動、そして彼女のキャラクター性に対する批判もある


第一に九太に勉強を教えることを提案するシーンでは、楓は彼と出会うまで一切面識がなかった上に登場に多少の唐突感が否めなかったことから、第三者目線から見れば彼女の行動は不振に思えてしまう部分はある。


これだけならまだしも、恐らく彼女が悪印象を抱かせた決定打となったのは、クライマックスでの九太と一郎彦の死闘に巻き込まれた際の行動であろう


九太が自らの心の闇に侵され狂暴化した一郎彦を鎮静させるための闘いの準備の最終段階として、渋谷のセンター街で楓と待ち合わせ彼女に白鯨を手渡すと、意図せずして自分を追ってきた一郎彦と対峙。楓に危機が及ぶことを恐れた彼は彼女にすぐさまこの場から逃げるよう訴えかけるも、当の楓は一体何を考えたのか九太の手を掴んで離そうとしないという側から見たら妨害行為としか言いようのない行動に出たのである(おまけにこの時「離さないから」と言っている)。


その後紆余曲折あり代々木体育館で再戦となった際も九太は楓に逃げるよう促したが、寧ろ彼女は上記のように一郎彦を叱咤する行動に出た。いくら彼に怒りを覚えたとはいえこの時の一郎彦は世界を脅威に晒す力を持っている上に、九太の警告を平然と無視してしまっているため、自殺行為同然と見えなくもない。また彼女は一郎彦が暴走するに至るまでの経緯どころか、素性すらも一切知らないにも関わらずこの行動に出ているため、(描写を見た限りでは)何も知らないに上に実質部外者であるにも関わらず辛辣な言葉を言う楓に、それまで抱いていた不審さも相まってより一層嫌悪感を持ってしまうだろう。更に映画版では楓が終始九太に同行した理由が強調されていないために、彼女が場違いに見えなくもなくなってしまっている。


そしてエピローグの祝賀会のシーンでは、上記のように九太に高認の願書を見せつけ受験の意思を問うたわけだが、そもそもその場は飽くまで英雄となった彼を祝う為にある上、受ける意思を見せればそれは即ちバケモノ界との別れを意味するために、その行動は客観視すればあまりに非常識に写ってしまう。


他にも、中盤の九太の新しい服を購入するシーンでは小説版、及び漫画版で鮮明に描写されているが、なんと彼に有無を言わせずしかも自腹で買わせていたことが明らかとなった。余計なお世話だ。


このように、楓は客観的に伺うと不可解な行動を連発してしまっているため、否定派肯定派問わず鑑賞者たちからはいらない子呼ばわりされ不快を買われても致し方ないキャラクターとなってしまっている。正に近年ネット上で指摘されるようになった、ウザインヒドインといった「嫌われるヒロイン像」の一例であると言えよう(詳細はヒロインの項目を参照)。


しかしこれは作品の尺の都合から、後半の展開に至る経緯や、他のキャラクターと比較して彼女のキャラクター性の描写がかなり簡潔に済ませられてしまったが故の弊害である節があり、決して楓に落ち度があるわけではない


そもそも青年期の九太は自尊心と好奇心が芽生えた影響から自身の知らない分野を探求していた矢先であり、そんなバケモノ界とは対を成した人間界のことをよく知る楓は打って付けの人物だったのである。現に彼は彼女と出会ったばかりの際に、白鯨の中にあった単語をいくつか楓に尋ねており、それを見た彼女は上記の通り九太の知的好奇心を感じ取ったのである。即ち楓が彼に勉強を教えることを提案したのは、九太の知的好奇心に応えるためである


そして自らの必要性を感じるようになった彼女は次第に自らの在り方を見出すようになり、遂には幼い頃から自身と向き合わなかった両親と決別する決意を固めていた。これは即ち如何なる困難があろうとも親の支援なくして一人で生きて行くということを覚悟しているということである。出逢いと経験を通して強い女性へと成長していくその様は、過去の監督の作品ヒロインたちに通ずるところがある。


終盤の一郎彦との決戦での行動は、九太の手を掴んだことについてはこの時の楓の心情を推察するに、彼を失いたくないが故の行動である。彼女からしてみれば、九太は自らの在り方を見出させてくれた恩人であり、そんな彼が自らの身を危険に晒そうとするのであれば事情がどうであれ止めに入るのはなんら可笑しいことではない。第一楓はこの時までその事情をかなり断片的にしか九太から聞かされていないため事の深刻さを理解出来ていないのは当然であり、そもそもこういう事態になった原因は一郎彦が不意にその場に現れ結果として彼女が巻き込まれることになってしまったためであり、それを踏まえるとこの場で最も非があるのは無関係な楓(とその場にいた一般人たち)を理不尽に巻き込んだ一郎彦である。


代々木体育館に於ける叱咤については、確かに彼女は描写を見た限りでは事情を把握してはいないが、一方でこの時一郎彦が仕出かしていることは下手をすれば大勢の死者(それも上述のようにほぼ全員が彼の因縁とは一切無関係の罪なき人)を出しかねない凶行であり、その被害に遭う者からすれば理由はともあれこの上なく理不尽極まりない故に、彼女もまた周囲を躊躇わず暴走する一郎彦に怒りを感じることはなんら不自然ではない。第一彼は本来素直に自らの弱さを受け入れ他者を信頼し交流するなどしてそれを改善しようと試みていれば闇堕ちして暴走する必要などなかったのであり、そうした救済の可能性がありながら激情に流されるがままそれを自らの手で潰し凶行に出ているため、その点に関しては結局のところ同情の余地はなく、楓から厳しい言葉で叱責されるのも当然のことである。


何より彼女の境遇は社会的地位や家庭環境の面で一郎彦と共通しており、故に自らの気持ちを顧みてくれない親に見切りをつけて独力で生きていこうとする自分に対して、終始親の威厳に縋っていた彼を見たことも激昂の一因であると考えられる(再三記述するように楓がその事情を把握しているかは定かではないが、代々木体育館に移動するまでに九太からそれを聞かされている可能性は否定できない)。このことから、彼女はそうした方面で一郎彦と対比された関係性にあると言える


即ち、楓の一郎彦に対する叱咤は自らの逆恨みによる私怨で周囲の犠牲も躊躇せずに身勝手な暴走をし、尚且つ互いをカバーし合って弱さと至らなさを克服し成長した自身や九太と比較して、見栄と体面に終始執着して自らの弱さ、至らなさと向き合わなかった彼に対する義憤故である。そしてこの際に発した台詞は彼女及び九太と一郎彦との対比を表し、同時にこのシーンもまた楓が強い女性へと成長したことを印象付ける描写であると言えよう


エピローグでの九太に高認受験の意思を問うたことに対しては、この時の九太は「互いに切磋琢磨して武芸を極め熊徹を宗師にする」というバケモノ界での目標を達成していたため既に無闇に渋天街に居つく必要はなくなっており、故に自ら得た人間界という新たな居場所になり得る世界で、新たな目標を目指そうとしていたのである。即ち、エピローグは彼の渋天街からの旅立ちを表したパートであり、そのため楓のこの時の行動は彼のその決意を後押ししていると言えよう。無論渋天街の住民たちはこのことを熟知しているため、九太のこの選択を快く受け入れいる。


また九太が彼女に言われるがまま新たな衣服を購入する描写は、(手段はともかくとして)彼が熊徹の影響下を脱しつつあることを示唆している(実際見れば分かる通り、九太のそれまでの服装は熊徹から支給されたものである上に、彼のキャラクター性を色濃く反映されたデザインをしている)。


これらのことを総じて、楓は九太を熊徹から一人立ちさせ自主性を確立させるための重要なキーパーソンで、尚且つ家庭環境の面から一郎彦と対比されたキャラクターであるため、本作に於いて必要不可欠な存在である


しかし劇中では上記の通りこれらに関する描写が希薄であるため結果として鑑賞者に不可解な印象を抱かせかねない羽目になってしまい、結局のところ彼女の存在が本作の否の評価を生む最大の原因の一つとなっていることもまた事実である。


またその他の批判としては、「楓を演じた広瀬すずの演技が癪に障る」という指摘もある。この点に関しては個人差が大きい上に、彼女は当時10代半ばでキャリアも浅く、声優も本作が初めての経験であったことから、何とも言い難い意見である。ただし当人は当時『とんねるずのみなさんのおかげでした』に出演した際に照明スタッフを小馬鹿にしたと捉えられる発言が問題視されていた最中であり、それによって彼女へのヘイトを抱いていた人にとってはキャラクター性問わず楓が憎たらしく映ってしまうことは否めない。他にも、本作の公開前後より、アニメ映画や洋画吹き替えの主要キャストは客寄せの意図もあって本業の声優ではない知名度の高い芸能人の起用が行われることもあった故に、演技面等の理由から「作品の質が下がる」、「本職の声優を蔑ろにしている」などの批判がされることもあった。無論それは本作も同様であり、特に主要キャストの中で最も若く同時に案の定売れっ子の若手女優の一人であった広瀬女史へは、人気を狙った安直なキャスティングと捉えた人もいたであろう。


更に身も蓋もないことを述べれば、九太と一郎彦の関係性がこの方々にとって美味しい組み合わせであることから「真のヒロインは一郎彦」という突拍子もない意見もあり、楓からしてみれば自身のポジションを一郎彦に簒奪されるという屈辱的な憂き目に遭っている。その上それがあながち間違っていないことがまた悔しいところである。とは言え、一郎彦は物語序盤から登場し九太と最も対比された重要キャラクターである一方、楓は中盤からの登場で尚且つ上記の他のキャラクター達と比較しキャラクター性の薄さは否めないことから、そのような意見が出ることは致し方ないと言える。ただし楓を含め一郎彦と対比された他三人のキャラクターも同様ではあるが、再度記述するように両者の対比のポイントの一つに自主性の有無が挙げられ、その九太の自主性の発達には楓の貢献が必然であることから、二人の関係性に於いてもどの道彼女は必要な存在であることは間違いない。


何がともあれ、作り手の都合と演者の評判などといった要因から、本来のキャラクター性が受け手に伝わり切らず結果として在らぬ烙印を押されてしまった哀れなキャラクターである。


関連タグ

バケモノの子 九太


蓮楓…蓮(九太)とのNLカップリングタグ。


紺野真琴篠原夏希花(おおかみこどもの雨と雪)…いずれも監督ののヒロインポジションを務めるキャラクターで、様々な経験を経て強い女性へと成長するところが共通する。


ジョルノ・ジョバァーナ潮田渚…親に自身を顧みてもらえず一方的な教育を受けながらも、との出会いによってそれを脱し、自らの道を開拓していったキャラクター繋がり。


及川なずなレティシア(ルパン三世)後年に公開されたアニメ映画作品楓の中の人が演じたキャラクターたち。奇しくも、両者とも育てた人間からの抑圧から解放されるべく、自身に影響を与えた者と共に行動するところが共通している。

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