注意
本記事は特定の作品や脚本家を批判する事を目的とした記事ではありません。被害者・加害者として特定の作品名やクリエイター名を名指しするのは慎んでください。
概要
脚本・展開・演出の都合で「キャラクター達が以前の話がなかったかのような言動を取る」「前の話と矛盾した行動を取った為に無能のような事になった」「キャラ設定と一致しない行動」「高いポテンシャルを持っていたにもかかわらず不遇な扱い」などで消費者の望む展開にならなかった、キャラクターが不遇を被ったなどのケースで、このような呼ばれ方をされる事がある。
死亡・退場に至った場合は「脚本の犠牲者」とも呼ばれるが、こちらも作品の本義は無視され「キャラの死亡」そのものが芸や素材としてネタにされてしまうケースもある。
例えば…
- 制作スタッフが「このキャラクター(声優)が好き」と公言しており、それらがやたらと優遇され活躍し、結果別のキャラクターが食われる事になった
- キャラクターが不自然に無能やかませ犬、悪辣なキャラを演じさせられた。特にざまぁ系の追放する側がそうなりがち
- 設定や話だけ盛られていて、作中においては全く強さを発揮する場面がなく、説得力が皆無。これもざまぁ系の追放する側がなりがち
- 今後再登場や活躍する事を仄めかしていながら、終ぞその未来が訪れなかった
- 前の話で「慢心は禁物」と言ったキャラクターが、言ったそばから慢心して大ピンチ
- まるであらかじめ仕組まれたかの如く、流れるように死亡フラグを立ててキャラクターが死亡してしまった。あるいは、その死亡シーンに至るまでの描写が突っ込み所満載すぎて消費者からの感情移入が得られなかった
- 主役の心情・長所と、制作陣の描きたい方向性がズレ始め、どんどんチグハグな内容になってしまう
- 途中から上位互換にあたるキャラを登場させた結果、既存キャラの存在意義が薄れてしまい、どちらかがすぐに空気化する
- 以降の展開において不要または邪魔になった結果、全く描写されなくなったり雑な死亡を遂げる等、在庫処分の如く退場
- 状況を絶望的にしすぎて、作者自身にすら解決策が見出せなくなった
- 原作付きの作品の場合、キャラクターの行動および言動が原作とは少しあるいはだいぶ異なったものして描かれた結果、原作本来でのイメージが損なわれた
といった事例が挙げられる。
ただし、最初からそういうポジションとして設計され描写に唐突感のないキャラや、ルイージのように不遇だがファンの評価を下げる様な印象は持たれないキャラは含まれない傾向にある。
この場合のキャラクターは「登場人物」とは限らず、メカや組織、果ては演じていた俳優や声優なども含まれる場合がある。
また、キャラクターの行動について純粋に飽くまでそのキャラクターの行動と取るか、脚本のせいで設定にそぐわない行動をやらされているので好きでやっているわけではないと擁護するかで水掛け論となる場合もある。
なお「脚本の被害者」として扱われているが、実際には悪役や敵側のキャラクターといった「加害者」として描かれているキャラクターも存在する。
この場合、加害者は原作者・脚本家・監督・プロデューサーといった、『制作陣(=現実の人間)』という解釈だからである。
原因
このような事になってしまう原因は様々である。
- 制作者の趣味嗜好
一番槍玉に挙げられやすいケース。
制作側が特定のキャラクターを露骨に贔屓したなど、制作者の好き嫌いに引っ張られてシナリオが組まれた場合が該当する。
キャラクターの動き方に作者の思想が露骨に反映された結果不評を買った、というケースもある意味では該当する。
消費者の目的はあくまで作品とキャラクターであり、キャラクターを介した作者のお説教(思想の押し付け)を受けに来たわけではないのである。
- 制作者の人格・素行にそもそもの問題があった
制作者に犯罪歴や人気プロジェクトを失敗させた等の前科がある、失言や不適切な発言によって炎上した経歴があるなど、人格面・素行面で問題があると、この手の不備や齟齬があった際には批判の矛先にされやすい。
尤も「前も失敗していた。コイツのせいだ」「前科持ちに我々の作品やキャラを触らせるな」と非難する行為が一概に正しいとも言い難い。
- 描写に対する消費者の趣味嗜好の不一致
上記の逆パターン。ファンが制作陣の趣味嗜好や作品の意図を受け入れず、批判にさらされてしまうケースである。
(特に消費者が気に入っていた)キャラクターの描写が、消費者に生理的な嫌悪感を催されてしまい、不評を買ってしまったケースが該当する。
そのような描写を描かれたキャラクターは『被害者』として同情や憐みを買う一方、逆に『描くように踏み切った』演出や脚本家が槍玉に挙げられてしまう。
- 尺の不足、予算の不足、制作スケジュールのひっ迫
作品の打ち切りの決定や制作会社の倒産、あるいは脚本家の都合でシナリオの校正の時間が得られなかったなどが理由でシナリオが駆け足になったり、展開が強引になったり、伏線が不十分になったりして、キャラクターの出番が極端に減ったり描写に矛盾が生じたりして割を食うのがこのケースである。
- 不自然なシチュエーション
例えば敵から攻撃されるシーンで明らかに警戒しておらず、無防備な状態だったにもかかわらず「奇襲だ」と叫ぶ等、外野(=視聴者・読者・観覧者などの消費者)から見ればその程度は容易に予期・想定できたであろう展開になったケースや、超展開に対して味方の理解が早すぎる(=神の視点にいる消費者の理解が追い付いていない)等、ご都合主義が明白なケース。後者の場合『被害者』は敵側のキャラクターである。
この場合「キャラクターの無能化」「結果ありきの展開(ご都合主義)」と捉えられ、批判されやすくなる。
また、考えればわかる事に称賛していたり、客観的に見て褒める所がないようなキャラを褒めていたりするような場合は「洗脳」と呼ばれるなど、これもまた「(消費者から見て)褒める所がないキャラを無理矢理フォローさせられていて(キャラクターが)可哀想」といった批判の対象になりやすい。
特になろう系ではこういったケースが数多く発生し、批判の的になりやすくなっている。
- 制作者のフォローが後付け
作中の描写だけでは意図が描き切れなかったか、そもそも描くつもりがなかった為に消費者からの反感を買ってしまったケース。
こうなってしまった際、展開が終了した後に批判に対して制作者が反論したり、フォローした場合も「なら最初から入れられるはずだよなぁ?」「何も考えてなくて適当に言い逃れ考えただけ」といった批判の対象になりやすい。
どちらに肩入れするにせよ、結果論で何だって言えるからである。
- 社会情勢・スポンサー都合による路線変更
連載や放映の途中で発生した大災害や経済恐慌、あるいは不振によるテコ入れによって作品の方向性自体が変わってしまい、キャラクターの行動が無駄になったり元々なかったことになったりして、キャラクターの存在意義や立場が危ぶまれてしまったり、早々に退場させられてしまったりしたケース。
ただ、やむを得ない事情があれば『被害者』呼ばわりされる事は少ない。問題になるケースはむしろ、そのような事情がない時である。
- 新キャラを目立たせるために、前作キャラが犠牲に
これも槍玉に挙げられやすいケース。
作者がやらかしがちなもので、新キャラを目立たせるために前作キャラが踏み台にされる。
噛ませ犬にされたり、場合によっては姿すら出ずナレ死とかも。
一方、前作よりもキャラの扱いが良くなった例はあまり聞かない。
『脚本の被害者』の事例が招く影響として…
そしてこういった事例は最終的に
- ファンのアンチ化
- ファンコミュニティのアンチスレ化
- 贔屓された側がメアリー・スー呼ばわりされてヘイトを買う(キャラヘイト創作が作られてしまう、ヘイトネタそのものが定着してしまう)
- 贔屓されたとされるキャラクターにあらぬ蔑称がつけられるといった、キャラクターへの風評被害
等といった、深刻な作品評価そのものの低下を招いてしまう事となる。
制作者は「キャラクターを傷つけ苦しめた戦犯・加害者」として槍玉に挙げられ、当該作品がメディア展開を終了した後も「アイツが作品を駄目にした」等と恨み節を吐かれ続け、最悪の場合は業界から一線を引いた後にも、挙句の果てには制作者の死後すらも恨まれ続け、文字通り「死体蹴り」をされ続ける事となったケースもある。
後に「もっとひどい作品があった」と再評価される事もあるが、このような形はいわば双方への当てつけであり、正当な評価の形であるとは言い難い。
そこから別スタッフによるリブート(リメイクではない)と設定の一掃を望むケースまで存在する。
これもまた、根底にあるのは辻褄の合わない脚本そのものに対するものからキャラクターへの愛情である事である。
そして、実際にリブート作品や続編・クロスオーバーが作られて消費者が不満に思っていた部分が削除・修正されたり、ifルートによって不満に思われた展開を回避できたりするようになると、それを「本来あるべきだった展開」「もうこれが公式でいいよ」「顧客が本当に必要だったもの」として評価し、原作展開や制作者の力量を蔑む為の叩き棒にしてしまう。
これは「この展開になったらよかった」という『(作品に対しての)自身の願望』や「もしここで選択を誤っていなかったら」という『考え得たもう1つの未来』ではなく「最初からこれが公式であればよかった」「あんなものは公式として認めない(認めるべきではない)」という『(公式に対しての)怒り』であり、文面は同じだが根底から思想は異なる。
「作者に汚された原作は黒歴史。ifこそがファンが望んでいた正史である」「原作キャラと原作者は嫌いだけど二次創作のキャラは好き(だから原作者は余計な真似をするな)」といった主張や原作・作者へのディスペクトがなされる事も決してないわけではない。
酷いものになると、ここから同じスタッフが担当した他作品とそのキャラクター及び演じた声優にまで風評被害や誹謗中傷が飛び火してしまう事まである。
この場合も、擁護されるのはあくまで「とばっちりを食らわされてしまった(他作品の)キャラクター」であって、名誉毀損ものの執拗かつ悪辣な誹謗中傷を受け続ける監督・演出・脚本家など「実際に攻撃を受けている制作側サイド」に対してではない。
憤る人々にとって、クリエイターの地位はキャラクターより格下なのである。
しかし…
そもそも、フィクションにおけるキャラクターは『制作スタッフが思い描いた脚本やプロットの筋書きに基づいて動かしていく』のが基本であり、その意味では脚本、ひいては制作スタッフの人格に影響を受けていないキャラクターなど、フィクションにはまず存在しないと言ってもよい。
というかこの手の問題で脚本家一人をやり玉に上げる者は多いが、創作物というのはプロデューサー、監督、そして演出家といった他の多くのスタッフを擁して作られるものであり、キャラクターの扱いや物語の展開に関して一重に脚本家の一存で決まるものとは限らない。
歴史上には、タイトルも碌に知らないお偉方の一存で潰されてしまった良作も、数えきれないほど存在している。
もともとそうなる予定だったものを脚本家はそれに合わせて書き起こしただけだったり、あるいは監督やプロデューサーなどそれ以上の立場の人間の意向により途中で変更しただけだったりと、可能性だけならいくらでも考えられるため、その辺の事情も考慮しない内に全てを脚本家の所為にするのは、創作物作りにおいて何もわかっていないと言わざるを得ない。
制作スタッフの手でキャラクターが不遇・不幸な扱いをされてしまう事に批判・非難する向きは当然あるわけだが、フィクションにおいてキャラクター達が『勝手に』不幸になるわけがない。
冷静に考えればわかる事だが、「死亡させる」と決められる事なく自ら死を選ぶキャラクターがいるわけなどない。身も蓋もない事を言えば「作者が死亡シーンを描いたから」「『現実にいる誰か』が死亡させると決めた」から死んでしまったのである。
「自分達はキャラクターの死に納得できていない」というのが正確なはずである。
「制作スタッフのせいで不幸になった」というのはある意味当然の帰結であり、ごく当然の指摘をして一体何の得になる?という話になってしまう。
例えばキャラクターの死亡に対して「脚本家や監督が殺した」と批判する行為は、その世界に生きるキャラクターへの感情移入から来る敵への怒りではなく、観客である自分達の「満足・納得できなかった」という目線からのスタッフへの怒りであるのだが、何故だか「このキャラクターが死んでしまう筋書きを書いたアイツ(ら)が殺したんだ」と、前者と混同して語られる事が多い。
中にはたとえ「“キャラの死”自体は許容している」と言っていたとしても、その過程および理由が納得できないからやっぱりダメという主張を振りかざす者も少なくはない。
しかも、この理屈自体が「制作スタッフのせいで俺達のキャラクターはうまく動けなかった」と物語の外から非難しているものである。まるで子供の参観日やアイドルのライブを制作スタッフに邪魔されたかのような言い草であるが、そもそも、制作スタッフは全知全能の神ではなく、完全中立の存在でもない、批判している自分達と同じ「人間」であることを忘れてはならない。
また、一部のアンチの中には、「俺の方がクソに仕上げる脚本家や演出家と違って何倍もマシな風に書けたし良いキャラクターに出来た」と語る者もいるが、結局は「ぼくのかんがえたさいこうのストーリーとキャラクター」とほぼ自分及び考えが共通してる人しか楽しめない自己満足に過ぎなくなり物語は改善どころか悪化する可能性だって有る。根本的な問題として、仮に彼らで最高の作品が作れるのなら演出家や脚本家はいらないとまで言えてしまう。
人間である以上、前の話の流れを「忘れてしまう」というミスや複数の脚本家が参加している場合におけるそれぞれの解釈違いというのも当然あるだろう(無論、作り手である以上は「ない」のが望ましいわけだが)し、贔屓や愛着が生まれても別に不思議ではないのである。
そして、こうした批判に逆ギレの態度を見せ、ファンに喧嘩を打ってより大きな炎上を招いてしまうケースも少数ながら存在する。
もし制作が「特定キャラクターを贔屓した結果、消費者が望むものが生まれなかった」事ではなく「消費者の望むものが生まれなかったのは、制作が特定キャラクターを贔屓していたせいだ」と「制作が特定キャラクターを贔屓していた」事自体を嫌悪・問題視するのであれば、作品というよりは制作陣の感性そのものに対する批判であり、それを避ける為には最早感情・感性を持つ「人間」に作らせない以外に根本的な解決方法は無いだろう。
結局は、戦犯探しをするのも制作者やキャラクターに執拗な誹謗中傷を加えるのも、根元にあるのは「自分達が満足しなかった(できなかった)」でしかないのである。
一応「キャラクター制作に制作の主観や人格が絡む」問題への対処法はあるにはあり、AIを用いてキャラクター制作を行えば、自分の理想ではなくAIによってキャラクターが形作られる為この問題はある程度は解決できる。
とはいえ、やはり最初は人の手が必要であり、完全に解決できるものでもない。
ついでに言うとそういう類の人間はそれでも自分の期待にそぐわない展開や流れになると「このやり方を選んだ奴が悪い」だの「このAIのプログラムを組んだ奴は無能」だのと結局はまた違う形で“責任者”を探すだけかもしれないが。
それでも脚本やスタッフの人格を批判したいというのであれば、この点を肝に銘じる必要があるだろう。
また、キャラクターへの愛をダシにしたスタッフへの誹謗中傷や脅迫は犯罪であり、自身が処罰を受ける可能性がある行為であるという事も忘れてはならない。
言論の自由と無法をはき違え、人格攻撃を交えた中傷じみた批判を繰り返していれば、名誉棄損に問われる可能性もあるだろう。
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脚本の人そこまで考えてないと思うよ:脚本家の腕、脚本の粗や不備を批判したり皮肉ったりする際によく使われる用語。主に皮肉や考察やフォロー(?)に対して使われる。
メアリー・スー、ヘイト創作:本来はファンの二次創作に使われる用語であり、公式のメディアミックスに対して使われる用語ではない。
○○反省会:反省会という単語なら聞こえは良さそうだが、実際は脚本家への批判会とでもいうべき様な内容になることも少なくはない。
ピーチボーイリバーサイド、実写映画版進撃の巨人:逆に、脚本家が被害者という珍しいケース。