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脚本の被害者

きゃくほんのひがいしゃ

脚本の被害者とは、制作者の手によって不遇を被ったキャラクターや存在の事である。
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概要

死亡退場に至った場合は「脚本の犠牲者」とも呼ばれる。
脚本・展開・演出の都合で「キャラクター達が以前の話がなかったかのような言動を取る」「前の話と矛盾した行動を取った為に無能のような事になった」「キャラ設定と一致しない行動」「高いポテンシャルを持っていたにもかかわらず不遇な扱い」などで消費者の望む展開にならなかった、キャラクターが不遇を被ったなどのケースで、このような呼ばれ方をされる事がある。

フィクションにおいては様々な事情でキャラクターの優遇不遇が発生してしまう事が多々ある。
この場合のキャラクターは「登場人物」とは限らず、メカや組織なども含まれる

例えば…

  • 制作スタッフが「このキャラクター(声優)が好き」と公言しており、そのキャラクターがやたらと活躍し別のキャラクターが食われる事になった
  • キャラクターが不自然に無能かませ犬、悪辣なキャラを演じさせられた
  • 設定や話だけ盛られていて作中においては全く強さを発揮する場面がなく、説得力が皆無
  • 前の話で「慢心は禁物」と言ったキャラクターが、言ったそばから慢心して大ピンチ
  • まるであらかじめ仕組まれたかの如く、流れるように死亡フラグを立ててキャラクターが死亡してしまった
といった事例が挙げられる。

そしてこういった事例がファンアンチ化、ファンコミュニティのアンチスレ化、贔屓された側がメアリー・スー呼ばわりされてヘイトを買う等のキャラクターへの風評被害といった深刻な作品評価の低下を招いてしまう事となる。
逆に制作者は「戦犯」「加害者」として槍玉に挙げられ、当該作品が終了した後も恨み節を吐かれ続け、最悪の場合は業界から一線を引いた後にも、挙句の果てには制作者の死後すら恨まれる事となる

原因

このような事になってしまう原因は様々である。

  • 制作者の趣味嗜好
一番槍玉に挙げられやすいケース
制作者の好き嫌いに引っ張られてシナリオが組まれた場合が該当する。
  • 尺の不足、予算の不足、制作スケジュールのひっ迫
    • 打ち切りの決定や制作会社の倒産などが理由でシナリオが駆け足になったり、伏線が不十分になったりして、キャラクターの出番が極端に減ったりして割を食うのがこのケースである。
  • 社会情勢・スポンサー都合による路線変更
連載や放映の途中で発生した大災害や経済恐慌によって作品の方向性自体が変わってしまい、キャラクターの行動がなかったことになったり無駄になったりするケース。

しかし…

そもそも、フィクションにおけるキャラクターは『制作スタッフが思い描いた脚本やプロットの筋書きに基づいて動かしていく』のが基本であり、その意味では脚本、ひいては制作スタッフの人格に影響を受けていないキャラクターなど、フィクションにはまず存在しないと言ってもよい。

というかこの手の問題で脚本家一人をやり玉に上げる者は多いが、番組というのはプロデューサー、監督、演出家、作監といった他の多くのスタッフを擁して作られるものであり、キャラクターの扱いや物語の展開に関して一重に脚本家の一存で決まるものとは限らない。
もともとそうなる予定だったものを脚本家はそれに合わせて書き起こしただけだったり、あるいは監督やプロデューサーなどそれ以上の立場の人間の意向により途中で変更しただけだったりと、可能性だけならいくらでも考えられるため、その辺の事情も考慮しない内に全てを脚本家の所為にするのは番組作りにおいて何もわかっていないと言わざるを得ない。

制作スタッフの手でキャラクターが不遇・不幸な扱いをされてしまう事に批判・非難する向きは当然あるわけだが、そもそも論として人の主観を混ぜる事なく作られたフィクションの方が希少(もし可能だとしたら、それはもはやフィクションではなく「二次元に作られたパラレルワールド」と呼ぶべきものだろう)であり、フィクションにおいてキャラクター達が『勝手に』不幸になるわけがないのである

「制作スタッフのせいで不幸になった」というのはある意味当然の帰結であり、ごく当然の指摘をして一体何の得になる?という話になってしまう。
例えばキャラクターの死亡に対して「脚本や監督が殺した」と批判する行為は、その世界に生きるキャラクターへの感情移入から来る敵への怒りではなく、観客である自分達の「満足・納得できなかった」という目線からのスタッフへの怒りであるのだが、何故だか「このキャラクターが死んでしまう筋書きを書いたアイツが殺したんだ」と、前者と混同して語られる事が多い。

冷静に考えればわかる事だが、「死亡させる」と決められる事なく自ら死を選ぶキャラクターがいるわけなどない。身も蓋もない事を言えば、「作者が死亡シーンを描いたから」「『現実にいる誰か』が死亡させると決めた」から死んでしまったのである
「自分達はキャラクターの死に納得できない」というのが正確だろう。

しかも、この理屈自体が「制作スタッフのせいで俺達のキャラクターはうまく動けなかった」と、物語の外から非難しているものである。まるで子供の参観日やアイドルのライブを制作スタッフに邪魔されたかのような言い草であるが、そもそも、制作スタッフは全知全能の神ではなく、完全中立の存在でもない、批判している自分達と同じ「人間」であることを忘れてはならない。

人間である以上、前の話の流れを「忘れてしまう」というミスも当然あるだろう(無論、作り手である以上は「ない」のが望ましいわけだが)し、贔屓や愛着が生まれても別に不思議ではないのである。
もし制作が「特定キャラクターを贔屓した結果、消費者が望むものが生まれなかった」事ではなく「消費者の望むものが生まれなかったのは、制作が特定キャラクターを贔屓していたせいだ」と「制作が特定キャラクターを贔屓していた」事自体を嫌悪・問題視するのであれば、作品というよりは制作陣の感性そのものに対する批判であり、それを避ける為には最早感情・感性を持つ「人間」に作らせない以外に根本的な解決方法は無いだろう。
結局は、戦犯探しをするのも制作者やキャラクターに執拗な誹謗中傷を加えるのも、根元にあるのは「自分達が満足しなかった(できなかった)」でしかないのである。

一応「キャラクター制作に制作の主観や人格が絡む」問題への対処法はあるにはあり、AIによってキャラクター制作を行えば、自分の理想ではなくAIによってキャラクターが形作られる為この問題はある程度は解決できる(実例としてはアイドルマスターミリオンライブが挙げられる)。
とはいえやはり最初は人の手が必要であり、完全に解決できるものでもない。

脚本やスタッフの人格を批判する際はこの点を肝に銘じる必要があるだろう。

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