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概要

元ネタは4コマ漫画「月刊少女野崎くん」6巻の1シーンより、

(演劇部員):何か違う気がするんだよね。

もっとこう…複雑な感情表現を期待されてるような…

千代:(鹿島くん…)

千代:脚本の人そこまで考えてないと思うよ

遊:真顔でなんてこと言うの千代ちゃん

ご覧の通り、この台詞の内容を端的に言い表すなら「深く考えすぎだよ」または「期待しすぎだよ」である。

真相

元ネタではこの後に千代が「姫がたまにおバカ発言するからかな」「昼ドラ!!!昼ドラ展開だよ!!!」などの短絡的な解釈を述べる横で、脚本を書いた野崎自身が遊に対して台詞の裏に込めた感情の機微について「無防備に他の男に笑いかけるからだろう」「一瞬でもいいから自分を見て欲しいという必死な一言だな」と説明した。すると最初は千代にアドバイスを求めていた遊は野崎の手をがしっと掴み「よろしく先生」と彼にバトンタッチした。

すなわち、「脚本はきちんと考えて書かれていた」というオチとワンセットであり、「(普段の野崎の言動を知っているから)どうせ穴だらけの脚本と切り捨てたが、本当は自分の方が理解できていなかった」という壮大なブーメラン発言なのである。

加えて本来は脚本家意図読み解こうとしている「演者」に対して「脚本家はそこまで求めていないのだから、考え過ぎなくていい」と制止する発言である。

作中では無表情で繰り出された台詞ゆえに読み違えられがちだが、決して消費者目線で行われる考察や議論、脚本家への皮肉不毛さ・無意味さを説く煽り文句ではない。

あくまで「(彼の創作は普段から突拍子もないものばかりだから)フィーリングだよ」ぐらいの描写である。

なお、千代がこのような発言をしたのにも理由があり、彼女は脚本を書いた少女漫画家である野崎の普段の漫画作りをベタ塗り担当のアシスタントとして見ているため。

度々頓珍漢なネームを作り原稿が詰まれば奇行に走り、野崎本人も大雑把天然鈍感に加え、千代自身も「漫画家の野崎梅太郎」は知っていても「脚本家の野崎梅太郎」を知らない…という有様なので彼女がそう考えるのも無理はない。

一方、野崎の少女漫画自体は(本人が初恋すらしたことがないのに)繊細な心理描写で人気を集めている正統派の作品とのことなので、野崎自身は意外と考えているのかもしれない。

ただし、これ以外の回では実際に考えていなかったり、周りの言動に影響されている様子が見られることもある(思い付きで脱線したり、キャラクター設定矛盾するのはよくある)。

一例として遊の妹であるが学校に訪問した際には彼女の感想を聞きながら脚本を書いていたのでまるで官能小説のようになってしまっていた。

野崎自身は曰く「本人も意識しない状態で漫画に於けるテクニックを活用している天才肌(要約)」とのことなので第三者の横やりが入ると作風が大きくズレるものと思われる。

ミームとして

しかしながらインターネット上では、この台詞が載っているコマが引用されていた場合、劇中における本来のニュアンスではなく、文面通り「制作者はそこまで考えて作っていないのだから、作品について読者・視聴者が考察議論したところで全くの無意味である」という批判的否定的皮肉煽りの意味で使われている事がほとんどである。

そういった批判的な文脈の中では「脚そ考」などと略されることも。

ただ本当に「そこまで考えて書いてない」と公言するクリエイターも実在したり、ろくに考えず書いたことが誰の目にも明らかな場合もある。

尾田栄一郎「明らかな伏線もあるけど、僕は伏線を張っておくんじゃなくて、後からどうとでもなるように空白を作っておくやり方。一部でウン十年置きの伏線とか大げさに言われることがあるけど、後から考えてることも多い」

(週刊少年サンデー2022年35号:青山剛昌との対談より一部)

作品の考察でいい意味で盛り上がっていたり、脚本家を(適度に)褒めたりしている人々に冷や水をぶっかけるが如く「脚そ考」と煽り立てれば単なる不快な荒らしだが、深読みし過ぎたファン同士の論戦が悪い意味でヒートアップしているのに対して「頭を冷やせ」の意味で「脚そ考」と書き込めばそれは的確なツッコミとなる。結局は使い所次第。

ちなみに「本当に考えていた」とこれの反論として使われることが多いが、話の流れから分かるように製作者の身内同士で理解できていなかった楽屋ネタ的な話だったので、実際にはあまり意味がない。

どっちかというと身近にいる製作者同士ですらお互いの考えで分からない部分があるのに第三者の視聴者や読者にその考えが分かるわけがなく悪魔の証明に過ぎないという点で早い話、批判側も反対側も単純に都合の良い方面に取ろうにしてるというこの手のキャプ画利用でよくある話である。

因みに「作者は作品を支配する神ではない」というような立ち位置をとる現代の文学理論では結果的にどのような印象を読者に与えるのか等を問題とすることも多いため、この台詞を国語のテストなどに対して使っても先生には相手にされないことが多い。

また、似たような言葉として、大学生が無人島等に漂流したというような設定のコピペにおいて、「文系は作者の気持ちでも考えてろ」というオチをつけることがある。

関連タグ

月刊少女野崎くん

佐倉千代... 野崎大好き女子。野崎や鹿島とは懇意な間柄だが、ツッコミ役でもあるため時にひどく冷淡な物言いをする。

鹿島遊... 抜群の演技力を誇る演劇部のイケメン女子。アホの子

野崎梅太郎... 少女漫画家男子高生。野崎自身は背景が全く描けないので演劇部の部長であるに漫画の背景を描いてもらう代わりに王子(鹿島)が主役の脚本を書き下ろしている。

プリンツ・オイゲン(艦隊これくしょん)中の人が佐倉と同じ小澤亜李であるため、よくこのネタが使われる(メイン画像のイメレス素材等)。月刊提督野崎くんも参照。

セカイ系... 考察歓迎コンテンツ。作者が考えていないことまで考えるのが一種の伝統芸となっている。

狛犬に悪戯した子供 ... そこまで考えてなかった人。

脚本の被害者

デッドエンド/コレジャナイ... 逆に、脚本の人がちゃんと考えて作ったからといって読者/視聴者に受け入れられるとも言えない。

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