概要
その原型は、平安時代に登場し貴族が入浴の際に着ていた麻製の単衣(ひとえ)「湯帷子(ゆかたびら)」にあり、それが略されて「ゆかた」になっていったものと考えられている。
当時はお湯に浸かる習慣が無く、現在のスチームバス(乾式のサウナではない)のような「蒸し風呂」に入っていた。
そのため高温の蒸気で火傷をしないよう、また入浴中に裸を隠しつつ汗を拭えるよう、湯帷子を着用していたのである。
江戸時代になると、湯屋(銭湯)の普及と共に浴衣の着用も広まってゆく。
湯上りにバスローブのように着られていた浴衣は、次第に自宅と湯屋との往復にもそのまま着用されるようになり、なし崩し的に簡易な外出着として認識されていった。
さらに、花見や祭りなど野外のイベントに浴衣で出かける事も流行し、本格的に普段着と遜色ないデザインが意識されるようになっていった。
ただしこれは、あくまで庶民階級に限った話であり、貴族にとってははしたない行為であり続けた。彼らはせいぜいプライベートな空間で寝間着に用いる程度であった。
はしたないと言えば、この時代の浴衣は下着にあたる襦袢を着けず、素肌に直接まとうものとされていた。すなわち、着用者の大多数がはいてないしつけてないのである。
元々これ自体が下着のようなものと捉えられていたという事情もあるが、そもそも羞恥心を覚えるポイントが現代とはずれており、着物を着用した際に下着のラインが浮き出てしまう事の方を気にしていたようである。
生地の薄い浴衣はこれが顕著で、ならば何も付けない方がマシという論理らしい。
明治に入り洋服が広まった後も、和服を着る時だけは「はかないしつけない」という感覚が昭和の初期くらいまでは当たり前に残っていたという。
この感覚は二次元の男性向け界隈で細々と生き続けており、現在でもそのような描写がなされる事が稀によくある(→裸浴衣)。R-18だった日にはそのまま外で致しかねない(→野外プレイ)。
もっとも彼らの場合、ラインが見えたら見えたで「我々の業界ではご褒美です」とでも言うのみだろうが・・・
現代の浴衣
戦後、日本社会から和服がほとんど駆逐された後、浴衣はハレの日の衣装として残存した。
特に夏場のイベント事に着て行く着用方法は江戸時代から変わらずに続いており、非日常感の演出に一役買っている。
和服としては比較的安価で手入れもしやすいため、外国人のお土産としての人気も高い(ただし、pixivでは外国人を描いた作品や海外からの投稿はさほど多くない)。
特に若い女性の間では、お洒落の手段として様々なデザインが発展した。
中にはフリルやミニスカートの要素を取り入れたものも現れ物議をかもしたが、「着物ドレス」や「ミニ浴衣」などとして一応の定着を見ている。
旅館やホテルでは、季節を問わず寝間着として浴衣を用意しているところが多い。
もちろん日本独特の文化で、館内を歩き回る程度であればその格好で構わないとされる。
こうした浴衣は「温泉浴衣」と呼ばれ、寝る時に邪魔にならぬよう、一般的な浴衣より衿が細く、袖のたもとがやや短く作られる。また、芯が無いため柔らかい。
一昔前は共用スペースに卓球用具一式が用意されている事が定番で、それは浴衣姿でやってこそ面白いとされた。この競技を俗に「温泉卓球」と言う。
余談
- 7月7日は「ゆかたの日」である。これは七夕関連のイベントがあって浴衣が着られやすく、さらに伝統的には衣服に感謝する日であった事による。
- 古典的な浴衣は白地と藍染が多い。熱のこもりにくい白地は昼に、蚊避けの効果がある藍染は夜に着用された。
- 現存最古の浴衣は徳川家康のもの。着古した浴衣は、おむつなどに仕立て直される事が多かったため、残っているものはわずかである。