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薩摩隼人の編集履歴

2023-02-19 12:17:09 バージョン

薩摩隼人

さつまはやと

九州一…つーか日本一…いや、世界一強い人種。

「薩摩ん兵子で血迷うておらんもんは一人もおらん」(ドリフターズより)


概要

薩摩大隅を領した島津家に仕える武士に対して使われていた美称であり、現在も鹿児島県本土(奄美群島は含まない)の男性に対して使われる。語源は古代日本において、薩摩・大隅に住みついて朝廷に従わなかった人々を「はいと」と言った事を語源とする。同時代の熊襲(くまそ)と呼ばれた人々との異同には諸説ある。


異常なまでの戦闘能力の高さで知られている。関ヶ原の戦いにて島津軍が徳川家康の大軍を正面突破した島津の退き口が成功したのは彼らの戦闘力の高さと主君への忠誠心の高さが非常に大きな要因と言われている。

示現流薬丸自顕流タイ捨流など攻めに重点を置いた剣術を使う者が多く、身体能力も相まって動乱期には対立派を震え上がらせた。


江戸時代にはすでに勇猛な人種という評判が全国に知れ渡っており

などとエピソードが多すぎる。


ちなみに世界最強と謳われ、当時の最新兵器を備えた世界一の大帝国の海軍を旧式の大砲で撃退したり260年続いた政権を亡ぼし、数百年続いた武士による政治に終止符を打ったり日本最後の内戦を長期化させて国家財政を破綻させかけたのもだいたい全部こいつらのせい


なお、今でもこの気質は色濃く残っているようで、「泣こかい跳ぼかい、泣こよかひっ跳べ(泣く間があったらまず動いてみろ)」という教育方針は未だ基本としてあり、学校の運動会の際にも「正々堂々勝つためならば手段を選ぶな」という気風がまかり通っており、手の内がバレて負けるようなヘマをした者はしこたま怒られたという。


強さの秘訣

この強さの秘訣は桜島の火山灰により安定した食料の供給ができなかったために他国との戦争が相次いだ薩摩という地の特徴、余りにも過激な郷中教育の影響が強いと言われている。


『人国記』にみる気質

武田信玄も愛読していたという、日本各地の人となりを記した『人国記』にも上記の気質を裏付けするような内容が書かれている。

それによると、薩摩人と大隅人の気質は違わないとした上で、


『皆が死を以って表とし、男子は死ぬことを道とすると覚えて、仏法などは死後のものであって生死を知るべき為ならば用いるに足らないと考え(中略)、武士が戦場に於いて死ぬのも、忠義に因って死ぬことを善だとは考えず、ただ武士は戦場に於いて死ぬものであると考えて論じることもない。泰平の時、主君は安座して礼節を正しくする一方で、家臣は足を伸ばしたり、或いは立ちながら主君と問答する類いも多い。末代までもこの気質である』


と記されている。


有名な薩摩隼人

創作

※は実在の人物でもあるが、史実よりも薩摩隼人ぶりが強調されているキャラである

実在


薩摩隼人と誤解される人物

徳田虎雄...奄美群島に属する徳之島の出である(鹿児島県本土とのゆかりは薄い)が、その性格から薩摩隼人の代表と思われたりする。


関連タグ

鹿児島県 薩摩 鹿児島弁 示現流 薬丸自顕流 タイ捨流

薩摩藩 島津家 鬼島津 戦闘民族

鎌倉武士...薩摩隼人と呼ばれた武士たちはこの末裔である。

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