水中を航行できる軍艦のことで、英語では『submarine』と呼ぶ。
概要
主に軍事向けの水中へ潜ることのできる軍艦の呼び名であり、軍以外の政府機関や民間で使用される海底探査用のもの、遊覧用のものは「潜水艇」と呼ぶ場合が多い。
海中に潜み、魚雷や対艦ミサイルを用いて艦船を攻撃する潜水艦(攻撃型)がほとんどだが、一部の国は潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)で敵国を攻撃する(戦略型)潜水艦を保有している。
機雷を敷設し、そのほか特殊部隊の潜入支援や情報収集任務などに運用されたり、輸送に用いられる潜水艦もある。
歴史
黎明期の潜水艦
水中を航行できる船は大昔から考えられてきた。
その考えを具体化し、実現したのは1620年に建造されたオールを推力とするコルネリウス・ドレベルの潜水艇である。
木製の船体に水密加工を施して密閉できる容器に人員を収容し、動力は人力、深度の調整は船首に取り付けられた潜舵で行うもののバラストタンクがないために常に動力で進み続けないと浮き上がってくるシロモノだったが、この潜水艇が建造された時点で、水中へ潜る艇内の空気の環境を維持するための化学反応を利用した二酸化炭素を吸着して二酸化炭素の濃度を下げる装置、化学反応を利用した酸素を発生させる装置が取り入れられている。
このドレベルの潜水艇は実際に水中へ潜った試験航行にて当時のイギリス国王が同乗したため、この時のイギリス国王は水中を旅した史上初の君主になった。
時代が進むとバラストタンクが取り付けられ、弁を開いての注水と手動ポンプによる排水ができるようになり、中性浮力の概念によって水中で釣り合いをとって深度を維持できるようになった。
推進のための動力は相変わらず人力であったが、ここに至って兵器としての可能性を秘めるようになる。
この時期における有名どころとしては、1776年に建造されたタートルと呼ばれた潜水艇、1863年に建造されて南北戦争において敵艦を外装水雷で撃沈した南軍の潜水艇H・L・ハンリーがある。
なお、H・L・ハンリーが挙げた戦果は、史上初の水中からの攻撃による撃沈の戦果となった。
このH・L・ハンリーが史上初の水中からの攻撃による撃沈の戦果を挙げた頃、水中へ潜ることのできる船に動力を搭載することが試みられるようになる。
ハンリーの場合は七人の乗員による人力という脳筋すぎる解決策をとったが、流石に航続距離が乗員の体力が続くまでではあまりにも使い勝手が悪く、その後は電動機や圧縮空気を動力とした潜水艦が各国で試作された。
この頃に開発された圧縮空気を動力として用いる艦では、バラストタンクの排水に圧縮空気を注入するシステムが導入されており、後に内燃機関を搭載する艦では燃料でエア・コンプレッサーを駆動させて圧縮空気をタンクに貯めるものとなって現在の潜水艦に生きている。
その他、中性浮力の微調整を行うためのバラストタンクより小さなネガティブタンクも取り付けられるようになった。
しかし、武装は依然として外装水雷であり、潜水艦が水中から距離の離れた目標を攻撃できるようになるには魚雷の登場を待たねばならなかった。
1866年にホワイトヘッド魚雷が開発されると、潜水艦の攻撃能力は大幅に強化される。
水中での再装填はできなかったものの、1888年にオスマン帝国の潜水艦が水中での魚雷発射に成功したことで、目標から距離をとって隠密に攻撃できる兵器としての地位を確立したのである。
また、1894年には浅深度潜航時における換気用としてのシュノーケルを取り付けた潜水艦が登場した。
1900年には発明家ジョン・フィリップ・ホランドが開発した『ホランドVI』がアメリカ海軍にてホランド級として就役し、これは世界中で販売され『ホランド』は潜水艦の代名詞となった。
このホランド級は、水上を内燃機関で航走しつつバッテリーに充電し、潜水中はバッテリーの電気でモーターを駆動するというもので、水中での機動力は低く、航続距離も限られるが、隠密行動にはこれでも用が足りた。
この『内燃機関+電動機+バッテリー』という組み合わせは現代においても通常動力型潜水艦では基本的にこの構成であって殆ど変わっておらず、ガソリンエンジンの燃料であるガソリンの発火性の危険からディーゼルエンジンへ置き換わった程度である。
二度の世界大戦と潜水艦
20世紀前半における潜水艦の速度は水上最高速が最大18~20kt前後、水中最高速は最大8~10ktと御世辞にも高速とは言えなかった。
この頃の潜水艦は水上艦のような船体を持っており、水上速度は軍艦としてもそれほど遅い部類でもないのだが、とにかく敵の攻撃に脆弱だった。
肝心の戦闘時の姿である水中速度の致命的な遅さと相まって敵の駆逐艦や巡洋艦、航空機に発見された場合の生還は難しかった。
「ドン亀」などと揶揄されることも多く、水中速度の向上は涙滴型や葉巻型の船体を待たねばならなかった。
第一次世界大戦中の1914年7月16日、ドイツ海軍のU9が潜航中における魚雷の再装填に成功したことにより、潜航したまま魚雷を再装填、反復して水中から攻撃する潜水艦のイメージが完成し、その約2週間後には予備の魚雷を含む手持ちの魚雷を全部使ってイギリス海軍の巡洋艦3隻を1時間の間に撃沈する戦果を挙げた。
このU9による巡洋艦3隻撃沈の戦果に対し、U9の乗組員全員には第1級または第2級鉄十字勲章が授与されている。
この他、対潜戦闘技術が未熟な時代においてドイツ海軍のUボート(Unterseeboot=水の下の船)は北海を含むイギリス本土周辺、地中海等の海域に出没して通商破壊に大いに活躍、その有用性を証明した。
ちなみに水中の音を聴いて様子を探るタイプのパッシブ・ソナーが実用化されたのは1915年、発した音の反響で水中を探るアクティブ・ソナーが実用化されたのは1920年のことである。
第一次世界大戦後、1940年頃にはオランダにおいて既存の潜水艦を改造し、それまで浅深度潜航時における換気用であったシュノーケルを内燃機関へ空気を送り込む装置として使用したものが造られて潜航試験に供されている。
この浅深度潜航時において内燃機関を作動させる空気を水中に潜ったまま供給するシュノーケルは、その後の通常動力型潜水艦において大々的に採用されるようになり、現在の通常動力型潜水艦に生き残っている。
第二次世界大戦においても、ドイツ海軍のUボートが連合国の主に輸送艦船を狙って多大な戦果を挙げていた。
しかし、後半は連合国において護送船団方式の導入によって輸送船が所在する海域を限定させる工夫がなされ、護衛に従事する艦も装備するアクティブ・ソナーの改良と前方投射型爆雷の開発によって精度の高い捜索と攻撃が行えるようになり、航空機においてもレーダーを搭載したものを投入することによる対潜哨戒能力の向上、暗号の解読、スパイによる出航情報の収集といった対策をとられ、Uボートは次々と撃沈、撃破されて喪失、損失は約750隻、3万人に上ったとされる。
この頃の日本海軍は漸減邀撃作戦に基き、艦隊決戦に先立ってアメリカ海軍の戦力を削る兵器として水上速力と雷撃力に優れた海大型潜水艦、長大な航続距離を持ち水上機を搭載して索敵力に優れた巡潜型潜水艦を建造した。実際には艦隊決戦は起こらず、インド洋での通商破壊や南方への輸送任務など想定した用途と異なる作戦に投入され、Uボートとの戦いで鍛えられたアメリカ海軍艦艇の優秀な対潜兵器の前に多くの潜水艦を失う結果となった。
アメリカ海軍の潜水艦は、太平洋において日本の輸送船団に対する大規模な通商破壊作戦を実施。シーレーン防衛を重視していなかった日本軍は効果的な対策を打ち出せず、徴用商船の多くを沈めた他、大西洋においてUボートとの戦いで得られた知見をもとに潜水艦狩りを行った。一方の大西洋戦線では対日戦とは真逆の輸送船団の護衛及びUボートへの対潜哨戒任務活動が主であった。
原子力潜水艦の登場
冷戦期に原子力機関が実用化され、アメリカ海軍において初の原子力潜水艦であるノーチラス号が1955年に就役した。
原子力潜水艦の就役によって、給油することなく航行が可能になり、搭載する空気の供給が不要な原子炉によって発電することから充電のための浮上も必要なくなり、食料や乗員の体力が続く限り水中に留まることが可能となった。さらに船体形状の改良によって水中においても水上と同様に全速力で航行する事ができるようになって飛躍的な機動力の向上をもたらした。
同時期、確実な核投射手段として核弾頭大陸間弾道ミサイルが東西両陣営で開発されていたが、発射前に基地を攻撃されてしまえばそれまでである。しかし、発射基地が広大な海中を移動し続ける場合、これを発射前に攻撃する事はほぼ不可能となる。浮上することなく水中を移動し続けることができる原子力潜水艦は、この基地として最適であった。かくして両陣営で潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)と、弾道ミサイル潜水艦(SSBN)が開発された。この戦略原潜は敵国への先制核攻撃ではなく、潜水艦の隠密性と生存性を生かして、敵から先制核攻撃を受けた際の報復を主な目的としており、核による抑止力の「相互確証破壊」部分を担う戦力とされている。原子力機関の採用は攻撃型潜水艦にも性能の向上をもたらし、魚雷の性能と機能の発展も相まってかつての天敵であった駆逐艦すら返り討ちにできる戦闘能力を獲得し、主力艦種となった。
しかし、原子力潜水艦は通常潜動力型水艦に対してあらゆる面で優位というわけではなく、運用中に機関を止めることができないため常に騒音を発し隠密性に問題があるという重大な欠点がある。原子炉の出力の大きさのため、排水などの発熱が大きいことも問題となる。このため原子力潜水艦を建造している国でも、通常の防衛用途にはディーゼル潜水艦が充てられる事が多い。ただし近年の原潜では冷却水循環ポンプを止めて自然対流で原子炉を冷却することができるようになり、これ以上の静粛化は難しい通常動力潜との差は縮まりつつある。原潜の根本的な問題は通常動力潜と比べてケタ1つ分高いとも言われる程高価(建造・運用費とも)な点であり、潜水艦戦力を原潜で全て揃えるのはアメリカ以外は予算的に無理ということでもある。
一方、通常動力型潜水艦においても潜航継続能力強化のための方策が試みられており、近年では非大気依存機関(AIP機関)の開発が進み、通常動力型潜水艦でも1週間以上の潜航の継続が可能となった。
既にスターリングエンジンを搭載した海上自衛隊のそうりゅう型潜水艦、燃料電池を搭載したドイツ海軍の212A型潜水艦等が就役している。
ただし、これらは水中での機動力は原子力潜水艦はもちろん、場面によっては従来の潜水艦にも劣る。それでも静粛性に優れ、なおかつ燃料が尽きるまで潜っていられる優位性は非常に大きく、ひところはこれからの潜水艦の主力と目されていた。だが、従来の『ディーゼル+電動機+バッテリー』が『ディーゼル+電動機+バッテリー+スターリングエンジン』となるため、駆動システムが艦内スペースを大きく圧迫する。これは前級よりも居住性が悪化するという、潜水艦として無視できない弊害をもたらした。しかもスターリングエンジンは専用の燃料を使い切ったら最後、港で補給しない限り再使用できないものであるため、1週間以上潜って燃料を使い切ったら一度浮上してまた1週間以上潜る、というような運用はできないのである。結局、海上自衛隊はそうりゅう型10番艦「しょうりゅう」をもってスターリングエンジンの使用をやめ、次の11番艦「おうりゅう」以降のそうりゅう型とその発展形であるたいげい型潜水艦でバッテリーのリチウムイオン電池化とその大容量化という方向に舵をきった。
日本は先の大戦で米潜水艦に多くの艦船を沈められた教訓からか、海上自衛隊は水上艦・潜水艦・航空機でも非常に強力な対潜能力を有している。冷戦期には近海に出没するソ連(現ロシア)の潜水艦に睨みを利かせていた。近年は中華人民共和国の潜水艦も頻繁に出没するようになったため、警戒体制が強まりつつある。
潜水艦における勤務
潜水艦勤務は閉鎖された狭い空間に長期間滞在という心理的に非常に過酷な環境のため、精神疾患に罹患しやすい。
原子力潜水艦は理論上何年でも潜水できるが、その前に人間の心身の方が限界となるため(そして食糧も尽きるため)、任務はせいぜい2ヶ月程度となっている。
また、食事に気を使う海軍の中でも、潜水艦の食事は格別に美味しいとのこと。