概要
大学二年生あたりの年代(おおむね20歳前後)で陥ってしまいがちな思考や言動のこと。実際に大学生かどうかは関係ない。
「中二病」→「高二病」の流れを汲む、「カッコつけ」や「イキリ」の傾向の一つである。
中二病は「自分は特別な存在であり、周りより優れている」と思い突飛な行動に至ってしまう、過剰な自意識のこじれといえるが、高二病がそんな中二病時代の行動を「痛い」と嫌悪感を覚えて、一歩引いたクールな立ち位置を気取るものであるのに対し、大二病はクールな切れ者ぶった高二病を嫌悪して逆に中二病的な思考に回帰すると定義されている。
例えば、中二病や高二病時代に歌詞の意味もわからないまま少々マイナーな洋楽を聞いて「マイナーな曲を聴いてる俺、カッコいい」と思う…というのはよくあることだが、大二病はメジャーなバンドの有名な曲を「一番売れてるんだから一番いい曲」と評価するようになったり、逆に周りにほとんど聞いている人がいないようなマイナーな楽曲をわざわざ探し出して(それを聴いていいと思うかは別として)「隠れた名曲を掘り出した俺、カッコいい」と思ったり…といったことが挙げられる。
「他人と違う自分」に特別感、優越感を覚える、というのが中二病の特徴であるとすれば、大二病はそこに「周りが安易に迎合しているような『普通』を違う立場から評価できる自分」を自画自賛する観点が加わった、といえる。
また、大二病によく見られる傾向の一つに、年下の(痛い)言動を「若いね〜」とからかってみる、20歳以上であれば酒やタバコを嗜むこともあるであろうが、酒に強いわけでもないのに飲み会に行く、度数が低くて飲みやすいチューハイや甘めのカクテルではなく焼酎やウイスキーを飲んでいることをアピールするなど、やたらと周りに比べて「大人」であることを強調するというものがある(勿論大人のアピールのパターンはこれ以外にもあり、下戸や「大人のお子様ランチ」好きに見合ったアピールもある)。
実際20歳前後は社会一般ではまだまだ若者であり、同世代の若者の中で大人っぽく振る舞った程度では大した効果はないといえる。
要するに中二病と高二病のいいところを掛け合わせて、以下のようにした感じである。
- コーヒー等への関心を成人が手を出しやすい酒や店や観光地などにして『強くてニューゲーム』状態にしたもの(メンタル面は小二病に近いという噂がある)
- 特別な自分になりきるのではなく、特別な中二病のキャラを第三者視点で眺める(それに加えて、特別な自分を重ねるパターンもある)
- 中二病は最強のオリキャラをノートにまとめたり、自分がチートキャラになった気になる音楽を聞いたりするが、大二病は(流石に中二病の壮大な妄想まではいかないが)大なり小なり行動を起こしてしまう。なお、どちらの段階でも身近な友人に評価される者はされる
- 友達がいるのが陽キャでぼっちなのが陰キャなのではなく、どっちもそれぞれ陰キャの特徴であり、それぞれに当たりのシチュと外れのシチュがあると強く自覚するようになる
- 漫画やアニメや映画を読者が読み飛ばしがちな小さなコマやモブキャラの存在を考えつつ世界観考察ができるようになったり、シンプルな作風を高解像度や現代風に直して想像できるようになったり、その逆を想像できるようになったりする
大二病が痛い方向に働いてしまう人もおり、例えばプロの編集者でもない癖にプロの編集者ごっこをし出し、自分を求めてもいない相手に対してまるで作品を添削する先生のような口調を使う。
自分が押し付けた好みやテンプレートが相手に嫌われて無視されて受け入れられず、相手が別の大二病や語彙力はないが盲点を突くのが上手い低年齢の言うことは聞くとこじらせる。
編集会議ごっこをするパターンも見られ、ルールの説明一切無しで自分が中心人物になって全員に意見を押し付ける会議を開き、その場にいる全員に自分に合わせる同調圧力を強いるものの、自分の意見が本当は嫌いな人間や本当は趣味が違う人間がいると知るや否や他人の趣味を罵倒して暴れ出したり、「言葉のキャッチボールができない」と言ってブーメラン発言してきたり、他人に詰め寄って趣味や人間関係を根掘り葉掘り捜査してきたり、覗き見してきたりする(無論、これとは別に人気者に自然とファンが集まってくるパターンもあり、オタサーの姫のようなモテ方の他、多くも少なくもない質のいいメンバーにのんびりゆるりとモテるパターンも知られている)。
人にもよるが、嫌いな相手が自分を受け入れない理由を「自分が同性や優等生で嫉妬しているから」「相手(大学生~20代)が若者層から外れた年寄りで頭が固いから、相手が恋愛経験の少ないモテないオタクだから、生まれつき顔と感覚に問題があるB専だから」「相手が面倒臭がりで馬鹿だから」「自分が何かをするのは自分のためではなく誰かと張り合うため(その相手は親友やライバルと認めた人物ではなくたまたま近くにいた人)」で片付けるルールが通用しなくなる時期である(物分かりのいい人は中二病や高二病どころか、小二病の時点で気付いている)。
自分を受け入れない相手を罵倒しても、自分自身の経験を嘘で盛っても、肝心の自分や自分天動説ではない現実や乏しい恋愛経験は変えられない。
嘘をますます嘘と自覚する羽目になるだけなので、好みが違う相手に好みを押し付けている暇があったら、一人旅にでも嵌るか、気の合う友達と妄想を語り合うか、自分に合ったクラブやサークルでもを探したほうが得だろう(ただし大二病は成人済みなので事件や詐欺に敏感になり、人間関係リセット症候群にもかかる時期)。
駄目な大二病以上は例えば以下のような感じである
- 趣味の多様化が当たり前な年代になっても好きな者よりも嫌いな者を追いかけ、好みを押し付ける
- 一人行動ができる時代になっても別の一人行動をする者を追いかけ続ける
- 隣人への悪口が唐突に「年齢よりガキに見える」から「年齢より老けて見える」に変わり、中二病~高二病の10代至上主義が悪い方向に働く
- 「誰かを叱ってマウントを取ったら大きく見えるんじゃなくて余計に小さく見える」という事実に大人になっても気付かない
- 「異性と付き合っていたら嫉妬する」が「異性をけしかけてレ○プさせようとする」に進化する
- 「中身の入っていない神キャラよりも中身の入った並キャラ」という思想がアンチ方面に働く
- 「有名コンテンツの制作者と推しキャラ(架空キャラ)がどちらも身近におらず、上から目線で牛耳れないし、自分に話しかけてくれない」「好きな趣味を介して友達を作る能力や趣味の同好会に向かう能力が自分にない(恋愛・セックス以外の関心事がない、他人の容姿や趣味への悪口が酷くて友達ができない、自力で行動を起こすよりも行動を起こした他人の功績を奪う癖がある)」と気が付き、赤の他人が嵌っている自分向けではないドマイナー作品、アンノウン作品に登場する毒にも薬にもならないマイナーキャラやオリジナルキャラクターやリアル友人を「中の人が間近にいる」「人間の男女の姿をしていて中の人を知っている」というだけで自分に向けられていると勘違いし、有名コンテンツの神キャラよりも眩しく感じられるようになり、コンテンツの原作レイプを行おうとする(高二病の反王道系、現実主義、大きい主語が更に悪い方面に働いてしまったパターン)
- 何かと他人と知識量や読書量(数の暴力)で張り合おうとするが、優れた実体験は胸の内に締まっておいて他人には話さないという根本的な思想が抜け落ちている。メジャーだが二次創作人気は低い原作のアミバやヤムチャに相当するキャラクター(作品ファンならまず覚えている印象的なNPC)を知らなかったりする。正直に言って「広く浅く」ですらない
- 大学のサークルなどで男女混淆チームを見た時に、関係性が恋愛ではなく友情だと認める気はさらさらなく、男一人女多数ならまだしも、男多数女二人以上だっただけで「男が二股をかけている」という訳の分からないレッテル貼りをする。更に「女がかわいかったかどうかだけ聞いて男の容姿には触れない」というセクハラ、差別を平然と行い、ますます嫌われる
- アマチュア界隈やマイナープロに子どもの頃以上に冷たくなり、二言目には「金になるのか」という。だが、本当は形式や数字以外の価値があるものを叩く口実が欲しいだけで、プロはプロで嫌いだったりする。ルールがあるプロ界隈ならまだしも、自由に語れるアマチュア界隈、読者界隈、プライベート界隈ですら「この作品のモラルハザード描写は変だよね」「マイナーかもしれないけど、あなたはこれが好きなんだよね、気持ちだけなら分かるよ」「下手な作品でも薄い作品でもパクリ作品でもかすらない作品でもエログロ作品でもなく、カマキリ人間と汚いおっさんが出る作品が一番嫌いなんだよね」の一言も出そうとしない
大二病は誰しも発症しうるものであるが、「周りとは違うアピール」が過剰すぎるとやはりウザい、痛い人扱いされることになる。
また、数は少ないが中二病→高二病→大二病(→中二病)→高二病→大二病→…と思考のループを繰り返して、自己否定と他者否定の両方に陥ってしまうようなことも起こりうる。
さらに進んだ症状の一つとして、「働いたら負けかな」と自身の方向性を先延ばしにするなどやる気を失った厭世的な思考に至る「院二病」や、今までの言動を恥ずかしく思い、極端な自己否定に走った結果自分らしさを見失ってしまい没個性に甘んじる「裏中二病」などもある。
なお、言葉が生まれたのは平成というインターネットが普及してからの比較的新しい時代であるが、昭和やそれ以前から大二病に相当するような若者はいたといえる。