概要
日本人騎手(武豊)による初の海外GⅠ優勝(ムーランドロンシャン賞)をもたらした。
主な勝ち鞍はムーランドロンシャン賞(1994年)、京王杯スプリングカップ(1994年)など。
半弟にスキーチャンプ(アルゼンチンGⅠの5月25日大賞に勝利)、スキーキャプテン(日本馬初のケンタッキーダービー出走)がいる。
プロフィール
略歴
1990年
5月12日、かつて社台ファームのアメリカ法人だったフォンテンブローファーム(ケンタッキー州)に誕生。
父のリファールはノーザンダンサーの子で大種牡馬、母のスキーゴーグルはエイコーンステークス(GⅠ)などを勝ち6戦5勝の成績を残した。
社台ファーム代表の吉田照哉所有馬となる。
1992年
フランスに輸出され、アンドレ・ファーブル調教師(凱旋門賞を8勝)の厩舎に入厩。
9月1日、エヴリ競馬場(イル=ド=フランス)のオメール賞(芝1200m)でデビューし、ファームフレンドの2着に敗れた。
9月6日、ロンシャン競馬場(パリ)のアランベール賞(GⅢ)に出走し、ザイーテンの3着に敗れた。
10月9日、メゾンラフィット競馬場(イヴリーヌ県)のグリスペルル賞に出走し、チャンストゥビーワイルドの2着に敗れた。
11月3日、サンクルー競馬場(イル=ド=フランス)のガルドフュー賞に出走し、初勝利を飾る。
1993年
4月21日、エヴリ競馬場のアンフェルヴィユ賞に出走し、2勝目を上げる。
5月16日、ロンシャン競馬場の仏1000ギニー(GⅠ)に出走し、マドレーヌズドリームにゴール前で差されてハナ差の2着に敗れた。
6月6日、シャンティイ競馬場(オワーズ県)のサンドリンガム賞(GⅢ)に出走し、1着。重賞初制覇となった。
7月31日、ドーヴィル競馬場(ノルマンディー)のアスタルテ賞(GⅡ)に出走し、1着。後方待機からの強烈な追い込みを見せた。
8月15日、ドーヴィル競馬場のジャックルマロワ賞(GⅠ)に出走し、サイエダティにアタマ差の2着に敗れた。
9月5日、ロンシャン競馬場のムーランドロンシャン賞(GⅠ)に出走。キングマンボ、ビッグストーン、バラシア、カルチャーヴァルチャー、ゴールドスプラッシュといった強力なメンバーとの戦いとなる。ゴール前でキングマンボに差し返され、アタマ差の2着に敗れた。
10月10日、ロンシャン競馬場のフォレ賞(GⅠ)に出走し、ドルフィンストリートにアタマ差の2着に敗れた。アメリカに遠征し、ブリーダーズカップマイル(GⅠ)に出走する事となる。
11月6日、サンタアニタ競馬場(カリフォルニア州)でブリーダーズカップマイルに出走し、ルアーの2着に敗れた。この年は8戦3勝。2着5回が全てGⅠレースという結果に終わった。
1994年
日本に遠征し、外国馬に門戸が開放された安田記念(GⅠ)を目標とする事となる。
4月23日、武豊騎手を鞍上に東京競馬場(府中市)で安田記念の前哨戦となる京王杯スプリングカップ(GⅡ)に出走。同じく安田記念を目標にフランスから遠征してきたザイーテンに1馬身半差をつけて完勝した。
5月15日、東京競馬場で安田記念に出走するが、16kg増と太め残りで、ノースフライトの5着に敗れた。他の外国馬もことごとく太め残りで振るわなかった。
フランスに帰国するが、引き続き武豊騎手が主戦を務めることになった。吉田善哉所有のホワイトマズルが武豊騎手を鞍上にキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスと凱旋門賞に出走予定で、欧州の競馬に少しでも慣れさせたいという思惑からであった。
7月31日、ドーヴィル競馬場でアスタルテ賞に出走し、ハトゥーフの2着に敗れた。
8月14日、ドーヴィル競馬場でジャックルマロワ賞に出走し、イーストオブザムーンの5着に敗れた。
9月4日、ロンシャン競馬場でムーランドロンシャン賞に出走し、2着イーストオブザムーンに3/4馬身差をつけてGⅠ初勝利。武豊も日本初の海外GⅠ優勝騎手となった。イギリス遠征に向かう。
9月24日、アスコット競馬場(バークシャー州)でクイーンエリザベス2世ステークス(GⅠ)に出走するが、出遅れが響いてマルーフの4着に敗れた。マルーフは最低人気で単勝オッズ67倍であった。
10月2日、凱旋門賞で武豊騎手はホワイトマズルに騎乗したが6着に敗れ、不甲斐ない騎乗ぶりが批判されてフォレ賞ではスキーパラダイスに騎乗しない事となった。
10月16日、ティエリ・ジャルネ騎手を鞍上にロンシャン競馬場でフォレ賞に出走し、ビッグストーンの5着に敗れた。最終直線で馬群に包まれ脚を余しての惨敗で、引退レースのブリーダーズカップマイルでは武豊騎手が鞍上に戻る事となった。アメリカ遠征に向かう。
11月5日、チャーチルダウンズ競馬場(ケンタッキー州)でブリーダーズカップマイルに出走し、勝ったバラシアから11馬身差の10着に敗れた。
1995年
日本に輸出され、社台ファームで繁殖牝馬となる。初年度はサンデーサイレンスの種がつけられた。
1997年
2番仔のエアトゥーレ(父:トニービン)が誕生。阪神牝馬ステークス(GⅡ)を勝ち、繁殖牝馬としてキャプテントゥーレなど重賞馬4頭を輩出した。
2009年
この年以降、流産と不受胎が続く。
2011年
11月1日、用途変更となり社台ファームを去る。その後の消息は不明。