ローマ帝国 首都ローマ:BC43 - AD284
Julio=Claudian dynasty BC43年 - AD67 6代
初代 | アウグストゥス,IMPERATOR CAESAR DIVI FILIVS AVGVSTVS |
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本名 | ガイウス・オクタウィアヌス,Gaius CAIVS OCTAVIANVS |
変名 | ガイウス・ユリウス・カエサル,GAIVS JVLIVS CAESAR |
誕生 | B.C63年9月23日 |
誕生地 | ローマ(イタリア本土) |
元首就任 | なし(別に就任式をしていない、紀元前43年の『第二回三頭政治』から政権を握っている状態。) |
権力 | ※カエサルの後継者として 第一人者就任 最高司令官就任 執政官権限委託 地方行政命令権限委託 護民官就任 監察官就任 最高神祇官就任 国父授与 |
政権 | B.C43 – 14年8月19日(57年) |
補足 | |
崩御 | 14年8月19日・自然死 |
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※元首としての権力兼任、第一人者、最高司令官、執政官権限・任命命令権限、地方行政命令権限、護民職、監察職 本来は『アウグストス一族』なので特別の処置だった。
2代 | ティベリウス,TIBERIVS CAESAR AVGVSTVS |
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誕生 | 紀元前42年11月16日 誕生地ローマ(イタリア本土) |
皇帝名 | インペラトル・カエサル・アウグストォス,IMPERATOR CAESAR AVGVSTVS |
権力 | アウグストォスから |
政権 | 14年9月18日 – 37年3月16日 |
補足 | 『イエス・キリスト』が処刑された時の皇帝 |
崩御 | 紀元後37年3月16日・暗殺説あり |
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3代 | ガイウス・ユリウス・カエサル,GAIVS CAESAR AVGVSTVS GERMANICVS |
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別名 | (カリグラ),CALIGVLA |
誕生 | 12年8月31日 アンティウム(イタリア本土) |
権力 | 元老院・アウグストス家なので |
政権 | 37年3月18日– 41年1月24日 |
補足 | |
崩御 | 41年1月24日・近衛隊による暗殺 |
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4代 | クラウディウス,TIBERIVS CLAVDIVS CAESAR AVGVSTVS GERMANICVS |
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誕生 | 10年8月1日 ルグドゥヌム(属州ガリア・ルグドゥネンシス) |
権力 | 元老院・アウグストス家なので |
政権 | 41年1月25日(26日説あり) – 54年10月13日 |
補足 | |
崩御 | 54年10月13日・自然死(小アグリッピナによる暗殺?) |
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5代 | ネロ,NERO CLAVDIVS CAESAR AVGVSTVS GERMANICVS |
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誕生 | 37年12月15日 アンティウム(イタリア本土) |
権力 | 元老院・アウグストス家なので |
政権 | 54年10月13日 - 68年6月9日 |
補足 | |
崩御 | 68年6月11日・自害 |
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四皇帝の年
6代 | ガルバ SERVIVS GALBA IMPERATOR CAESAR AVGVSTVS |
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誕生 | 3年12月24日 テッラチーナ(イタリア本土) |
権力 | 元老院 |
簒奪 | 68年6月8日 – 69年1月15日 |
補足 | |
崩御 | 69年1月15日・オトと近衛隊による暗殺 |
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※簒奪・強奪=元首を殺したなどで地位を奪い自ら元首となり政権を続けること。
7代 | オト,MARCVS OTHO CAESAR AVGVSTVS |
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誕生 | 32年4月25日 エトルリア(イタリア本土) |
権力 | ガルバから奪う |
簒奪 | 69年1月15日 – 69年4月15日 |
補足 | |
崩御 | 69年4月15日・自害 |
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8代 | ウィテッリウス,AVLVS VITELLIVS GERMANICVS AVGVSTVS |
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誕生 | 15年9月7日 ローマ(イタリア本土) |
権力 | オトから奪う |
簒奪 | 69年4月17日 – 69年12月20日 |
補足 | |
崩御 | ウェスパシアヌス軍との戦いで敗死(記録末殺) |
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フラウィウス朝 Flavius AD69 - 96 3代
9代 | ウェスパシアヌス,TITVS FLAVIVS CAESAR VESPASIANVS AVGVSTVS |
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誕生 | 9年11月17日 フラシリネ(イタリア本土) |
権力 | 元老院・『皇帝法』※によりこれ以降の元首には自動的に権力をもらえる。 |
元首政権 | 69年7月1日 – 79年6月23日 |
補足 | 『皇帝法』により元首の権力が自動的に以降するようになる。フラウィウス朝の初代皇帝。 |
崩御 | 79年6月23日 自然死 |
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※皇帝法=『アウグストス一族』の権限を『ウェスパシアヌス』に『自動継続』、さらにこれ以降の皇帝にも『自動継続』させるようにした法
10代 | ティトゥス,TITVS FLAVIVS CAESAR VESPASIANVS AVGVSTVS |
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誕生 | 39年12月30日 ローマ(イタリア本土) |
権力 | エェスパシヤヌスの遺言 |
元首政権 | 79年6月24日 – 81年9月13日 |
補足 | |
崩御 | 81年9月13日 病死 |
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11代 | ドミティアヌス,TITVS FLAVIVS CAESAR DOMITIANVS AVGVSTVS |
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誕生 | 51年10月24日 ローマ(イタリア本土) |
権力 | 元老院 |
元首政権 | 81年9月14日 – 96年9月18日 |
補足 | |
崩御 | 96年9月18日 召使による暗殺(記録抹殺) |
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ネルウァ=アントニヌス朝 Nerva=Antonine dynasty AD96 - 192 7代
12代 | ネルウァ,MARCVS COCCIEVS NERVA CAESAR AVGVSTVS |
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誕生 | 35年11月8日 ナルニ(イタリア本土) |
権力 | 元老院の推薦 |
元首政権 | 96年9月18日 – 98年1月27日 |
補足 | |
崩御 | 98年1月27日 自然死 |
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13代 | トラヤヌス,CAESAR MARCVS VLPIVS NERVA TRAIANVS AVGVSTVS |
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誕生 | 53年9月18日 イタリカ(属州ヒスパニア・バエティカ) |
権力 | ネルウァの遺言 |
元首政権 | 98年1月28日 - 117年8月9日 |
補足 | |
崩御 | 117年8月9日 自然死 |
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14代 | ハドリアヌス,CAESAR PVBLIVS AELIVS TRAIANVS HADRIANVS AVGVSTVS |
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誕生 | 76年1月24日 イタリカ(属州ヒスパニア・バエティカ) |
権力 | トラヤヌスから |
元首政権 | 117年8月11日 – 138年7月10日 |
補足 | |
崩御 | 138年7月10日 病死 |
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15代 | アントニウス・ピウス,CAESAR TITVS AELIVS HADRIANVS ANTONINVS AVGVSTVS PIVS |
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誕生 | 86年9月19日 ラウィニウム(イタリア本土) |
権力 | ハドリアヌスから |
元首政権 | 138年7月10日 – 161年3月7日 |
補足 | |
崩御 | 161年3月7日 自然死 |
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16代 | |
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| マルクス・アウレリウス・アントニウス,CAESAR MARCVS AVRELIVS ANTONINVS AVGVSTVS |
| ルキウス・ウェルス,CAESAR LVCIVS AVRELIVS VERVS AVGVSTVS |
誕生 | 121年4月26日 ローマ(イタリア本土) |
権力 | マルクス-アントニウスから |
権力 | ルキウス-マルクス・アウレリウスから |
誕生 | 130年12月15日 ローマ(イタリア本土) |
元首政権 | 161年3月7日 – 180年3月17日 |
補足 | |
補足 | |
崩御 | マルクス-180年3月17日 自然死(最前線) |
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崩御 | ルキウス-169年 病死 |
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17代 | コンモドゥス,CAESAR MARCVS AVRELIVS COMMODVS ANTONINVS AVGVSTVS |
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権力 | マルクスアウレウスから |
誕生 | 161年8月31日 ラウィニウム(イタリア本土) |
元首政権 | 180年3月18日 – 192年12月31日 |
補足 | 暗君愚帝で有名 |
崩御 | 192年12月31日 近衛隊による暗殺(記録抹殺) |
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五皇帝時代
18代 | ペルティナクス,CAESAR PVBLIVS HELVIVS PERTINAX AVGVSTVS |
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誕生 | 126年8月1日 アルバ・ポンペイア(イタリア本土) |
権力 | コンモドォスから奪う |
簒奪 | 193年1月1日 - 193年3月28日 |
補足 | |
崩御 | 193年3月28日 近衛隊による暗殺 |
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19代 | ディディウス・ユリアヌス,CAESAR MARCVS DIDIVS SEVERVS IVLIANVS AVGVSTVS |
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誕生 | 133年1月30日 メディオラヌム(イタリア本土) |
権力 | 帝位競売で競り落とす |
簒奪 | 193年3月28日 - 193年6月1日 |
補足 | |
崩御 | 193年6月1日 近衛隊による暗殺 |
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セウェルス朝 Severus 193 - 235 6代
20代 | セプティミウス・セウェルス,CAESAR LVCIVS SEPTIMIVS SEVERVS PERTINAX AVGVSTVS |
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誕生 | 146年4月11日 レプティス・マグナ(属州アフリカ) |
権力 | 元老院を脅迫 |
強奪 | 193年4月9日 - 211年2月4日 |
補足 | |
崩御 | 211年2月4日 自然死 |
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21代 | セプティミウス・バッシアヌス,LVCIVS SEPTIMIVS BASSANVS |
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別名 | (カラカラ)CARACALLA |
皇帝名 | マルクス・アウレリウス・アントニヌス,CAESAR MARCVS AVRELIVS SEVERVS ANTONINVS PIVS AVGVSTVS |
誕生 | 186年4月4日 ルグドゥヌム(属州ガリア・ルグドゥネンシス) |
権力 | セウェルスの遺言 |
元首政権 | 198年頃 – 217年4月8日 |
補足 | 『アントニヌス勅令』が有名 |
崩御 | 217年4月8日 マクリヌスによる暗殺。 |
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21代 | ゲタ,CAESAR PVBLIVS SEPTIMIVS GETA AVGVSTUS |
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誕生 | 189年3月7日 ローマ(イタリア本土) |
権力 | セウェルスの遺言 |
元首政権 | 209年頃 – 211年12月26日 |
補足 | カラカラの謀略に嵌り命を散らす。 |
崩御 | 211年12月26日 カラカラによる暗殺。 |
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セウェルス朝断絶 この後6年間『元首』が空位となる。
22代 | |
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| マクリヌス,MARCVS OPELLIVS SEVERVS MACRINVS AVGVSTVS PIVS FELIX |
| ディアドゥメニアヌス,MARCVS OPELLIVS ANTONINVS DIADUMENIANUVS |
誕生 |
| 165年(マクリヌス・オペッリウス) |
| 208年(マルクス・オペッリウス・ディアドゥメニアヌス) |
権力 | カラカラから奪う |
簒奪 | 217年4月11日 - 218年6月8日 |
補足 | |
崩御 | 218年 ヘリオガバルス軍に敗死 |
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復興セウェルス朝 203 - 235 2代
24代 | アレクサンデル・セウェルス、CAESAR MARCVS AVRELIVS SEVERVS ALEXANDER AVGVSTVS |
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誕生 | 208年10月1日 アルカ・カエサリア(属州ユダヤ) |
権力 | 祖母から |
元首政権 | 222年3月13日 - 235年3月18日 |
補足 | |
崩御 | 235年3月18日 軍による暗殺 |
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235 - 284
25代 | マクシミヌス・トラクス,CAESAR GAIVS JVLIVS VERVS MAXIMINVS AVGVSTVS |
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誕生 | 173年 (属州トラキア、若しくはモエシア) |
権力 | 軍団から |
強奪 | 235年3月20日 – 238年4月頃 |
補足 | |
死亡 | 238年4月頃 軍による暗殺(記録抹殺) |
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25代 | クインティヌス,QVINNTINVSV |
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権力 | 軍団から |
期間 | 235 |
補足 | |
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26代 | |
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| ゴルディアヌス1世,CAESAR MARCVS ANTONIVS GORDIANVS SEMPRONIANVS AFRICANVS AVGVSTVS |
| ゴルディアヌス2世,CAESAR MARCVS ANTONIVS GORDIANVS SEMPRONIANVS ROMANVS AFRICANVS AVGVSTVS |
誕生 | 1世-159年 (属州フリュギア) |
誕生 | 2世-192年 |
権力 | 1世,2世-元老院から |
元首政権 | 238年3月22日 – 238年4月12日 |
補足 | |
崩御 | 1世- 238年4月12日 自害(記録抹殺) 2世-238年4月12日 トラクス軍との戦いで敗死(記録抹殺) |
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27代 | |
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| プピエヌス,CAESAR MARCVS CLODIVS PVPIENVS MAXIMVS AVGVSTVS |
| バルビヌス,CAESAR DECIMVS CAELIVS CALVINVS BALBINVS PIVS AVGVSTVS |
誕生 | プピエヌス-178年 |
誕生 | バルビヌス-不明 |
権力 | 元老院から推薦 |
元首期間 | 238年4月22日 – 238年7月29日 |
補足 | |
崩御 | 238年7月29日 両者近衛隊による暗殺(記録抹殺) |
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28代 | ゴルディアヌス3世,CAESAR MARCVS ANTONIVS GORDIANVS AVGVSTVS |
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誕生 | 225年1月20日 ローマ(イタリア本土) |
元首政権 | 238年4月22日 – 244年2月11日 |
補足 | |
崩御 | 244年2月11日 ペルシア軍との戦いで敗死(もしくはピリップス・アラブスによる暗殺)(記録抹殺) |
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29代 | ※2名 |
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| ピリップス・アラブス,CAESAR MARCVS IVLIVS PHILLIPVS AVGVSTVS |
| ピリップス2世,PHILLIPVS II |
誕生 | 不明 シャハバ(属州シリア) |
元首期間 | 244年2月頃 – 249年後半 |
補足 | |
死亡 | 249年後半 デキウス軍との戦いで敗死(記録抹殺) |
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30代 | |
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| デキウス,CAESAR GAIVS MESSIVS QVINTVS TRAIANVS DECIVS AVGVSTVS |
| エトルスクス・デキウス,QVINTVS HERENNIVS ETRVSCVS MESSIVS DECIVS |
誕生 | 201年 ブダリア(属州下パンノニア) |
権力 | ピリップス・アラブスから奪う |
簒奪 | 249年後半 – 251年6月頃 |
補足 | |
死亡 | 251年6月 ゴート軍との戦いで敗死(記録抹殺) |
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31代 | ホスティリアヌス,CAESAR CAIVS VALENS HOSTILIANVS MESSIVS QVINTVS AVGVSTVS |
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誕生 | 不明、ローマ |
元首政権 | 251年6月 – 251年後半 |
補足 | |
崩御 | 251年後半 ガッルス軍との戦いで敗死(記録抹殺) |
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32代 | |
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| トレボニアヌス・ガッルス(ガルス),CAESAR GAIVS VIBIVS TREBONIANVS GALLVS AVGVSTVS |
| ウォルシアヌス,Gaius Vibius Volusianus |
誕生 | 206年(イタリア本土) |
簒奪 | 251年6月 – 253年8月 |
補足 | |
死亡 | 253年8月 軍による暗殺(記録抹殺) |
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33代 | アエミリアヌス,CAESAR MARCVS AEMILIVS AEMILIANVS AVGVSTVS |
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誕生 | 207年(属州アフリカ) |
簒奪 | 253年8月 – 253年10月 |
補足 | |
死亡 | 253年10月 軍による暗殺(記録抹殺) |
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34代 | ウァレリアヌス,CAESAR PVBLIVS LICINIVS VALERIANVSAVGVSTVS |
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誕生 | 200年出身不明 |
政権 | 253年10月 – 260年 |
補足 | |
死亡 | 260年 ペルシア王シャープール1世による処刑される(記録抹殺) |
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34・35代 | |
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| ガッリエヌス(ガリエヌス),CAESAR PVBLIVS LICINIVS EGNATIVS GALLIENVS AVGVSTVS |
| サロニヌス(息子)PVBLIVS LICINIVS CONELIVS SALONINVS |
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元首政権 | |
| ガリエヌス253年10月 – 268年9月 |
| サロニヌス260年、殺害 |
補足 | |
崩御 | 268年9月 クラウディウス・ゴティクスによる暗殺(記録抹殺) |
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36代 | クラウディウス・ゴティクス,CAESAR MARCVS AVRELIVS CLAVDIVS AVGVSTVS |
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誕生 | 213年(214年)5月10日シルミウム(属州パンノニア) |
権力 | ガリエヌスから奪う |
簒奪 | 268年9月 – 270年1月 |
補足 | |
崩御 | 270年1月 自然死(記録抹殺) |
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37代 | クィンティッルス,CAESAR MARCVS AVRELIVS CLAVDIVS QVINTILLVS AVGVSTVS |
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誕生 | 不明シルミウム(属州パンノニア) |
元首政権 | 270年 |
補足 | |
崩御 | 270年 アウレリアヌスによる暗殺(記録抹殺) |
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38代 | アウレリアヌス,CAESAR LVCIVS DOMITIVS AVRELIANVS AVGVSTVS |
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誕生 | 214年(215年)9月9日シルミウム(属州パンノニア) |
元首政権 | 270年 – 275年9月 |
補足 | |
崩御 | 275年9月 秘書官による暗殺(記録抹殺) |
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39代 | タキトゥス,CAESAR MARCVS CLAVDIVS TACITVS AVGVSTVS |
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誕生 | 200年 テルニ |
元首政権 | 275年9月25日 – 276年6月 |
補足 | |
崩御 | 276年6月 自然死(記録抹殺) |
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40代 | フロリアヌス,CAESAR MARCVS ANNIVS FLORIANVS AVGVSTVS |
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誕生 | 不明 |
元首期間 | 276年6月 – 276年9月 |
補足 | |
死亡 | 276年9月 軍による暗殺(記録抹殺) |
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41代 | プロブス,CAESAR MARCVS AVRELIVS PROBVS AVGVSTVS |
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誕生 | 232年シルミウム(属州パンノニア) |
元首政権 | 276年9月 – 282年後半 |
補足 | |
崩御 | 282年後半 カルスに暗殺(記録抹殺) |
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42代 | カルス,CAESAR MARCVS AVRELIVS CARVS AVGVSTVS |
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誕生 | 230年ナルボ |
権力 | 軍団 |
簒奪 | 282年後半 – 283年8月 |
補足 | |
死亡 | 283年8月 事故死(記録抹殺) |
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43代 | カリヌス,CAESAR MARCVS AVRELIVS CARINVS AVGVSTVS |
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誕生 | 不明 |
権力 | 軍団 |
元首政権 | 283年8月 – 285年 |
補足 | |
崩御 | 285年 ディオクレティアヌス軍との戦いで敗死(記録抹殺) |
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43代 | ヌメリアヌス,CAESAR MARCVS AVRELIVS NVMERIVS NVMERIANVS AVGVSTVS |
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誕生 | 不明 |
権力 | 軍団 |
兼任 | 283年8月 – 284年 |
補足 | |
崩御 | 284年 軍による暗殺(記録抹殺) |
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簒奪 | サビヌス・ユリアヌス MARCVS AVRELIVS SABINVS JVLIANVS |
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権力 | 軍団 |
期間 | 284–285 |
補足 | 軍団長、パンノニアで皇帝僭称。カリヌスの反乱者。(記録抹殺) |
τετραρχία, tetrarkhia, tetrarchia, tetrarchy,
軍団長皇帝の戦国時代終結、【副帝】の上位である絶対的皇帝よる担当統治に変更
『正帝』
293年 - 305年皇帝【AVGVSTVS】
東方(オリエント)ディオクレティアヌス 285年–293年
44代 | ディオクレティアヌス,CAESAR GAIVS AVRELIVS VALERIVS DIOCLETIANVS AVGVSTVS |
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誕生 | 244年12月22日 サロナ(属州ダルマティア) |
在位 | 284年11月20日 – 305年5月1日 |
権力 | 軍団から『皇帝即位』 |
統治 | 東方ローマ元首・ローマ皇帝 |
補足 | |
崩御 | 311年12月3日 自然死 |
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西方(オキシデント)マクシミアヌス 285年–293年
44代 | マクシミアヌス,CAESAR GAIVS AVRELIVS VALERIVS MAXIMIANVS AVGVSTVS |
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誕生 | 250年頃 シルミウム(属州パンノニア) |
権力 | ディオクレアティヌスから任命 |
在位 | 286年4月1日 – 311年5月1日 |
統治 | 西方ローマ元首・皇帝 |
補足 | |
崩御 | 310年頃 コンスタンティヌス1世により処刑される |
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293年 - 305年 元首(副帝)【CAESAR】
東方(イリュリクム)ガレリウス 293年–305年
45代 | ガレリウス,CAESAR GALERIVS VALERIVS MAXIMIANVS AVGVSTVS |
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誕生 | 260年頃フェリクス・ロムリアナ(属州モエシア) |
権力 | ディオクレティアヌス帝の後任皇帝 |
在位 | 305年5月1日 – 311年5月頃 |
統治 | 東方ローマ元首・皇帝 |
補足 | |
崩御 | 311年 自然死 |
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西方(ガリアおよびヒスパニア)コンスタンティウス・クロルス 293年–305年
44代・45代 | コンスタンティウス・クロルス,CAESAR GAIVS FLAVIVS VALERIVS CONSTANTIVS AVGVSTVS |
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| コンスタンティウス1世 CONSTANTIVSⅠ |
誕生 | 250年3月31日ダルダニ(属州モエシア) |
権力 | ディオクレアティヌスから任命 |
在位 | 305年5月1日 – 306年7月25日 |
統治 | 西方ローマ元首・皇帝 |
補足 | |
崩御 | 306年7月25日 自然死 |
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305 - 306年 皇帝 【AVGVSTVS】
東方(オリエント)ディオクレティアヌス 285年–293年
44代 | ディオクレティアヌス,CAESAR GAIVS AVRELIVS VALERIVS DIOCLETIANVS AVGVSTVS |
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西方(ガリア、ヒスパニアおよびブリタンニア)コンスタンティウス・クロルス 305年–306年
44代・45代 | コンスタンティウス・クロルス,CAESAR GAIVS FLAVIVS VALERIVS CONSTANTIVS AVGVSTVS |
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305 -306 元首【CAESAR】
東方副帝(オリエント)マクシミヌス・ダイア 305年–306年
46代 | マクシミヌス・ダイア,CAESAR GALERIVS VALERIVS MAXIMINVS AVGVSTVS |
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誕生 | 270年11月20日 |
権力 | ガレリウス帝の推薦 |
在位 | 311年5月1日 – 313年後半 |
統治 | 東方ローマ元首・皇帝 |
補足 | |
崩御 | 313年後半 リキニウスの軍勢に敗死 |
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西方副帝(イタリア本土およびアフリカ)フラウィウス・ウァレリウス・セウェルス 305年–306年
45代 | フラウィウス・ウァレリウス・セウェルス,FLAVIVS VALERIVS SEVERVS AVGVSTVS |
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誕生 | 不明 |
権力 | ガレリウス帝の推挙 |
在位 | 306年夏 – 307年前半 |
統治 | 西方ローマ元首・皇帝 |
補足 | |
崩御 | 307年9月16日 マクセンティウスにより処刑される(記録抹殺) |
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306年 - 307年 皇帝 【AVGVSTVS】
東方(イリュリクム)ガレリウス 306年–307年
45代 | ガレリウス,CAESAR GALERIVS VALERIVS MAXIMIANVS AVGVSTVS |
西方(イタリア本土およびアフリカ)ウァレリウス・セウェルス 306年–307年
45代 | ウァレリウス・セウェルス,FLAVIVS VALERIVS SEVERVS AVGVSTVS |
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306 -307 元首 【CAESAR】
東方(オリエント)マクシミヌス・ダイア 306年–307年
46代 | マクシミヌス・ダイア,CAESAR GALERIVS VALERIVS MAXIMINVS AVGVSTVS |
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西方(ガリア、ヒスパニア及びブリタニア)コンスタンティヌス1世 306年–307年
46代・50代 | コンスタンティヌス1世,CAESAR FLAVIVS CONSTANTINVS VALERIVS AVGVSTVS |
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| CONSTANTINVS Ⅰ |
| コンスタンティヌス大帝,Constantine the Great |
誕生 | 272年2月27日 ナイッスス(属州モエシア) |
在位 | 306年7月25日 – 337年5月22日 |
統治 | 西方ローマ元首(306)、西方皇帝(312)、ローマ皇帝(324) |
補足 | |
崩御 | 337年5月22日 自然死 |
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首都司令(ローマ) 307
首都司令(ローマ)マクセンティウス 307年
46代 | マクセンティウス,MARCVS AVRELIVS VALERIVS MAXENTIVS AVGVSTVS |
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誕生 | 278年頃 |
権力 | ウァレリウス・セウェルスより奪う |
簒奪 | 306年10月28日 – 312年10月28日 |
統治 | 西方ローマ元首・皇帝 |
補足 | |
死亡 | 312年10月28日 コンスタンティヌス1世の軍勢に敗死(記録抹殺) |
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306年 - 307年 皇帝 【AVGVSTVS】
東方(イリュリクム)ガレリウス 307年–311年
45代 | ガレリウス,CAESAR GALERIVS VALERIVS MAXIMIANVS AVGVSTVS |
誕生 | 260年頃フェリクス・ロムリアナ(属州モエシア) |
権力 | ディオクレティアヌス帝の後任皇帝 |
在位 | 305年5月1日 – 311年5月頃 |
統治 | 東方ローマ元首・皇帝 |
補足 | |
崩御 | 311年 自然死 |
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東方(トラキアおよびポントゥス)リキニウス 308年
49代・50代 | |
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| リキニウス,CAESAR GAIVS VALERIVS LICINIVS AVGVSTVS |
49代 | |
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| リキニウス,CAESAR GAIVS VALERIVS LICINIVS AVGVSTVS |
誕生 | 263年頃 – 325年フェリクス・ロムリアナ(属州モエシア) |
権力 | マクシミヌスから奪う |
在位 | リキ二ウス,308年11月11日 – 324年9月18日 |
統治 | 東方ローマ元首・皇帝 |
補足 | |
処刑 | 325年頃 リキ二ウス、バレンスともコンスタンティヌス1世により処刑される(記録抹殺) |
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東方(オリエント)マクシミヌス・ダイア 310年–313年
46代 | マクシミヌス・ダイア,CAESAR GALERIVS VALERIVS MAXIMINVS AVGVSTVS |
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306 - 307 西方 皇帝【AVGVSTVS】
西方(ガリア、ヒスパニア及びブリタニア)コンスタンティヌス1世 307年
46代・50代 | コンスタンティヌス1世,CAESAR FLAVIVS CONSTANTINVS VALERIVS AVGVSTVS |
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| CONSTANTINVS Ⅰ |
西方(イタリア)マクセンティウス 307年–312年
46代 | マクセンティウス,MARCVS AVRELIVS VALERIVS MAXENTIVS AVGVSTVS |
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誕生 | 278年頃 |
権力 | ウァレリウス・セウェルスより奪う |
簒奪 | 306年10月28日 – 312年10月28日 |
統治 | 西方ローマ元首・皇帝 |
補足 | |
死亡 | 312年10月28日 コンスタンティヌス1世の軍勢に敗死(記録抹殺) |
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西方(イタリア)マクシミアヌス 307年–310年
44代 | マクシミアヌス,CAESAR GAIVS AVRELIVS VALERIVS MAXIMIANVS AVGVSTVS |
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誕生 | 250年頃 シルミウム(属州パンノニア) |
権力 | ディオクレアティヌスから任命 |
在位 | 286年4月1日 – 311年5月1日 |
統治 | 西方ローマ元首・皇帝 |
補足 | |
崩御 | 310年頃 コンスタンティヌス1世により処刑される |
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306 - 307 元首 【CAESAR】
東方(オリエント)マクシミヌス・ダイア 307年–310年
46代 | マクシミヌス・ダイア,CAESAR GALERIVS VALERIVS MAXIMINVS AVGVSTVS |
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313年 - 324年 皇帝【AVGVSTVS】
東方(オリエント)リキニウス 313年–324年
49代・50代 | |
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| リキニウス,CAESAR GAIVS VALERIVS LICINIVS AVGVSTVS |
誕生 | 263年頃 – 325年フェリクス・ロムリアナ(属州モエシア) |
権力 | マクシミヌスから奪う |
在位 | リキ二ウス,308年11月11日 – 324年9月18日 |
統治 | 東方ローマ元首・皇帝 |
補足 | |
処刑 | 325年頃 リキ二ウス、バレンスともコンスタンティヌス1世により処刑される(記録抹殺) |
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西方(オキシデント)コンスタンティヌス1世 313年–324年
46代・50代 | コンスタンティヌス1世,CAESAR FLAVIVS CONSTANTINVS VALERIVS AVGVSTVS |
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| CONSTANTINVS Ⅰ |
東方(オリエント)マルティニアヌス 324年
50代 | マルティアヌス,SEXTVS MARCIVS MARTINIVS |
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誕生 | 不明 |
権力 | リキ二ウスより |
在位 | 324年 |
補足 | |
処刑 | 325年頃 リキ二ウス、マルティアヌス、バシアヌス、バレンス4人ともコンスタンティヌス1世により処刑される(記録抹殺) |
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313年 - 324年 元首 【CAESAR】
西方(イタリア)バシアヌス
50代 | バシアヌス,BASSIANVS |
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誕生 | 不明 |
権力 | 元老議員より |
在位 | 313年–316年 |
補足 | |
処刑 | 325年頃 リキ二ウス、マルティアヌス、バシアヌス、バレンス4人ともコンスタンティヌス1世により処刑される(記録抹殺) |
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東方(イリュリクム)ウァレリウス・バレンス 314–316年
50代 | ヴァレリウス・バレンス,VRELIVS VALENIVS VALENS |
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誕生 | 不明 |
権力 | リキ二ウスより |
在位 | 316-317年 |
補足 | |
処刑 | 325年頃 リキ二ウス、マルティアヌス、バシアヌス、バレンス4人ともコンスタンティヌス1世により処刑される(記録抹殺) |
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東方(オリエント)小リキニウス 317年–324年
50代 | 小リキ二ウス LICINIVS MINOR |
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在位 | 317 - 324 |
処刑 | コンスタンティヌス大帝により処刑 |
西方(オキシデント)クリスプス 317年–326年
50代 | クリスプス,CRISPVS |
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在位 | 317 - 324 |
処刑 | コンスタンティヌス大帝により処刑 |
分割皇帝が統一された。
50代 | コンスタンティヌス1世,CAESAR FLAVIVS CONSTANTINVS VALERIVS AVGVSTVS |
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| CONSTANTINVS Ⅰ |
| コンスタンティヌス大帝,Constantine the Great |
誕生 | 272年2月27日 ナイッスス(属州モエシア) |
在位 | 306年7月25日 – 337年5月22日 |
統治 | 西方ローマ元首(306)、西方皇帝(312)、全ローマ皇帝(324) |
補足 | |
崩御 | 337年5月22日 自然死 |
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51代 | ※3人 |
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| コンスタンティヌス2世,CAESAR FLAVIVS CLAVDIVS CONSTANTINVS AVGVSTVS |
| CONSTANTINVS Ⅱ |
誕生 | 不明 316年 |
権力 | コンスタンティヌス大帝の遺言 |
在位 | 337年5月22日 – 340年 |
統治 | ローマ皇帝 |
補足 | |
| コンスタンティウス2世,CAESAR FLAVIVS IVLIVS CONSTANTIVS AVGVSTVS |
| CONSTANTIVS II |
誕生 | 317年8月7日シルミウム(属州パンノニア) |
権力 | コンスタンティヌス大帝の遺言 |
在位 | 337年5月22日 – 361年11月3日 |
統治 | 東方ローマ元首(324) ローマ皇帝(353) |
補足 | |
崩御 | 361年11月3日 自然死 |
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51代 | |
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| コンスタンス1世,CAESAR FLAVIVS IVLIVS CONSTANS AVGVSTVS |
| CONSTANS Ⅰ |
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権力 | コンスタンティヌス大帝の遺言 |
誕生 | 不明 320年 |
在位 | 337年5月22日 – 350年 |
統治 | 西方ローマ皇帝 |
補足 | |
崩御 | 350年 マグネンティウスにより暗殺される |
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| ヴェトラニオ |
| 不明 |
在位 | 不明 – 350年12月25日 |
権力 | コンスタンティヌス大帝の遺言 |
統治 | 西方ローマ元首 |
補足 | |
崩御 | 356年 自然死 |
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52代 | フラウィウス・マグヌス・マグネンティウス,FIAVIVS MAGNVS MAGNENTIVS |
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誕生 | 303年 - 353年8月11日不明 |
権力 | コンスタンス1世を殺害 |
簒奪 | 350年 - 353年 |
統治 | 西方ローマ元首 |
補足 | |
死亡 | 353年 自殺 |
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53代 | コンスタンティウス2世 CONSTANTIVS II |
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誕生 | 317年8月7日 - 361年11月3日イリュリクム(ローマ属州) |
統治 | 東方ローマ皇帝(324) ローマ皇帝(353) |
権力 | コンスタンティヌス大帝の遺言 |
在位 | 在位337年 - 361年 |
補足 | |
崩御 | 361年 病死 |
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54代 | ユリアヌス,CAESAR FLAVIVS CLAVDIVS IVLIANVS AVGVSTVS |
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誕生 | 332年(331年)コンスタンティノープル(属州トラキア) |
権力 | コンスタンティウス2世から |
在位 | 360年初頭 – 363年6月26日 |
補足 | 古代ローマ的価値観を通そうとした最期の皇帝 |
崩御 | 363年6月26日 遠征中に戦傷死 |
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55代 | ヨウィアヌス,CAESAR FLAVIVS IOVIANVS AVGVSTVS |
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誕生 | 331年シグドゥヌム(属州モエシア) |
権力 | ユリアヌスの軍団から |
在位 | 363年6月26日 – 364年2月17日 |
補足 | |
崩御 | 364年2月17日 自然死 |
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ウァレンティニアヌス朝 321 - 371 4代
56代 | ウァレンティニアヌス1世,FLAVIVS VALENTINIANVS AVGVSTVS |
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誕生 | 321年シバラエ(属州パンノニア) |
権力 | 遠征軍から支持 |
在位 | 364年2月26日 – 375年11月17日 |
補足 | |
崩御 | 375年11月17日 自然死 |
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57代 | ウァレンス,FLAVIVS IVLIVS VALENS AVGVSTVS |
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誕生 | 328年シバラエ(属州パンノニア) |
権力 | 後見人 |
在位 | 364年3月28日 – 378年8月9日 |
補足 | |
崩御 | 378年8月9日 ゴート軍との戦いで敗死 |
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58代 | グラティアヌス,FLAVIVS GRATIANVS AVGVSTVS |
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誕生 | 359年シルミウム(属州パンノニア) |
在位 | 367年8月4日 – 383年8月25日 |
補足 | |
崩御 | 383年8月25日 アグヌス・マキシムスにより暗殺される |
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58・60代 | テオドシウス1世,FLAVIVS THEODOSIVS AVGVSTVS |
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| テオドシウス大帝,Theodosius the Great |
誕生 | 347年1月11日カウカ(属州ヒスパニア) |
在位 | 379年1月1日 – 395年1月17日 |
統治 | 東ローマ元首(364 - 374) |
補足 | |
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崩御 | 395年1月17日 自然死 |
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58代 | ウァレンティニアヌス2世,FLAVIVS VALENTINIANVS INVICTVS AVGVSTVS |
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誕生 | 371年ミラノ(イタリア本土) |
在位 | 375年11月17日 – 392年5月15日 |
補足 | |
崩御 | 392年5月15日 暗殺 |
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59代 | ヨウィアヌス,FLIAVIVS JOVANVS |
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誕生 | 331年 不明 |
権力 | 軍団から |
在位 | 331年 - 364年2月17日 |
補足 | |
崩御 | 364年 事故死 |
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テオドシウス朝 THEODOSIVS 347 - (東ローマ518)(西ローマ455) 6代
60代 | テオドシウス1世,FLAVIVS THEODOSIVS AVGVSTVS |
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| テオドシウス大帝,Theodosius the Great |
誕生 | 347年1月11日カウカ(属州ヒスパニア) |
在位 | 379年1月1日 – 395年1月17日 |
---|
統治 | 東ローマ元首(364 - 374)東西ローマ(379) |
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補足 | |
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崩御 | 395年1月17日 自然死 |
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61代 | アルカディウス,FLAVIVS ARCADIVS AVGVSTVS |
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誕生 | 東ローマ377年 |
権力 | テオドシウス大帝から |
在位 | 383年1月 – 408年5月1日 |
統治 | 東ローマ帝国 |
補足 | |
崩御 | 408年5月1日 自然死 |
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62代 | ホノリウス,FLAVIVS HONORIVS AVGVSTVS |
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誕生 | 西ローマ384年9月9日 |
権力 | テオドシウス大帝から |
在位 | 393年1月23日 – 423年8月15日 |
統治 | 西ローマ帝国 |
補足 | |
崩御 | 423年8月15日 自然死 |
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62・63代 | コンスタンティウス3世,FLAVIVS CONSTANTIVS AVGVSTVS |
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| CONSTANTIVS Ⅲ |
誕生 | 西ローマ生年不明ナイッスス(属州モエシア) |
権力 | 世襲 |
在位 | 421年2月8日 – 421年9月2日 |
統治 | 西ローマ帝国 |
補足 | |
崩御 | 421年9月2日 自然死 |
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64代 | テオドシウス2世カリグラフォス,FLAVIVS THEODOSIVS AVGVSTVS |
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| THEODOSIVS Ⅱ Calligraphos |
権力 | 世襲 |
誕生 | 東ローマ401年4月10日コンスタンティノープル(属州トラキア) |
在位 | 408年5月1日 – 450年7月28日 |
統治 | 東ローマ |
補足 | |
崩御 | 450年7月28日 自然死 |
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65代 | マルキアヌス,Maricianus Μαρκιανός |
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誕生 | 396年 - 457年1月 |
権力 | テオドシウス2世 |
在位 | 在位:450年 - 457年 |
補足 | |
崩御 | 457年 病死 |
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西方ローマ帝国・ヨーロッパ・ローマニア Romania in Europe
テオドシウス朝(西ローマ朝) - 455 首都ラべェンナ
66代 | ヨハンネス(ヨハネス,JONANNES |
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誕生 | 西ローマ不明 |
在位 | 423年8月27日 – 425年5月 |
統治 | 西ローマ帝国 |
補足 | |
崩御 | 425年5月 ウァレンティニアヌス3世により処刑される(記録抹殺) |
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67代 | ウァレンティニアヌス3世,FLAVIVS PLACIDIVS VALENTINIANVS AVGVSTVS |
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誕生 | 西ローマ419年7月2日ラヴェンナ(イタリア本土) |
在位 | 424年10月23日 – 455年3月16日 |
統治 | 西ローマ帝国 |
補足 | |
崩御 | 455年3月16日 ペトロニウス・マキシマスにより暗殺される |
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テオドシウス朝断絶後(西ローマ朝)
68代 | ペトロニウス・マクシムス,FLAVIVS ANICIVS PETRONIVS MAXIMVS AVGVSTVS |
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誕生 | 396年 |
在位 | 455年3月17日 – 455年5月31日 |
統治 | 西ローマ帝国 |
補足 | |
崩御 | 455年5月31日 民衆による投石で死亡 |
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69代 | アウィトゥス,EPARCHIVS AVITVS AVGVSTVS |
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誕生 | 385年 |
簒奪 | 455年7月9日 – 456年10月17日 |
権力 | ゴート軍の助け |
統治 | 西ローマ帝国 |
補足 | |
崩御 | 456年10月17日 リキメルにより暗殺される |
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70代 | マヨリアヌス,IVLIVS VALERIVS MAIORIANVS AVGVSTVS |
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誕生 | 420年11月 |
権力 | リキメルにより即位 |
在位 | 457年4月 – 461年8月2日 |
統治 | 西ローマ帝国 |
補足 | |
崩御 | 461年8月2日 リキメルにより暗殺される |
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71代 | リウィウス・セウェルス,LIBIVS SEVERVS AVGVSTVS |
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誕生 | 生年不明ルカーニア(イタリア本土) |
権力 | リキメルにより即位 |
在位 | 461年11月 – 465年8月 |
統治 | 西ローマ帝国 |
補足 | |
崩御 | 465年 リキメルにより暗殺される |
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72代 | アンテミウス,PROCOPIVS ANTHEMIVS AVGVSTVS |
---|
誕生 | 420年 |
権力 | リキメルにより即位 |
在位 | 467年4月12日 – 472年7月11日 |
統治 | 西ローマ帝国 |
補足 | |
崩御 | 472年7月11日 リキメルにより暗殺される |
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73代 | オリュブリウス,FLAVIVS ANICIVS OLYBRIVS AVGVSTVS |
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誕生 | 420年 |
権力 | ヴァンダル軍の協力 |
在位 | 472年7月11日 – 472年11月2日 |
統治 | 西ローマ帝国 |
補足 | |
崩御 | 472年11月2日 自然死 |
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74代 | グリュケリウス,GLYCERIVS |
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誕生 | 不明 |
権力 | ブルグント族のグンドバルト王の協力で帝位を奪い取る |
在位 | 473年3月 – 474年6月 |
統治 | 西ローマ帝国 |
補足 | |
崩御 | 480年以降 サロナにて病没 |
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75代 | ユリウス・ネポス,JILIVS NEPOS |
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誕生 | 430年 |
権力 | 東方ローマ人の支持でグリュケリウスを追放して皇帝 |
在位 | 474年6月 – 475年8月28日(イタリア); – 480年春(ダルマティア) |
統治 | 西ローマ帝国 |
補足 | |
崩御 | 480年 オドアケルにより暗殺される |
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コンスタンティヌス朝 Η δυναστεία του Μεγάλου Κωνσταντίνου (324-379) Constantinian dynasty 313 - 363 6代
代 | 名前 |
---|
50代 | コンスタンティヌス1世(大帝),Constantine "the Great" Κωνσταντίνος Α' ο Μέγας, Latin(Gaius Flavius Valerius Aurelius Constantinus) |
在位 | 313年-337年 |
補足 | ローマ帝国皇帝324年-337年 |
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51.53代 | コンスタンティウス2世,(Constantius II) |
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在位 | 353年-361年 |
補足 | |
ローマ帝国東方元首 | 353年-361年 |
ローマ帝国皇帝 | 337年-353年 |
51代 | コンスタンティヌス2世,Κωνστάντιος [Β'](Flavius Iulius Constantius) |
補足 | ガリア、ブリタニア、ヒスパニアの皇帝 |
在位 | 337年-340年 |
51代 | コンスタンス1世,Constans I Κώνστας Α' (Flavius Iulius Constans) |
在位 | 337年-350年 |
補足 | |
イタリア、パンノニア、北アフリカなどの元首 | 337年-340年 |
ローマ帝国西方皇帝 | 340年-350年 |
52代 | マグネンティウス,Julian "the Apostate" Ιουλιανός "ο Παραβάτης", Flavius Claudius Iulianus |
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在位 | 350年-353年 |
補足 | 簒奪者 |
53代 | コンスタンティウス2世,Κωνστάντιος [Β'], Flavius Iulius Constantius |
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在位 | 353年-361年 |
補足 | |
ローマ帝国東方元首 | 353年-361年 |
ローマ帝国皇帝 | 337年-353年 |
54代 | ユリアヌス,Ιουλιανός "ο Παραβάτης"(Flavius Claudius Iulianus) |
---|
在位 | 361年-363年 |
補足 | |
元首 | 355年-361年 |
コンスタンティヌス朝の血統断絶
55代 | ヨウィアヌスΙοβιανός,(Flavius Claudius Iovianus) | 363年-364年 |
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ウァレンティニアヌス朝 364 - 392 3代
代 | 名前 | 在位 |
---|
56代 | ウァレンティニアヌス1世,IΟυαλεντιανός(Flavius Valentinianus) | 364年-375年 |
57代 | グラティアヌス,Valens Ουάλης, (Flavius Iulius Valens) | 375年-383年) |
58代 | ウァレンティニアヌス2世,Gratian |
Γρατιανός, (Flavius Gratianus)|383年-392年|
ウァレンティニアヌス朝の血統断絶
59代 | エウゲニウス,Φλάβιος Ευγένιος(392年-394年) |
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テオドシウス朝(東ローマ朝) 395 - 518 9代
代 | 名前 |
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60代 | テオドシウス1世(大帝) (394年-395年)(最期のローマニア統一元首) |
61代 | アルカディウス (395年 - 408年) |
62代 | テオドシウス2世 (408年 - 450年) |
63代 | マルキアヌス (450年 - 457年) |
64代 | レオ1世 (457年 - 474年) |
65代 | レオ2世 (474年) |
65・67代 | ゼノン (474年 - 475年) |
66代 | バシリスクス (475年 - 476年) (対立皇帝) |
65・67代 | ゼノン (476年 - 491年) (復位) |
68代 | アナスタシウス1世 (491年 - 518年) |
ユスティニアヌス朝 Δυναστεία του Ιουστινιανού Justinian Dynasty 518 - 610 5代
69代 | ユスティヌス1世 (518年 - 527年) |
70代 | ユスティニアヌス1世(大帝) (527年 - 565年) |
71代 | ユスティヌス2世 (565年 - 578年) |
72代 | ティベリウス2世 (578年 - 582年) |
73代 | マウリキウス (582年 - 602年) |
75代 | フォカス (602年 - 610年) |
ヘラクレイオス朝 Δυναστεία του Ηρακλείου 610 - 711 8代
76代 | ヘラクレイオス,(Ηράκλειος) (610年 - 641年) |
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77代 | コンスタンティノス3世,(Κωνσταντίνος Γ' Ηράκλειος) (641年) |
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77代 | ヘラクロナス,(Ηρακλεωνάς)(641年) |
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77・78代 | コンスタンス2世,(Κώνστας Β' Ηράκλειος) (641年 - 668年) |
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79代 | コンスタンティノス4世,(Κωνσταντίνος Δ' ο Πωγώνατος) (668年 - 685年) |
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80・83代 | ユスティニアノス2世,(Ιουστινιανός Β' ο Ρινότμητος)(685年 - 694年) |
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81代 | レオンティオス,(Λεόντιος)(695年 - 698年) |
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82代 | ティベリオス3世,(Τιβέριος Γ' ο Αψίμαρος)(698年 - 705年) |
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80・83代 | ユスティニアノス2世,(705年 - 711年) (復位) |
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ヘラクレイオス王朝の血統断絶
84代 | フィリピコス・バルダネス,(Φιλιππικός Βαρδάνης)(711年 - 713年) |
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85代 | アナスタシオス2世,(Αναστάσιος Β') (713年 - 715年) |
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86代 | テオドシオス3世,(Θεοδόσιος Γ' ο Αδραμμυττηνός)(715年 - 717年) |
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(シリアの)イサウリア朝 Δυναστεία Ισαύρων Isaurian dynasty 717 - 802 5代
87代 | レオーン3世,(Λέων Γ' ο Ίσαυρος)(717年 - 741年) |
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88代 | コンスタンティノス5世コプロニュモス,(Κωνσταντίνος Ε' ο Κοπρώνυμος ή Καβαλίνος)(741年 - 775年) |
89代 | レオーン4世ハザロス,(Λέων Δ' Χάζαρος)(775年 - 780年) |
90代 | コンスタンティノス6世,(Κωνσταντίνος ΣΤ')(780年 - 797年) |
91代 | エイレーネー,(Ειρήνη η Αθηναία)(797年 - 802年) (女帝) |
イサウリア朝の血統断絶
92代 | ニケフォロス1世,(Νικηφόρος Α')(802年 - 811年) |
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93代 | スタウラキオス,(Σταυράκιος)(811年) |
94代 | ミカエル1世ランガベー,(Μιχαήλ Α' ο Ραγκαβέ)(811年 - 813年) |
95代 | レオーン5世,(Λέων Ε' ο Αρμένιος)(813年 - 820年) |
(アモリアのΑμόριο)フギリア朝Δυναστεία Φρυγική 820 - 867 3代
96代 | ミカエル2世 “トラブロス”(Μιχαήλ Β' ο Τραυλός η Ψηλλος)(820年 - 829年) |
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97代 | テオフィロス(Θεόφιλος)(829年 - 842年) |
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99代 | ミカエル3世 “メスィソス”(酩酊帝)(Μιχαήλ Γ' ο Μέθυσος)(842年 - 867年) |
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マケドニア朝 Μακεδονία 867 - 1059 16代
100代 | バシレイオス1世,(Βασίλειος Α')(867年 - 886年) |
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キエフ大公国(正式名ルーシ)建国 882年頃 - 1240年
101代 | レオーン6世フィロソフォス〝(賢帝)”,(Λέων ΣΤ' ο Σοφός)(886年 - 912年) |
102代 | アレクサンドロス,(Αλέξανδρος Γ' του Βυζαντίου)(912年 - 913年) |
103代 | コンスタンティノス7世ポルフュロゲネトス,(Κωνσταντίνος Ζ' ο Πορφυρογέννητος)(913年 - 959年) (920年 - 944年は共同皇帝) |
104代 | ロマノス1世レカペノス,(Ρωμανός Α' ο Λεκαπηνός)(920年 - 944年) |
105代 | ロマノス2世,(Ρωμανός Β' ο Πορφυρογέννητος)(959年 - 963年) |
106代 | ニケフォロス2世フォカス,(Νικηφόρος Β' Φωκάς) (963年 - 969年) |
107代 | ヨハネス1世ツィミスケス,(Ιωάννης Α' Κουρκούας ο Τσιμισκής)(969年 - 976年) |
108代 | バシレイオス2世ブルガロクトノス(ブルガリア人殺し),(Βασίλειος Β' ο Βουλγαροκτόνος)(976年 - 1025年) |
フランス王国 建国 987年 - 1791年
109代 | コンスタンティノス8世,(Κωνσταντίνος Η')(1025年 - 1028年) |
110代 | ゾエ,(Ζωή)(1028年 - 1050年) (女帝・共同統治者) |
111代 | ロマノス3世アルギュロス (Ρωμανός Γ' ο Αργυρός) (1028年 - 1034年) |
112代 | ミカエル4世パフラゴニオス,(Μιχαήλ Δ' ο Παφλαγών)(1034年 - 1041年) |
115代 | ミカエル5世カラファテス,(Μιχαήλ Ε' ο Καλαφάτης)(1041年 - 1042年) |
116代 | コンスタンティノス9世モノマコス,(Κωνσταντίνος Θ' ο Μονομάχος)(1042年 - 1055年) |
117代 | テオドラ,(Θεοδώρα)(1042年、1055年 - 1056年) (女帝) |
マケドニア王朝の血統断絶
118代 | ミカエル6世ストラティオティコス,(Μιχαήλ ΣΤ' ο Στρατιωτικός)(1056年 - 1057年) |
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ドゥーカス朝 Η δυναστεία των Δουκών (1057-1081) 6代
119代 | イサキオス1世コムネノス,(Ισαάκιος Α' Κομνηνός)(1057年 - 1059年) |
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120代 | コンスタンティノス10世ドゥーカス,(Κωνσταντίνος Ι' Δούκας)(1059年 - 1067年) |
121代 | エウドキア・マクレンボリティサ(エイレーネ) (1067年 - 1068年) (女帝) |
122代 | ロマノス4世ディオゲネス,(Ρωμανός Δ' Διογένης)(1068年 - 1071年) |
123代 | ミカエル7世ドゥーカス,パラピノ,(Μιχαήλ Ζ' Δούκας ο Παραπινάκης)(1071年 - 1078年 |
124代 | ニケフォロス3世ボタネイアテス(Νικηφόρος Γ' Βοτανειάτης)(1078年 - 1081年) |
コムネノス朝 Η δυναστεία των Κομνηνών (1081-1185)
124代 | アレクシオス1世コムネノス,(Αλέξιος Α' Κομνηνός)(1081年 - 1118年) (イサキオス1世の甥) |
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第1回十字軍 1096年 - 1099年
125代 | ヨハネス2世コムネノスカロ・ヨハネス,(Ιωάννης Β' Κομνηνός o Καλος)(1118年 - 1143年) |
ノヴゴロド公国 建国 1136年 - 1478年
第2回十字軍 1147年 - 1148年
126代 | マヌエル1世コムネノス“大帝”,(Μανουήλ Α' Κομνηνός ο Μέγας)(1143年 - 1180年) |
127代 | アレクシオス2世コムネノス,(Αλέξιος B' Κομνηνός)(1180年 - 1183年) |
128代 | アンドロニコス1世コムネノス(Ανδρόνικος Α' Κομνηνός)(1183年 - 1185年) |
アンゲロス朝 Η δυναστεία των Αγγέλων (1185-1204)
第3回十字軍 1189年 - 1192年
130代 | アレクシオス3世アンゲロス,(Αλέξιος Γ' Άγγελος)(1195年 - 1203年) |
第4回十字軍 1202年 - 1204年
131代 | イサキオス2世アンゲロス,(1203年) (復位) |
132代 | アレクシオス4世アンゲロス,(Αλέξιος Δ' Άγγελος)(1203年 - 1204年) |
133代 | アレクシオス5世ドゥーカス“ムルズフロス”,(Αλέξιος Ε' Δούκας ο Μούρτζουφλος)(1204年) |
134代 | コンスタンティノス・ラスカリス,(Κωνσταντίνος Λάσκαρης)(1204年) |
補足 | 1204年のコンスタンティノス・ラスカリスは第4回十字軍によるコンスタンティノポリス攻撃の最中に皇帝に選出されたもののコンスタンティノポリスが陥落してしまったために在位たった一晩で逃亡した。 このためコンスタンティノス・ラスカリスを皇帝として扱わない場合もある。コンスタンティノス・ラスカリスを「コンスタンティノス11世」とし帝国最後の皇帝を「コンスタンティノス12世」とする場合もある。 |
ニカイア帝国・ラテン帝国(ラスカリス朝・東ローマの亡命政権)
135代 | テオドロス1世ラスカリス,(Θεόδωρος Α' Λάσκαρης)(1205年 - 1222年) (コンスタンティノス・ラスカリスの弟) |
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第5回十字軍 1218年 - 1221年
136代 | ヨハネス3世ドゥーカス・ヴァタツェス,(Ιωάννης Γ' Δούκας Βατάτζης)(1222年 - 1254年) |
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第6回十字軍 1228年 - 1229年
第7回十字軍 1248年 - 1249年
138代 | テオドロス2世ラスカリス,(Θεόδωρος Β' Λάσκαρης)(1254年 - 1258年) |
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139代 | ヨハネス4世ラスカリス(Ιωάννης Δ' Λάσκαρης)(1258年 - 1261年) |
140代 | ミカエル8世パレオロゴス,(Μιχαήλ Η' Παλαιολόγος)(1261年 - 1282年) (1258年からニカイア帝国の共同皇帝) |
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パレオロゴス朝
140代 | ミカエル8世パレオロゴス,(Μιχαήλ Η' Παλαιολόγος)(1261年 - 1282年) (1258年からニカイア帝国の共同皇帝) |
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モスクワ大公国 建国 1263年 - 1547年
第9回十字軍 1271年 - 1272年
141代・147代 | アンドロニコス2世パレオロゴス,(Ανδρόνικος Β' Παλαιολόγος ο Γέρος)(1282年 - 1328年) |
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142代 | ミカエル9世パレオロゴス,(Μιχαήλ Θ' Παλαιολόγος)(1294年 - 1320年) (共同皇帝) |
143代 | アンドロニコス3世パレオロゴス,(Ανδρόνικος Γ' Παλαιολόγος ο Νέος)(1328年 - 1341年) |
百年戦争 1337年11月1日 - 1453年10月19日
144代・148代 | ヨハネス5世パレオロゴス,(Ιωάννης Ε' Παλαιολόγος)(1341年 - 1376年) |
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145代 | ヨハネス6世カンタクゼノス,(Ιωάννης Στ' Καντακουζηνός)(1347年 - 1354年) |
146代 | マタイオス・カンタクゼノス,(Ματθαίος Ασάνης Καντακουζηνός)(1353年 - 1357年) (共同皇帝) |
147代 | アンドロニコス4世パレオロゴス,(Ανδρόνικος Δ' Παλαιολόγος) (1376年 - 1379年) |
148代 | ヨハネス5世パレオロゴス,(1379年 - 1391年) (復位) |
149代 | ヨハネス7世パレオロゴス,(Ιωάννης Ζ' Παλαιολόγος)(1390年) |
150代 | マヌエル2世パレオロゴス,(Μανουήλ Β' Παλαιολόγος)(1391年 - 1425年) |
151代 | ヨハネス8世パレオロゴス,(Ιωάννης Η' Παλαιολόγος)(1425年 - 1448年) |
152代 | コンスタンディノス11世ドラガシス・パレオロゴス,(Κωνσταντίνος ΙΑ' Παλαιολόγος Δραγάτσης)(1448年 - 1453年最後のローマ皇帝) |
関連
ローマ帝国 ローマ皇帝 ビザンツ帝国