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エキシディ

えきしでぃ

1973年から1999年まで存在し、1988年までビデオゲームを開発していたアメリカの企業。
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概要編集

エキシディ(Exidy)は、1973年10月にハロルド・レイ・カウフマンとサミュエル・ホーズにより、カリフォルニア州にてゲームメーカーとして創業された企業。

Exidyとは「Excellence in Dynamics」の各単語の頭文字を併せたかばん語


創業最初に販売した製品はラムテック社の「TVピンボール」で、次作もラムテック社からのライセンス許諾品だが、1975年に「Old Time Basketball」から自社開発を開始した。


1976年、「デスレース」を販売。車で人を轢き殺していくという内容が、暴力を助長する内容だとしてAP通信の記者ウェンディ・ウォーカーが報道したのを皮切りに、ニューヨーク・タイムズなどの全国紙が相次いで報道。大論争を巻き起こした。ただし、これが逆に注目を集めて売り上げ増加につながったという。

一方、日本でも当ゲームは輸入販売されており、「青少年育成国民会議」が内容を問題視・糾弾したことで各新聞社が報道。これを輸入販売した「ボナンザ・エンタープライズ」の社員4名が逮捕されるまでに至っている(取り締まる法律が無かったため、電気用品取締法による立件)。



1977年に「サーカス」を販売。日本ではタイトーが「アクロバットTV」の名前で販売し、アメリカのみならず日本でも大ヒットする。

また日本ではこの模倣品が多く、セガが「シーソージャンプ」、ユニバーサルが「サーカス・サーカス」、データイーストが「フウセンワリゲーム」、日本物産が「ボンパ」、豊栄(後のコアランドバンプレスト)が「デビルサーカス」、IPM(後のアイレム)が「ピッコロ」という模倣品を販売している。



これ以降は然したるヒット作に恵まれなかったか、1985年7月に破産。再建手続きの末に、元Atari社員のジーン・リプキンが社長に就任する。


1988年の「Who Dunit」を最後にビデオゲーム開発より撤退。以降はビデオ表示形式のポーカーマシン製造に軸足を移したが、1999年に自主的に解散に至った。


主なアーケードゲーム編集

販売年タイトル備考
1975TVピンボールラムテック社製品のライセンス販売
Table Foosballerラムテック社製品のライセンス販売
オールドタイム バスケットボール
デストラクションダービー
アレイ ラリー
1976デスレース日本ではボナンザ・エンタープライズが販売
1977スーパー デスレース
ロボット ボウル
スコアー
サーカス日本ではタイトーが「アクロバットTV」として販売
Car Polo
アタック
1978フットボール
1979リップコード
サイドトラック
クラッシュ
Fire one!
スターファイアー
1980バンディード任天堂の「シェリフ」のライセンス販売
テイルガンナー2シネマトロニクス製品のライセンス販売
スペクター
Targ
1981マウス トラップ
ヴェンチャー
1982ペッパーⅡⅡとあるがⅠは存在しない
ヴィクトリー
ハード ハット
1983ファックス
Whirly Bucket
タイダルウェイブ
クロスボウ
1984シャイアン
1985Catch-22
コンバット
クラックショット
Vertigo
1986トップガンナー
トップシークレットカプコンのゲームとは別物
クレイ ピジョン
Chiller
1987Hit'n Miss
1988Who Dunit


関連タグ編集

ビデオゲーム アーケードゲーム レトロゲーム

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