概要
エキシディ(Exidy)は、1973年10月にハロルド・レイ・カウフマンとサミュエル・ホーズにより、カリフォルニア州にてゲームメーカーとして創業された企業。
Exidyとは「Excellence in Dynamics」の各単語の頭文字を併せたかばん語。
創業最初に販売した製品はラムテック社の「TVピンボール」で、次作もラムテック社からのライセンス許諾品だが、1975年に「Old Time Basketball」から自社開発を開始した。
1976年、「デスレース」を販売。車で人を轢き殺していくという内容が、暴力を助長する内容だとしてAP通信の記者ウェンディ・ウォーカーが報道したのを皮切りに、ニューヨーク・タイムズなどの全国紙が相次いで報道。大論争を巻き起こした。ただし、これが逆に注目を集めて売り上げ増加につながったという。
一方、日本でも当ゲームは輸入販売されており、「青少年育成国民会議」が内容を問題視・糾弾したことで各新聞社が報道。これを輸入販売した「ボナンザ・エンタープライズ」の社員4名が逮捕されるまでに至っている(取り締まる法律が無かったため、電気用品取締法による立件)。
1977年に「サーカス」を販売。日本ではタイトーが「アクロバットTV」の名前で販売し、アメリカのみならず日本でも大ヒットする。
また日本ではこの模倣品が多く、セガが「シーソージャンプ」、ユニバーサルが「サーカス・サーカス」、データイーストが「フウセンワリゲーム」、日本物産が「ボンパ」、豊栄(後のコアランド、バンプレスト)が「デビルサーカス」、IPM(後のアイレム)が「ピッコロ」という模倣品を販売している。
これ以降は然したるヒット作に恵まれなかったか、1985年7月に破産。再建手続きの末に、元Atari社員のジーン・リプキンが社長に就任する。
1988年の「Who Dunit」を最後にビデオゲーム開発より撤退。以降はビデオ表示形式のポーカーマシン製造に軸足を移したが、1999年に自主的に解散に至った。
主なアーケードゲーム
販売年 | タイトル | 備考 |
---|---|---|
1975 | TVピンボール | ラムテック社製品のライセンス販売 |
Table Foosballer | ラムテック社製品のライセンス販売 | |
オールドタイム バスケットボール | ||
デストラクションダービー | ||
アレイ ラリー | ||
1976 | デスレース | 日本ではボナンザ・エンタープライズが販売 |
1977 | スーパー デスレース | |
ロボット ボウル | ||
スコアー | ||
サーカス | 日本ではタイトーが「アクロバットTV」として販売 | |
Car Polo | ||
アタック | ||
1978 | フットボール | |
1979 | リップコード | |
サイドトラック | ||
クラッシュ | ||
Fire one! | ||
スターファイアー | ||
1980 | バンディード | 任天堂の「シェリフ」のライセンス販売 |
テイルガンナー2 | シネマトロニクス製品のライセンス販売 | |
スペクター | ||
Targ | ||
1981 | マウス トラップ | |
ヴェンチャー | ||
1982 | ペッパーⅡ | ⅡとあるがⅠは存在しない |
ヴィクトリー | ||
ハード ハット | ||
1983 | ファックス | |
Whirly Bucket | ||
タイダルウェイブ | ||
クロスボウ | ||
1984 | シャイアン | |
1985 | Catch-22 | |
コンバット | ||
クラックショット | ||
Vertigo | ||
1986 | トップガンナー | |
トップシークレット | カプコンのゲームとは別物 | |
クレイ ピジョン | ||
Chiller | ||
1987 | Hit'n Miss | |
1988 | Who Dunit |