プロフィール
経歴
4男5女の9人きょうだいの次男(麻紀の上に兄が1人、姉が3人おり、本人は第5子)として生まれる。
出生名の「徹男」は、「(太平洋戦争で)アメリカやイギリスなどの敵国と『徹底的に戦う男』となるように」という願いを込めて父が名付けた。一方本人は幼少期から自身のことを「アチシ」といい、おままごとの際にスカーフを巻いて化粧をするなど女性的な指向を持っており、父とは折り合いが悪かったという。
中学入学後は新聞配達のアルバイトを始め、自分で洋服などを買うようになった。14歳の頃三島由紀夫の小説『禁色』を読んで「同性愛」という言葉を知る。また同時期に「麗しのゲイボーイ」のキャッチフレーズで活躍していた丸山明宏(現・美輪明宏)の存在を知り、「自分と同じような人がいたんだ!私みたいな人でも生きられる世界があるんだ!」と感銘を受けたという。
中学卒業後は自分で学費を払って北海道釧路北陽高等学校に進学、演劇部に所属した。芝居で女役を演じるために髪を伸ばしていたが、厳格な校風であり、教頭によってバリカンで坊主頭にされたことに憤慨して退学。
退学から数日後、父への反目もあり、新聞配達で貯めた資金を元にゲイバーで働くべく上京を試みる。その後、札幌市にもゲイバーがあることを知り、途中下車してすすきののバーで年齢を誤魔化して働き始めた。
以降全国のキャバレーやショーパブを点々としながら活動し、19歳の頃、すすきのの店で世話になった先輩が在籍していた縁から大阪のゲイバー「カルーゼル」にたどり着く。また、この大阪時代に当時新歌舞伎座の裏にあった病院で去勢手術(睾丸摘出手術)を受けている。
1963年ごろからダンサーとして舞台に出演するようになり、この時に放送作家の新野新によって、店名の「カルーゼル」と、「麻紀」という源氏名を合わせて「カルーセル麻紀」と名付けられた。
カルーゼルに勤務しながら舞台への出演を続け、1968年に『愛して横浜』でレコードデビュー。以降はタレントとしてテレビや映画で活動。また、アングラ劇場や前衛系、小劇団系の舞台にも出演していた。
1973年、モロッコに渡り、性別適合手術を受ける。なお、術後は麻酔のミスや術後に傷口が化膿したことから、激痛と高熱で生死の境を彷徨ったと振り返っている。このことから、「日本人として初めて性別適合手術を受けた人」と称されることも多い。
「元祖」ニューハーフタレントとして活動を続けていたが、2001年に大麻とコカインを自宅に隠し持っていたとして、大麻取締法、及び麻薬及び向精神薬取締法違反の容疑で逮捕された。いずれも証拠不十分で不起訴となる。なお、留置場では戸籍の都合上男子房に入ることになったという。
2002年には自伝『私を脱がせて』を発表した。
2004年10月の性同一性障害者特例法施行を受け、戸籍を男性から女性に変更した。また、この時に本名を「平原麻紀」と改名した。理由については「戸籍変更ができるまでに年はだいぶ取ってしまったが、性同一性障害でずっと悩んでいる若い子たちの為にも、私のように世間に名が知れている者が申請して認められて突破口になれたらいいなと前々から思っていたから」と語っている。日本のニューハーフタレントとしてはいち早く戸籍変更を行う形となった。
2011年には閉塞性動脈硬化症を発症。危うく足を切断するところであったが、手術を受けて無事復帰している。しかし、翌2012年には左足にも病巣が見つかり、再び手術を受けている。
また、2020年には脳梗塞を発症したが、入院治療により回復。2022年現在も精力的に活動している。
人物
軽妙でさばけたトーク、老いてなおパワフルなダンサーとしての高いスキルで知られる。
「カルーセル」は先述の通りデビュー当時在籍していた店名をもじったものだが、「麻紀」は過去に別の店の面接で咄嗟に「牧田徹」という偽名を名乗ったことからついた源氏名である。ちなみに「カルーセル(カルーゼル)」とはフランス語であり「メリーゴーランド」で木馬が上下に動くタイプのものである。
現在は戸籍上も女性であるが、「元男性」であることは度々ネタにしている。怒ると男口調になるらしい。
本人によれば「ノンケ(異性愛者)」で、女性として男性を恋愛対象としているという。ただし、まだ体が男性であった頃に一度だけ女性と関係を持ったことがあると語っている。
芸能界屈指のヨーロッパ好きで、自宅内にもヨーロッパから取り寄せたアンティーク家具、装飾品などが多数ある。衣類や貴金属も膨大な量であるため、衣装・アクセサリ用の家を購入している。
しかし、2006年には自宅からジュエリーや金品が盗まれる空き巣被害に遭っている。
家族との関係
母は常に理解を示してくれていたとのことで、本人もお母さん子であった。家出したあとも活動を応援しており、感謝の念を述べている。
父とは先述の通り関係が良くなかったが、歌手デビュー後は密かに麻紀の活動を応援していたようで、死後父の部屋からレコードが多数出てきて驚いたという。
きょうだいたちとは(兄以外とは)関係が良かったようで、後年になって「今の私があるのは、両親と兄弟姉妹たちが陰で支えてくれたおかげ」と感謝している。また、1980年代から姉と同居している。
交友関係
長いキャリアと豊富な人生経験から、幅広い人脈を持つ。
同性愛者や性同一性障害に厳しい見解を示していた石原慎太郎・裕次郎兄弟と親交が深く、彼らからは「女性」として見られ、所謂妹分のような存在として可愛がられていた。また、どちらの妻からも信頼されていた。
大親友と呼べる間柄として、太地喜和子がおり、彼女の形見である着物と帯を身につけて徹子の部屋に出演したことがある。
他にもデヴィ夫人や美川憲一、あき竹城、大黒摩季とも親交がある。
ニューハーフタレントとして後輩に当たるはるな愛のことは非常にかわいがっており、「愛に見てもらいたかった」という理由で『クイズ☆タレント名鑑』にて「エアあやや」を披露したことがある。