概要
伝承によると、焼き魚にしても揚げ物にしても美味であったという。
実在したという説もあり、秋田藩は干物にして徳川幕府などへの献上品にしたとも言われる。
かつては郷土のマイナーな伝承であったが、釣りキチ三平で取り上げられたことなどから、現在では知名度が増している。
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本当の概要
別名キノシリマス。
学名Oncorhynchus nerka kawamurae。
英語名Black Kokanee。
ヒメマスと同じくベニザケの陸封型の亜種であると考えられてはいるが異論もある。
大きさは30cm程度、全体的に色は黒っぽい。水底を好み泳ぐ速度はさほど早くない。
戦前まで秋田県の田沢湖に生息していた固有種(もしくは固有亜種)であり、他の生息地は確認されていなかった。
絶滅
戦時中であった1940年代、電力供給を賄うために田沢湖の湖水を使用した水力発電所が建設される。
水がめとしての湖水を賄うために玉川の水が引き入れられたが、この水は玉川毒水と呼ばれる強酸性であったため田沢湖の環境が激変。生息していた魚類のほとんどが死滅する事態となった。結果、現在でも酸性水に強いウグイなど限られた種しか生き残っていない(その後、後述の中和処理を続けた結果、コイやフナ程度は生息可能になってきた)。
酸性化の進行は農業用水として湖の水を利用する周辺農業に悪影響を与えたばかりか、水力発電所施設の設備劣化まで招くという本末転倒な事態を招いてしまった。そのため90年代に玉川酸性水中和処理施設が稼働を開始し、表層から徐々に水質は中性化しつつあるが日本最深の湖の水量は膨大であり、全体を改善するのはまだかなり時間がかかるとされる。
現在ではこのような暴挙は重大な環境破壊として大問題になるところであるが、当時の日本は第二次世界大戦に伴う戦時体制の真っ只中でありそれどころではなかったのである。
後年になってから絶滅が危惧されている生物に対する保護活動の機運が高まり、既に絶滅と目されていたクニマスの標本からDNAを抽出してクローンを作成することも検討されたが、液浸標本はホルマリンによってDNAが切断され破壊されていることが判明し頓挫。
環境庁レッドリストでは「絶滅」となっていた。
なお液浸標本のうち、秋田県立博物館などに保管されているものは「人為的に絶滅させられた淡水魚」の例として国の登録記念物指定を受けた。
再発見
転機は2010年に訪れる。
京都大学の中坊教授が魚類研究家でタレントのさかなクンにクニマスのイラストを依頼したのが発端であった。
依頼を受けたさかなクンは参考資料として全国各地から類似種であるヒメマスの個体を集め始める。
すると山梨県の富士五湖の一つ西湖から送られた個体の中に、ヒメマスとは異なる個体が混じっていることが判明。
解剖やDNA検査による詳細な調査を経て、これがクニマスそのものであることが判明した。
実は西湖では1935年にクニマスの卵10万粒が放流される移植実験が行われており、これが繁殖して定着化していたのである。
当時の記録では、琵琶湖などにも卵を送って移植実験をおこなったらしい。
西湖は現在でもヒメマス釣りの人気スポットであるが、以前から10匹に1匹程度の頻度で「色の違うヒメマス」が釣れていたとする証言もあった。
この事実は「絶滅したはずの魚が生きていた」として大きなニュースとなり、国内外の生物学者でとりわけ魚類学者に驚きを以って迎えられた。
現在
2012年には西湖の北岸10,000平方メートルが自主禁漁区に設定されて、同時にさらなる移植と繁殖が可能であるかどうか検討が行われている。
一連の調査が行われるうちに、水中撮影により実際に水中に生息している姿や産卵行動を取る姿が確認されたり、人工授精によるものではあるが稚魚の誕生にも成功するなど、絶滅したと思われていたがためにほとんど判明していたなかったその生態も徐々に明らかになりつつある。
ちなみに水中撮影ではカメラを恐れる様子が全くなかったようであり、重大な天敵がおらず環境が田沢湖に近いというポイントがクニマスの定着化につながったと考えられている。
また田沢湖の環境を改善して将来的に田沢湖へ「里帰り」移植するための取り組みが始まっている。
田沢湖は戦後70年を経た現在も大規模な中和処理を継続的に行う必要があるなど、クニマスが生息できるようになるためには長い時間が必要であると考えられており、秋田県内の他の湖沼などでもクニマスを養殖できないかと山梨県側との検討を行っている。
環境庁のレッドリストでは詳しい生息状況が不明である事から、再発見後も「絶滅」扱いのままとなっていた。
しかし2013年2月発表のレッドリストにおいて「野生絶滅」に切り替えられた。
これは本来の生息域から移動させられた状態、つまり国内外来種として生息しているという扱いである。
魚類において絶滅扱いから回復した例は日本ではこれまで存在しなかったとされる。
利用
本種はヒメマスや他のマス類と同様に食用に供されていた。
かつての秋田県ではもっぱら領主や藩主などへの献上用として高級魚としての扱いを受けていた。
大正時代にはクニマス一尾が米一升の交換レートで扱われていたといい、昭和天皇に献上されたこともあるという。
その価格から一般人が口にすることはほとんどなく、婚礼時の祝い料理や、病人の滋養強壮、妊婦の肥立ちなどといった特別な時にしか口に出来なかったと言われている。
再発見として公的に報じられる前の西湖では「クニマスを釣った」と主張する者もおり、「色の違うヒメマス」を釣り上げた経験のある釣り人の証言によれば、伝承の通り焼き魚にしてもフライにしても美味であったという。
pixivにおいて
本記事のメイン画像もそうであるが、釣りを題材とした漫画の代表格である「釣りキチ三平」と絡めたイラストが見られる。
特に同作は「平成版」の中でこのクニマスを題材として扱った回があり(「地底湖のキノシリマス」)、奇しくも再発見に至った経緯が本作で描かれた経緯と酷似していたことから話題を呼んだ。