歴史
元々は1951年に地元商店が設立した洋画上映専門館の「立川セントラル劇場」が発祥。シネマシティ株式会社の前身であるタツミ興行が同劇場を借用し、映画興行を始めたのがきっかけであった。
その後、立川エリアの劇場を拡大。八王子にも追加設立(のちのニュー八王子シネマ)したがこちらは後年他社に経営譲渡している(2017年閉館)。
立川駅北口の再開発により立川エリアの劇場全てが閉館となり、1992年の再開発で誕生した新エリア・ファーレ立川に地上12階建て・東京初のシネマコンプレックスであるシネマシティビルが誕生。
2004年には音響設備と照明に拘って設計されたシネマツーが多摩モノレールそばにオープン。シネマシティビルをシネマワンと改称し、現在知られるシネマシティの姿となった。
特徴
前述の通り、映画館としては珍しく音響に拘った映画館であり、「日本一音にこだわった映画館」と自称するほど。これはシネマシティの代表取締役である川手弘太郎が、古くからの友人であるアーティストの日比野克彦、照明デザイナーの海藤春樹、店舗デザイナーの鈴木恵千代らと共に「映画館のようではない映画館」をテーマとしたシネコン構想を元にシネマシティ(シネマワン)をオープンさせたことに起因している。
特にシネマツーはシネマシティからあった音響調整卓の他、「湾曲スクリーンの採用」「スクリーン四方の幕の排除」など、館内構造から音響に特化した設計がなされており、後述の極上爆音上映にも繋がる物となっている。
極上爆音上映
東京郊外にあるマイナーな劇場を一躍有名にしたのが極上爆音上映である。
発端となったのは有志によるシネマツー・aスタジオでの『パシフィック・リム』の貸切爆音上映。この上映が契機となり、続くレジェンダリー版『ゴジラ』の上映に先立ってウーファーユニットを設置した上で最初の極上爆音上映がスタートした。
映画館としては珍しく音響調整卓を備えていたこともあり、上映作品に合わせた音響調整を行い、時には上映作品の音響監督に監修を依頼するなど、爆音でありながら徹底的なまでに臨場感を合わせるほど。
その後、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』の上映に合わせ、メイヤーサウンド製ウーファーユニットを追加投資(劇場用ではなくコンサートホール向けの大型品である)、その音響たるや「クルマが爆発するたび体が震える。発砲すると腹に銃声が重く響く。」とされるほど。
『ガールズ&パンツァー劇場版』では作品性と併せ全身を揺さぶられる爆音に魅了され白旗を揚げる人が多数出現。6000万の追加投資により更新されたメイヤーサウンド製ラインアレイスピーカー(こちらも本来は大規模ライブ用の物)を含めた全23台のスピーカーユニットで武装されたaスタジオは、シネマシティの中の人からも「建物の耐用年数を大幅に削るであろう上映」と称される爆音に包まれた。
その後、aスタジオとほぼ同等の設備をシネマツー・bスタジオにも道入したが、生身で体感できる音、特に重低音域を重視する作品でしか極上爆音上映が実施されないため、『スターウォーズ・フォースの覚醒』、『シン・ゴジラ』や『劇場版艦これ』など、目玉作品でないと体験できる機会はない。
しかし4DXやMX4Dなど五感で体感するのとは趣が異なるため、気にいる作品・興味を持った作品があったら体験して見る価値はあるだろう。
他にも、シネマシティでは重低音域を特化させない形の極上音響上映というものもあるため、こちらも話題に上ることがある。(余談ながら『ソードアート・オンライン オーディナル・スケール』や『名探偵コナンハロウィンの花嫁』は極上音響と極上爆音の両方を上映するレアケースとなっていたりする)