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曖昧さ回避編集

  1. アシカを意味する英語「Sea lion」。まんま「海のライオン」である。
  2. 米海軍サーゴ級潜水艦8番艦「シーライオンI(SS-195)」。名前は1に由来する。
  3. 米海軍バラオ級潜水艦「シーライオンII(SS-315)」。名前は1と2に由来する。
  4. ドラゴンクエストⅣ』のモンスタートドマンの上位種で、FC版では没モンスターだったが、リメイク版で復活を果たす。
  5. ティアリングサーガ』の私掠船団の呼称。船長は主人公の一人でもあるホームズ

アシカについては当該記事を参照してもらうことにして、ここでは2と3の米軍潜水艦について説明する。

なお、同じく「ライオン」を意味する語として、マーライオンがある。シンガポールの半獅子半魚の像のことである。



サーゴ級潜水艦「シーライオンI(SS-195)」編集

初代シーライオンは1939年5月25日に進水。比較的旧式のサーゴ級であった。

第二次世界大戦が始まる前(第二次世界大戦の開戦は同年の9月である)の平時に誕生したため、特に大きな活躍を見せることはなかった。


サーゴ級潜水艦としての活躍は短く、太平洋戦争開戦間もない1941年12月9日、フィリピンにおいて日本軍の攻撃で撃破された。鹵獲を防ぐために、同年12月25日のクリスマスに、友軍の手で破壊された。


こうして、ほとんど何もできないまま初代シーライオンは第二次世界大戦での米国の潜水艦喪失第一号となってしまった。この戦いでの戦死者は4名。


戦死した4名の無念は消えない。今考えれば、シーライオンは死してなお別の場所から日本軍への復讐の機会をうかがっていたのかもしれない。


バラオ級潜水艦「シーライオンII(SS-315)」編集

ミッドウェー海戦での連合国軍の大勝以降、戦局が連合国軍に傾いていく。

そんな中の1943年10月31日、1隻の潜水艦がエレクトリック・ボート社で進水した。


これが有名な方のシーライオン、バラオ級潜水艦「シーライオンII(SS-315)」である。なお、バラオ級はガトー級の小改良型である。


先代を破壊し、尊い友軍4名の命を奪った、日本軍へ復讐するために、シーライオンは蘇ったのである。それも、先代シーライオンの乗員だった「エリ・トーマス・ライヒ」少佐を艦長に迎えて。


シーライオンIIは、一方的に破壊された先代の鬱憤を晴らすかのような大活躍を見せることになる。

復讐のアシカとでも言うべき復讐劇の始まりである。


復讐のアシカ編集

まず、シーライオンは東シナ海に向かう。


1944年6月24日、対馬近海で初戦果となる「三星丸」を撃沈。

第二の哨戒ではグロウラーとパンパニトと共にウルフパックを組み、シーライオンは敷設艦「白鷹」、南海丸を撃沈。

僚艦グロウラーは駆逐艦「敷波」と海防艦「平戸」を、パンパニトは「勝鬨丸」とタンカー「瑞鳳丸」を撃沈している。


戦艦「金剛」撃沈 ~復讐達成~編集

そして、第三の哨戒ではシーライオンにとってはもちろん、第二次世界大戦全体でも希有の戦果を挙げることになる。

1944年11月21日午前0時20分、シーライオンはレイテ沖海戦から敗走する栗田艦隊を発見したのである。

落ち武者とはいえ仮にも主力艦隊、復讐相手としては絶好の相手だった。


2時56分、彼女は先代シーライオンを喪失した戦闘で戦死した4名の名を刻んだ魚雷を、栗田艦隊に向けて発射した。


それが命中したのは、日本海軍最古参の武勲艦、戦艦金剛であった。

同時に護衛に付いていた駆逐艦「浦風」が魚雷の直撃を受け轟沈。

最初は金剛の被害を軽微なものと考えていたようで、シーライオンは魚雷の再装填を行った。


しかし、午前5時12分に金剛は爆沈。艦齢が古い金剛は『あの魚雷』で致命傷を負っていたのである。

魚雷命中から3時間近くあったにもかかわらず、金剛撃沈による戦死者は約1300人と膨大であった。

巡航速度がそれほど落ちなかったため、避難が遅れていたのだ。


こうしてシーライオンは第二次世界大戦全体で3隻しかいない、そして太平洋戦争では唯一の「戦艦を撃沈した潜水艦」となった(ちなみに、あと2隻は英戦艦ロイヤル・オークを撃沈した独潜U47と英戦艦バーラムを撃沈したU331。いずれもUボートである)。

先代シーライオンの無念を、日本海軍の武勲艦、それも戦艦撃沈という形で晴らしたのである。


ちなみに浦風を葬った魚雷は本来戦艦長門に向けられたものであった。


給糧艦「間宮」撃沈編集

異例の大戦果を挙げても、なおシーライオンの勢いは止まらなかった。

1944年12月20日、シーライオンは南シナ海を哨戒中に駆逐艦に護衛された給糧艦「間宮」を発見。攻撃を開始した。

発射した魚雷6本のうち4本が命中し、シーライオンは護衛の攻撃をかわして再び魚雷を装填。


翌日にはまだ浮いていた間宮を再び攻撃。3本発射した魚雷のうち2本が命中し、間宮は沈没した。


こうして数多くの海兵の腹を満たした間宮は、南シナ海に散っていった。

間宮の戦没は日本海軍兵士の士気に大きな影響を与えたといわれている。


終戦、戦後、そして退役編集

1945年8月15日、日本は降伏し太平洋戦争は終結。

シーライオンは先代の分まで戦争を生き延びることができた。

戦闘目的の潜水艦としては1946年2月2日に一旦退役。


しかし、彼女は1948年11月2日に輸送潜水艦として再就役。

1962年に発生したキューバ危機にも海上封鎖のために出動している。

1970年2月20日に今度こそ退役、予備役入りした。


1977年3月15日に除籍され、1978年7月8日にニューポートの沖合で標的艦として沈められた。

こうして武勲艦シーライオンIIも、艦暦に幕を下ろしたのだった。


シーライオンは第二次世界大戦の戦功で5個の従軍星章と殊勲部隊章を受章した。

武勲艦である戦艦を撃沈した戦果等は今後も語り継がれていくであろう。

関連タグ編集

アシカ

軍艦 潜水艦

アメリカ海軍

戦艦金剛 間宮

ティアリングサーガ……「シーライオン」という私掠船団が登場している。なお、魚雷は装備していない。

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