プロフィール
経歴
血統背景
父・コンプライアンスはノーザンダンサーの直仔だが競走実績に乏しく、全兄にエルグランセニョールがいた事から種牡馬となった馬である。母系にはバックパサー、ワットアプレジャー、ラウンドテーブルと名血揃いだが、気性難が災いしデビュー前に去勢されセン馬としてデビュー戦を迎える。
デビューしたものの…
1993年にデビューを果たしたものの、期待に応えるどころか連敗街道をひた走る事となった。
この間、何度か馬主が変わったものの最終的には調教師のフェリックス・モンセラーテが馬主も兼務するようになる。日本では調教師と馬主の兼務は出来ないがアメリカでは可能だからこそジッピーチッピーは現役を続けられた。この時のトレードマネーは金銭ではなくトラクターだったという説すらある。
しかしそれでも…
ジッピーチッピーの連敗街道に終止符が打たれることはなかった。いつしかスラストが持つ連敗記録(106連敗)の更新にばかり注目が集まるようになり、一部のファンや関係者から苦言も集まるようになっていった。さらに一部の競馬場からは出走拒否された。それでもクレーミング競走(売却前提のレース)には出走していない。何故なら「家族同然の馬」という位置づけだったからである。
そしてついに…
13歳となっていたジッピーチッピーは、2004年9月10日にノーザンプトンフェアー競馬場で開催されたダート5ハロン戦に出走し最下位入線。対サラブレッド戦100戦100敗の記録を樹立した。なお、これが引退レースとなったのでスラストの持つ106連敗の更新は成されていない。
引退後
かつて出走を拒否されたフィンガーレイクス競馬場で誘導馬となり、2010年からは引退馬養老施設オールドフレンズで余生を送った。アメリカの一般大衆の間では知名度もあり、ハリウッドにも招かれイギリスでも公共広告にその名が使われたことがある。
2022年4月15日没。31歳という大往生だった。気難しさは生涯変わる事はなかったがオールドフレンズを訪れるファンの一番人気の馬でもあった。
非公式レースの結果
公式での対サラブレッド戦は100戦100敗だったが、非公式のマッチレースでは勝利を収めた事がある。
ROUND1(対クォーターホース戦)
繋駕速歩競走のクォーターホースとの4ハロン(800m)戦(ハンデとして20馬身後方からのスタート)でクビ差で勝利を収めている。
ROUND2(対人間戦・初戦)
2000年8月18日にマイナーリーガーとの40ヤード戦で敗北。
ROUND3(対人間戦・リベンジ)
1年後の2001年8月に別のマイナーリーガーと今度は120フィート戦を行いこの時は勝利を収めている。
ハルウララとの関係
日本でハルウララの連敗記録が話題になった頃に米国版ハルウララとして紹介された。逆にアメリカでもハルウララの事は紹介されている。
現在の連敗記録馬
日本での最多連敗記録はホッカイドウ競馬所属の牝馬ダンスセイバーが継続している229連敗(通算229戦0勝)である。
関連項目
ハルウララ通算113戦0勝
ダンスセイバー通算229戦0勝(現役馬)