概要
生誕 | 1992年2月12日 |
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死没 | 2022年7月28日(30歳) |
出生国 | アイルランド |
欧字表記 | Swain |
性別 | 牡 |
毛色 | 鹿毛 |
父 | ナシュワン |
母 | ラヴスミットン |
母の父 | キートゥザミント |
競走成績 | 22戦10勝 |
生産者および最初の馬主はアラブ首長国連邦の構成国の一つドバイのシェイク・モハメド首長で、後に同国王族の所有馬の管理団体ゴドルフィンの手に移った。
担当調教師はフランスのアンドレ・ファーブルから、イギリス・UAEのサイード・ビン・スルールに変更。
勝ち切れないレースも多かったが、芝・ダートを問わないオールラウンドな活躍、強力世代の一角として強豪たちを相手に好走した実績、そして輝かしい記録を打ち立てた90年代欧州中距離路線の名馬の一頭。
1995年(3歳)
デビューが5月と遅くクラシックは未出走。
しかしデビューから重賞2勝含む5連勝を記録し、勢いそのままに凱旋門賞へ向かう。
凱旋門賞では5連勝を評価されたかG1未勝利ながらも2番人気に支持されたが3着と敗れた。
1996年(4歳)
始動戦のガネー賞こそ3着となったが、続くコロネーションCでG1初制覇。
その後、春シーズンの最終戦としてサンクルー大賞に出走したが2着に敗れた。
夏場を休養したのち、秋シーズンは凱旋門賞の前哨戦であるフォワ賞から始動し勝利。
ここで幸先の良いスタートを切るも、本番の凱旋門賞で4着となる。
締めとして北米のBCターフ(この年の開催はアメリカではなくカナダのウッドバイン競馬場)へ遠征するが、3着となりシーズンを終えた。
1997年(5歳)
この年より担当調教師がサイード・ビン・スルールに変更となる。
7月に復帰し始動戦としてKGVI&QESの前哨戦であるプリンセスオブウェールズSを選択したが2着となる。
そして8頭立てで行われた本番のキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスは、「The Race of the Decade(10年に1度のレース)」とまで称されるほどに有力馬が集結。
本レースでスウェインは6番人気であったが見事優勝。
秋シーズンは始動戦のアークトライアルを3着とし、3度目の凱旋門賞へ向かうが7着に終わった。
1998年(6歳)
現役続行で古馬の大将格となったスウェインの陣営はドバイワールドカップを初戦に選択。
6歳にして初のダート戦でしかも2400m未満のレース経験がほぼなかったスウェインであったが、ハナ差2着と好走を披露した。
続くコロネーションCでは2着、ハードウィックSでは3着。
そして連覇を目指して2度目のKGVI&QESを迎える。
前年覇者ではあったが前2走を敗北しているスウェインは4番人気に甘んじたが、レースでは直線半ばで叩き合いを制し先頭に躍り出るとそのまま後続に1馬身の差を付けてゴール。
史上2頭目の連覇、史上初となる6歳馬による同レース制覇を成し遂げた。
続く愛チャンピオンSも勝利しデビュー5連勝以来の連勝を飾り、引退レースとしてBCクラシックを選択し3着に入った。
数々の大レースで好走した結果からなのか、この年のカルティエ賞最優秀古馬を受賞した。
引退後
引退後は種牡馬となりアメリカやカナダで繋養。
種牡馬引退後はアメリカの功労馬施設に移り余生を送った