トウルヌソル(競走馬)
とうるぬそる
1922年
イギリスでM.M.カルマンにより生産された。
父のゲインズバラはイギリス三冠馬で、種牡馬としても優秀な成績を挙げた。
母のソリストは不出走。
母父のプリンスウィリアムはセントサイモン産駒ながら特筆できる競走成績はなかったが、種牡馬としてはオーストラリア、イギリス、ベルギーで多くの活躍馬を輩出した。
1924年
10月30日、ニューマーケット競馬場の未勝利戦(芝6ハロン)でデビューし着外に敗れた。
11月12日、エプソム競馬場の未勝利戦に出走し着外に敗れた。
1925年
4月24日、サンダウン競馬場のテューダーステークスに出走しティッサフェルネスの12着に敗れた。
5月23日、ウィンザー競馬場のロイヤルウィンザー3歳ハンデキャップに出走しスカイセルの2着に敗れた。
6月9日、バーミンガム競馬場のミドランドブリーダーズフォールプレートに出走しトレジャラーの2着に敗れた。
6月19日、アスコット競馬場のハードウィックステークスに出走しハーストウッドの2着に敗れた。
6月26日、サンダウン競馬場のサンドリンガムフォールプレートに出走しスペルソーンの3着に敗れた。
7月17日、サンダウン競馬場のエクリプスステークスに出走しポリュポンテースの5着に敗れた。
7月25日、ハーストパーク競馬場のダッチェスオブヨークプレートに出走し1着。初勝利を飾る。
8月10日、ノッティンガム競馬場のエルヴァーソンキャッスルプレートに出走し1着。
8月19日、ストックトン競馬場のゼトランドプレートに出走し1着。
9月9日、ドンカスター競馬場のセントレジャーステークスに出走しソラリオの11着に敗れた。
10月14日、ニューマーケット競馬場のチェザレウィッチステークスに出走しフォルセティの13着に敗れた。
11月5日、ウィンザー競馬場のガイフォークスハンデキャップに出走しソリタリィの2着に敗れた。
1926年
5月28日、マンチェスター競馬場のマンチェスターカップに出走しヴァーミリオンペンシルの16着に敗れた。
6月15日、アスコット競馬場のアスコットステークスに出走しミススポートの3着に敗れた。
6月23日、ニューキャッスル競馬場のノーサンバーランドプレートに出走しフォックスロウの2着に敗れた。
7月1日、ニューマーケット競馬場のプリンセスオブウェールズステークスに出走し1着。
8月25日、ヨーク競馬場のイボアハンデキャップに出走しポンズアシノラムの6着に敗れた。
9月7日、ドンカスター競馬場のグレートヨークシャーハンデキャップに出走しセラデアの4着に敗れた。
11月6日、ニューベリー競馬場のニューベリーオータムハンデキャップに出走しハイブロウの15着に敗れた。
1927年
4月18日、ケンプトン競馬場のクイーンズプライズハンデキャップに出走し1着。
5月18日、ヨーク競馬場のグレートノーザンハンデキャップに出走し1着。
6月16日、アスコット競馬場のゴールドカップに出走しフォックスロウの6着に敗れた。レース後に脚を故障し現役引退となる。宮内省より依頼を受けた獣医学博士の丹下謙吉が8100ポンド(現在価格で10億円)で購入。父ゲインズバラが人気種牡馬となっていたため購入価格は高騰していた。
1928年
日本に輸出され、宮内省の下総御料牧場で種牡馬となる。牧場にはイギリスの一流馬を一目見ようと大勢の見物人が来た。
1931年
初年度産駒がデビューし活躍。小岩井農場のシアンモアと種牡馬成績で鎬を削る。
1932年
ワカタカが東京優駿大競走、帝室御賞典、連合二哩、横浜特別を勝ち、当時の大競走をすべて制覇。
1944年
種牡馬を引退。下総御料牧場で余生を過ごす。
1946年
死亡(25歳)。
ヒサトモ クリフジ イエリユウ ワカタカ クモハタ トクマサ テツバンザイ ソールレディ トキノチカラ ハツピーマイト
優良な血統背景と競走成績から高額で輸入され、数多くの活躍馬を輩出、サンデーサイレンスが並ぶまでダービー馬6頭の父となるなど、当時の貧弱な日本の馬産に大いに影響を与えたが、牡系としては途絶えている。
牝系としては今も健在である。
クリフジの娘の重賞馬イチジヨウからの牝系は二系統から繋がっており、2021年にはイチジヨウの娘ツキカゲの第10子スターイチジョウを曾祖母とするクリフジの6代孫ガリシヤヒルがトゥザワールドの仔イクノオリンピアを出産している。イクノオリンピアは2023年にデビューを果たした。
ツキカゲの第4子ヨドフジからは数多くの活躍馬が出ており、「逆二冠馬」として知られたサムソンビッグや、オオエライジン、NRA最優秀2歳牝馬に輝いたエンジェルツイート等の活躍馬が出ている。