「そうだ!!サタンを讃えよ!」ーユーロニモスー
概要
音楽形態はスラッシュメタルが原型だが、80年代前期にタイトルと歌詞に悪魔崇拝を堂々と掲げたバンドが現れた。そしてスラッシュよりもっと速く、もっと過激を追求することで誕生した。
より「速く」、より「うるさく」、より「きたなく」である。
ゆえにブラックメタルはデスメタルと並ぶ、民衆によるヘヴィメタルに対するイメージがもっとも近い存在だろう。
デスメタルと相違があるとすれば以下の通り、
- 高音かつ高速ギターリフ
- 金切りボイスとよばれる高音シャウト
- 思想・宗教色が非常に濃い
- 自殺など反人間的行為を賛美
- デスメタルによくある血みどろ系が少ない(肉体ではなく精神を重視しているため)
歴史
黎明期
「悪魔」をテーマにしたメタルは70年代初期、ヘヴィメタルのゴットファザーであるブラックサバスからすでに取り入れられていた。アルバム『悪魔の掟』『悪魔の落とし子』で明らかだろう。しかし、あくまで言葉にした程度でジャンル確立には至ってはいない。
1970年代後半なるとパンク・ロックがムーブメントになり、後のブラック・メタルの誕生に影響を与えるようになる。
またブラックメタルにコープスペイントが使われるようになったのは、主に1970年代のアメリカのロックバンド、KISSの影響である。
生誕期
ブラックメタルという言葉を最初に使ったのはHoly Moses(ホーリーモーゼス)の最初のデモ・Black Metal Mastersではないかと言われている。
1982年、イギリスのバンド、ヴェノムのセカンド・アルバム『ブラック・メタル』がリリース。これがブラックメタル元年と呼ばれている。一般的にはブラック・メタルというよりはスピード・メタルやスラッシュ・メタルとみなされることが多いが、このアルバムの歌詞とイメージは、それまでのどのアルバムよりも反キリスト教的、悪魔的なテーマに重点を置いていた。彼らの音楽はとにかくスピードが速く、ヴォーカルは荒々しかったり唸ったりしていた。メンバーはまた、ブラック・メタル・ミュージシャンの間で広まったペンネームを採用していた。
また、80年中期から活躍したスウェーデンのBathory(バソリー)も忘れてはいけない。彼らは「スカンジナビアン・ブラックメタル」「ヴァイキング・メタル」の創始者である。
スイス出身のHellhammer(ヘルハンマー)は、悪魔的な歌詞で「生々しく残忍な音楽を作る」ことで後のブラック・メタルに重要な影響を与えた。
1984年、ヘルハンマーのメンバーはCeltic Frost(セルティック・フロスト)を結成し、よりオーケストラ的で実験的な領域を探求した。歌詞も内面的な感情や壮大な物語をテーマにした。そして彼らは世界で最も過激で独創的なメタル・バンドのひとつとなり、1990年代半ばのブラック・メタル・シーンに多大な影響を与えた。
これらのほとんどは「本当の悪魔信仰者ではなく」、ほかのロックと差別化するために悪魔という言葉を商業利用していただけだった。
しかし彼らに影響を受け、「本当の悪魔信仰者になってしまった者」がいる。
これが悪名高き初期ノルウェー・ブラック・メタルである。
初期ノルウェー・ブラックメタル
「俺は悪魔信仰者じゃねぇ!あんなイカレ野郎共と一緒にするな!!」ーヴェノムー
初期ノルウェーブラックメタルは今日でもその影響力は計り知れない。ブラックメタルの音楽スタイルを最初に提示したのは1987年のMayhem(メイヘム)による1stデモ「Deadcrush-破滅死-」である。ボーカル・マニアックの狂気じみた叫び声、劣悪ながらも邪悪で歪んだギターサウンド、黴臭さな雰囲気はまさにブラックメタルそのものだった。
そしてEmperor(エンペラー)、Darkthrone(ダークスローン)、Burzum(バーズム)、Immortal(インモータル)、Satyricon(サテリコン)、Enslaved(エンスレイヴド)など、次々とノルウェーから巨星達が誕生する。今日のブラックメタル様式を完成させたのはこの世代だ。
この頃からノルウェーはブラックメタルを牽引することになる。
しかし、かれらはマトモではなかった。
もっとも邪悪なやつは誰かを競い合うため、音楽だけでなく、様々な犯罪に手を染める。
かれらが有名な起こした事件は以下の通り
- ファントフト・スターヴ教会放火事件、放火した写真をアルバムにそのまま掲載
- 同僚ユーロニモスを殺害
- 同僚デッドの自殺を写真に収め、アルバムにそのまま掲載。骨をネックレスにする。
- ゲイ男性をペンナイフで刺し殺す
- スウェーデンのバンドのツアーバスを横転させる、これによりスウェーデンとノルウェーのメタル業界関係は最悪レベルに落ち込む
まだ一部であるが、彼らの暴れっぷりはノルウェーの社会問題に発展し、国連に提起されたほどである。
さすがに事態を重く見たノルウェー政府は、彼らが活動しているインナーサークルに調査が入り、メンバーを逮捕した。
詳細はwikiのブラックメタル・インナーサークルを参照してもらいたい。
事件によりインナーサークルは解散となり、ノルウェーのブラックメタルは一時縮小に向かった。
再興期
「1998年に我々が知っているブラック・メタルは、他のどの国よりもノルウェーや北欧の影響を受けている」ーアラン・アベリルー
インナーサークル事件以来、ブラックメタルは消失かと思われたが、彼らが蒔いた種は各国で芽を咲かせた。またユーロニモスの死後、ヴァイキング・メタルや叙事詩的なスタイルに傾倒するバンドもいれば、奈落の底に深く分け入っていくバンドもいた。
例えばポーランドで誕生したGraveland(グレイヴランド)やBehemoth(ベヒーモス)。
フランスの超国家右翼集団・Les Légions Noires(レ・レジオーン・ノワール)。右翼とブラックメタルは相性が良く、後のブラックメタルシーンに大きな影響を与える。彼らは非常に閉鎖的で、メンバーしかわからない暗号でバンド名を呼び合った。
アメリカでもBlack Funeral(ブラックフューネラル)、Grand Belial's Key(グランド・ベリアルズ・キー)、Judas Iscariot(ジューダス・イスカリオット)といったバンドが登場した。Black Funeralは黒魔術や悪魔崇拝に関与していた。
イギリスではCradle of Filth(クレイドル・オブ・フィルス)がゴシックブラックメタルを生み出し、現在までに最も成功したエクストリーム・メタル・バンドのひとつとなった。しかし影を好み光を嫌うこのシーンでは彼らの音楽は裏切りと見なされ、幾度なく殺害予告や脅迫を受けることになる。
ドイツでは悪名高いAbsurd(アブサード)が登場。1993年、メンバーは同級生の少年Sandro Beyerを殺害した。彼らのデモの1つであるThuringian Pagan Madnessのジャケットには、Beyerの墓石の写真が親ナチスの声明と共に掲載されている。ほかにも80年代後期から活躍していたDesaster(ディザスター)やTha-Norr(ザノアー)、Lunar Aurora(ルナーオーロラ)などもジャーマンブラックメタルにとって重要なバンド達である。
インナーサークルのメンバーが出所し、Mayhem(メイヘム)やEmperor(エンぺラー)、Immortal(インモータル)、Satyricon(サテリコン)が復帰を果たす。彼らは同期のDimmu Borgir(ディム・ボルギル)とともに表舞台に自身の音楽を売り出していくことになる。しかし当然、彼らの行為はファンの怒りを買ったことは言うまでもない。
現在
ブラックメタルが誕生して40年経つが、その表現も多様化している。ヘヴィメタルの進化とは先人の音楽を引き継ぎ、自身の音楽へ新化させていく、天邪鬼なスタイルである。ゆえにキリスト教を賛美するブラックメタルも存在する。詳細はジャンル一覧へ。