説明
ブラウザゲーム「艦隊これくしょん」で、いわゆる「生存組」に分類される艦娘のうち、マニラ湾で終戦を迎えた軽巡洋艦娘の木曾と、駆逐艦娘の曙、沖波、初春、秋霜につけられるタグである。
2020年3月3日から開放された期間限定海域「桃の節句!沖に立つ波」バナーに上記5名が登場している。タイトル名は駆逐艦・沖波の語源と期間限定海域の時期を合わせたものか。
「生存組」である上記の5人のほか、この戦いで轟沈した那智や、天一号作戦で沈んだ朝霜、内地で終戦を迎えた潮や隼鷹なども該当しそうだが、飽くまで「マニラ湾で終戦を迎えた」という縛りもあり、現時点で本タグがつけられるべき対象は前述の5人に限られる。
史実
ここでいうマニラ湾空襲とは、レイテ沖海戦のひとつで1944年11月13~14日に発生した第二次マニラ湾空襲である(皐月が沈んだ同年9月の第一次マニラ湾空襲は別)。
この戦いにおいて、マニラ本港で待機していた球磨型5番艦木曾、初春型1番艦初春、夕雲型14番艦沖波、キャビテ軍港にて修理を待っていた吹雪型18番艦曙と同港で待機していた夕雲型18番艦秋霜は、米空母艦載機の攻撃を受け相次いで大破着底する(※)。
翌年1月10日、曙・秋霜・沖波・初春が除籍されるが、木曾のみは戦没認定が出ず、着底前と同様に軍旗の掲揚が続けられ、3月20日になってようやく木曾も除籍された。
フィリピン共和国成立後の1946年7月に米軍機により撮影されたマニラ湾の写真に、岸に近い方から沖波、初春、木曾の順で着底している様子が映し出されているものがあり、それによると、除籍3日前に乗組員により爆破処理された(はずの)沖波が最も水上からの露出度が高く、逆に初春は艦の一部分が出ているにすぎなかった。また秋霜は半ば裏返った状態、曙は初春と同様に艦の一部分が水上から出た状態で見つかっている。
秋霜と木曾、曙は1955~56年にかけて浮揚解体が行われたが、初春と沖波についてはいつ撤去されたか不明である。ただ木曾については1956年1月末頃の新聞にサルベージ作業が成功したという記事が掲載されており、初春と沖波はこの作業の妨げにならないように、いち早く撤去された可能性がある。
※・・・資料によっては沈没とされているものもあるが、マニラ湾の水深が極めて浅いことを考えると、艦の一部分でも出ている「着底」の方が正しい。
pixivでは
現時点では単独絵がメインで、集合絵としてこのタグがある作品はメイン画像も含めごく少ない。
また戦後に解体されていることが判明している木曾と曙についてはコンビタグとして「きそぼの」もある。
関連タグ
桃の節句!沖に立つ波(2020年3月ミニイベント)