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メタルユーキ

めたるゆーき

メタルユーキとは嘗てコナミに所属していた元クリエイター・音楽プロデューサー
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概要編集

メタルユーキとはコナミに在籍するクリエーターである。当初はテクモに在籍していたが、1991年からコナミに移籍。ときめきメモリアルシリーズやダンスダンスレボリューション等を手掛け、その音楽には定評があるが…。本名は斎藤幹雄である。公式イベントや制作発表会等では、「オース!メタルユーキだ」、「チャオ!」という挨拶をする。


プロフィール編集



経歴編集

テクモ時代編集

主にアーケードゲーム・家庭用ゲームのBGMを担当し、『キャプテン翼』や『ソロモンの鍵』等の作曲を手掛けた。


ときメモシリーズを影で支える編集

初代ときめきメモリアルでは音楽プロデューサーとして活躍し、それなりの定評があつた。

運命を決めたときメモ2プロデューサー抜擢編集

1997年にときめきメモリアル2が発表されるも、その後の人事トラブル、及び翌年のコナミ再編を受け、ときめきメモリアルシリーズのプロデューサーに抜擢されときメモの最高責任者となり、同時に当時のKCETの役員に抜擢される。

そして、その事がメタルのその後を決めてしまう。

栄光と転落編集

99年に難産の末ときめきメモリアル2が発売され、前作には及ばなかったもののヒット作となった。

しかし、翌年発売されたときめきメモリアル2サブストーリーズ1は、ダンスダンスレボリューションとの今で言うコラボレーションを組むも、薄っぺらい内容でメモラーからの失笑を買い、同年ときめきメモリアル3発表された事で二作目のシリーズ展開の早死にが確定してしまう。01年に発売された三作目要らん事が原因で開発期間が十分に確保出来ず(ギャルゲー&乙女ゲーは開発が難しい為、後年の衰退も道理)、不本意な出来栄えとなり大コケし、逆にときメモGSの方がヒットした為「三作目は資金集めとGSの当て馬にされた」との批判もあった。

この事でメタルユーキはKCETの役員を辞職するも、ときメモを殺す目的でゲームファンドを設定したと言うなら成功したと言わざるを得ない。(メタル自身もゲームファンドには反対の立場だったと考えられ、三作目と共に担当していたGSも、内田PD(当時・後に退社)に譲っている)

その後、2005年ときめきメモリアルONLINEを発表、翌年サービス開始となり非戦闘MMRPGとしての期待も大きかったが、高額なサービス料と、厳格且つ過剰な規制と、イベントを殆ど開催しなかった杜撰な運営で僅か1年4ヶ月でサービス終了となる。

そして現在編集

その後2009年に発売されたときめきメモリアル4も爆死。「清掃職を割当てられている」などと長年噂されていたが、2020年にコナミを定年退社した事が判明。2021年より設立された名古屋国際工科専門職大学設立スタッフの一人としてデジタルエンタテインメント学科の学科長を務めている。


その他編集

『ときメモONLINE』のアニメ版第17話にて、本人役で出演している。


ときメモ4』では、『メタル勇気』『ユーキの神様』という彼をネタにしたアイテムが登場する。


関連タグ編集

コナミ

斎藤幹雄

ときめきメモリアル

ダンスダンスレボリューション

ときめきメモリアルONLINE

ゲームファンド


増田順一初代作でBGMを担当し、その後プロデューサーに昇格という似た経歴の持ち主。


関連リンク編集

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