ヨコハマタイヤ
よこはまたいや
神奈川県平塚市に本社を置くタイヤ・ゴム製品メーカー。ヨコハマの名は創業地の横浜市に由来するが、現在は横浜市に事業拠点はない。現在使用されている企業ロゴの赤い「Y」の10本のストライプはYOKOHAMA TIREの頭文字Yと、ブランド・商品・事業部それぞれのパワーの集結・統合を意味している。
中核事業のタイヤ部門では、「ヨコハマタイヤ」、「YOKOHAMA」のブランドを使用。サブブランドとして低燃費タイヤ(ノーマルタイヤ)の「BlueEarth」や「DNA」、オフロード向けの「GEOLANDAR」、スタッドレスタイヤ(冬用タイヤ)の「iceGUARD」などのブランドを設けている。自動車好きにはモータースポーツ用ブランドのADVANが馴染みが深く、土屋圭市(現在はブリヂストンに移籍)、谷口信輝、織戸学といった公道の走り屋出身のレーシングドライバーと長く契約し、また土屋・織戸はスポーツタイヤ開発にも参画している。SUPERGT GT300クラスではシェア1位を誇り、10年に渡り初音ミクとコラボしているグッドスマイルレーシング&チーム右京もヨコハマタイヤを採用している。
1980年代はフジテレビ系『ゴールデン洋画劇場』のスポンサーになっており、そのCMにはニキ・ラウダ、ポール・フレール、ロビン・ハードらモータースポーツ界の重鎮を起用しつつ、CMソングには東芝EMIのシティポップアーティスト(寺尾聰、稲垣潤一、安部恭弘、井上鑑、鈴木雄大)の曲を採用していた。当時を知る者はシティポップというとヨコハマタイヤを思い出す者も少なくないだろう。
ゴルフ用品はPRGR(プロギア)というブランドで展開しており、ブリヂストン、ダンロップなどとともにシェアを争っている。
歴史
1917年に現在の横浜市西区平沼(横浜駅近く)で、横濱電線製造(現古河電気工業)と米BFグッドリッチとの合弁企業「横濱護謨製造」として創業。1923年の関東大震災で本社と工場が焼失し、震災後は横浜市鶴見区に移転した。1937年にタイヤのブランドをそれまで使っていた「グッドリッチ」ブランドから独自の「ヨコハマ」に切り替えた。これがヨコハマタイヤのブランドの始まりである。
本社と工場は横浜大空襲でふたたび焼失し、戦後、横浜工場を中心とする関東地方の工場機能を平塚市に移転統合、平塚製造所として稼働することとなった。高度経済成長期真っ只中の1961年に本社オフィスを東京都港区西新橋に自社ビル(浜ゴムビル)を建て、長らく本社機能を担った。
その後21世紀に入り浜ゴムビルの老朽化により、少しずつ本社機能を平塚製造所に移転統合することになり、2023年3月までに完了した。なお平塚への本社移転後、東京拠点として品川インターシティに東京事務所を設けている。
メイン画像の旧ロゴキャラクターがほとんどである。
本名は「スマイレージ」(Smileage!)。という。スマイレッジという言い方は間違いが広まったものらしく、公式が認めていない。「笑顔」と「距離」の英語をかけ合わせた造語で、元々は資本関係があるBFグッドリッチのロゴマークであった。このため米国でも戦中・戦後にかけて同じ顔が見られ、販促グッズがヴィンテージものとして扱われている。ただしグッドリッチ社の使用期間は短く、しかもトラック、バスのみが対象であった。長く使用していたのは横浜ゴムの方であり、スマイレージキャンペーンを整備工場などの契約店舗向けに実施、そのときに宣伝用の看板として全国に広まった。
横浜ゴムは1981年にBFグッドリッチの資本関係を離脱し、スマイレージも公式ロゴとしては使われなくなった。従って、この顔がある旧看板は新しくても40年以上経過したヴィンテージものである。
長年露天に晒され続けた結果、腐食によってホラー作品さながらの顔つきになった写真などがVOWやSNSなどに投稿され、注目を集めたことでpixivへの作品投稿の増加、公式ショップでもの話題へ採用されるなど思わぬ復権を果たした。
元々のキャラクターが昔のアメリカ人向けな事もあり、腐食していない状態でも日本人にはどこかしら不気味さを覚えさせるデザインである。しかしインパクトは抜群であることから横浜ゴム公式のSNSでたびたび用いられているなど、廃止後も「広報キャラ」としてヨコハマタイヤの存在感を世に示し続けている。
コメント
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ウェルロッドMkII「パンジャンドラムはヨコハマタイヤではありません」
ウェルロッドちゃんを書こう! ↓ 詳しく調べたら、英国出身で紅茶が好き。 ↓ 英国……紅茶……。 ↓ パ ン ジ ャ ン ド ラ ム どうしてこうなった……まあ、英国キチのアカネチャン思い付いてしまったので、もう書くしか無いと思った。5,938文字pixiv小説作品