ロシアンティー
ろしあんてぃー
主にロシア圏における紅茶の飲み方。例としては以下のようなものがある。
ティーカップとは別に一人分ずつ小さな器に供されたジャムをスプーンですくって直接舐めながら、軽く口に含んだ状態で紅茶を飲む。
紅茶はかなり濃い目のものをカップの半分程度にティーポットから注いだ後に、「サモワール」と呼ばれる湯沸し器から熱湯を加えて好みの濃さに調整する。
ジャムはベリー系のものが主流だがだいたい個人の好みでOKで、同時に様々な種類のジャムを用意して飲み比べながら風味の違いを楽しむのもまた一興。
薔薇の花のジャムなんていうものも香りが良く好まれている。
身体を温めるためにジャムに少量のウォッカを混ぜたりする他、ジャムではなく角砂糖や蜂蜜を用いる地方もある。
ロシアはユーラシア大陸の東西にどっしり鎮座するとおり、非常に様々な民族・文化を内包した国である。もちろん飲茶の習慣も様々で、ひとくちにロシアンティーといっても「これだ」といえるようなものは少ない。特色は紅茶そのものにあるというよりも、紅茶を飲む習慣にあまねくあると言ってもいいだろう。
日本ではジャムを直接紅茶に入れたものを『ロシアンティー』と呼称する場合もあるが
こちらはどちらかというとウクライナやポーランドにおける飲み方。
ロシアでメインではないのは、ジャムを紅茶に入れると温度が下がって身体を温められなくなるというのが一説。
とはいえ本場ロシア人の中にもこの飲み方を好む人がいないわけではないので、そんな神経質に気にすることでもないとのこと(うどんやそばの出汁が関東と関西で違うようなもん…らしい)。
…なお、近年のロシアではコーヒーの人気が高まっており、2019年には初めてコーヒーの消費量が紅茶を上回ったのだという。これにはコロナ禍の影響により、内食志向が高まった事が要因に挙げられており、日本からのインスタントコーヒー輸出先にもロシアが一位に躍り出た。
ロシアでは21世紀に入ってから「ラフ・コーヒー」という飲み方が考案されるなど、コーヒー文化が目立って浸透しつつある。伝統の紅茶文化も、インスタントを始めとしたコーヒーの手軽さの前には敵わないのかもしれない。
なお、ラフ・コーヒーとはモスクワの「コーヒービーン」という喫茶店で考案された飲み方で、どう注文しても好みのコーヒーを見出せなかった常連客ラファエル・ティメルバエフへ向けて、この店のバリスタがエスプレッソに生クリームとバニラシュガーを混ぜた甘いコーヒーを提供したのが最初である。このコーヒーは即座に大人気となり、「ラファエルのコーヒー」が次第に略されて「ラフ・コーヒー」と呼ばれるようになった。
現在ではオレンジやシナモン、ハチミツなどを入れた亜種も生まれており、ロシア圏ではかなりの人気なのだという。
ロシア人meet紅茶
さて、ロシアではコーヒーより紅茶の方が一般的に飲まれている(いた)訳だが、この紅茶はどこから来たものだろう。
答えはもちろん中国である。
1567年、中国から帰国したコサック人、イワン・ペトロフとボーナシ・ヤリシェフの二人が報告書を皇室に献上し、こうしてロシアは初めて茶というものを知った。が、この報告書に実物が添付されていなかった。その後1618年には、中国の使節団が18か月をかけて運んできた茶箱を献上し、これは初めてロシアにもたらされた茶となった。しかし、いずれの場合もロシア皇帝ならびにロシア人の興味を惹き付けるには至らず、本格的に茶に目覚めるには1689年を待たねばならない。
その1689年に、ロシアと中国(清朝)はロシア極東(中国では満州)地方での領土を大まかに定めた『ネルチンスク条約』を締結し、こうして中国からは定期的な茶(四角く固めた磚茶)の輸入が始まった。条約で定められた通商都市は現・ブリヤート共和国キャフタで、ここを満州やモンゴルから来たキャラバン隊が、茶箱をロシアの毛皮などと交換していった。しかしペテルブルグまで1年強かけて運ばれる茶はやはり高価で、価格を引き下げる対策が取られた。
(物々交換だったのは当時は現金取引が禁止されていたため)
ロシア皇室と黒い「紅茶」withレモンティー
この皇帝がロマノフ朝皇帝となったピョートル1世、ならびにエリザヴェータ・ペトロヴナで、ピョートル1世の頃に大規模かつ定期的な茶の国営輸送を確立する(1735)。こうして茶の輸入は一気に拡大し、年を追うごとに価格は下がっていった。
また、この時代にはロシアンティーを定義づけるような発展があった。
一説にはピョートル1世、別説にはエリザヴェータ時代に「サモワール(ロシア式の茶釜)」の普及が始まったと言われ、これを使えば一つの釜から、家族個人が好みの濃さで紅茶を淹れることができるという、当時としては革新的に便利な発明となった。
更に、このサモワールは火にかけて使う都合上、いつも家庭の中心に置かれ、ここで湯を沸かしている状態は「客人を迎える最高の状態」とされて、紅茶や茶菓子など等と並んで豊かさの象徴とも考えられるようになった。
(現在こそ、冬季の燃料は天然ガス供給により楽にはなったものの、それまでは春まで常にかつかつの状態でやりくりしなければならなかった事情もある)
もちろん薄める程だった紅茶はとても渋く、その頃のペテルブルグ貴族での流儀は、
・紅茶はできるだけ熱く淹れる
・黒くなるまで煮出す
・当然かなり苦いので、角砂糖を歯で咥えた隙間から茶をすする
というものだったという。これは「ヴプリクスクス」と呼ばれ、茶菓子を用意できなかったり、自分だけの時のようにもっと気安く手軽に飲む場合に採られる。しかし基本的に甘味は紅茶そのものではなく、主に茶菓子などが分担し、例えばクッキーのような焼き菓子が添えられたりした。そうでなくとも、食卓の上は茶菓子やジャムなどで埋め尽くして「これがロシア流儀なのだ」などと言ったりもする。
また、紅茶にレモンを、それも果汁ではなくレモンスライスを入れる文化は、ロシアから始まったという。ピョートル1世はヨーロッパからレモンを持ち帰り、これが始めは貴族の庭園の温室で、続いて近隣の農園という風に徐々に広まってゆき、20世紀には各家庭の畑にも植えられるほどに普及していった。
ちなみに、どうしてレモンスライスなのかというと、舗装もされていない当時の道路での馬車の旅は酔いやすく、気分が良くなるようにレモン果汁だけでなく実際のレモンも入れるようになったのだとか。現在もロシアで販売されるアールグレイは、レモンを想定した特製ブレンド「ロシアン・アールグレイ」となっている。
キャラバン隊の終焉とシベリア鉄道
こうしたキャラバン隊による大規模な紅茶輸送は、18世紀終わりごろには年150万t程に増え、値段も一層下がって、貧富の別なく普及するようになった。これは1860年頃まで続き、これより後はシベリア鉄道が引き継いだ。昔のソビエト宣伝映画でシベリア鉄道が運んでいた積荷は紅茶だったという訳である。なんと、シベリア鉄道は紅茶鉄道でもあった!
(もちろん、その頃には他の貿易品のほうが多かったかもしれないが)
また、紅茶の輸入にも海路が利用されるようになった。
トルコやイランの茶葉がオデッサ港経由でもたらされるようになり、紅茶の輸入は一挙に多様化した。となると、時間と輸送料が掛かるばかりのキャラバン隊は不便なものとなり、廃れてしまう。
ソビエト政権とロシア紅茶栽培のはじまり
もちろん時代がソビエト政権に入っても紅茶は盛んに発展し、レーニンもスターリンも好んで紅茶を嗜んでいたという。当然、軍隊でも紅茶は多く供されて、映画「レッド・オクトーバーを追え」作中でも、ラミアス艦長(ショーン・コネリー)が政治将校を殴り倒して「こぼした紅茶で足を滑らせてしまったのだ」と衛生兵に取り繕う場面がある。
様々な紅茶が輸入されていたが、価格はもちろん距離に比例するので、輸入元としてはグルジア・アゼルバイジャンが多くを占めていた。国内で本格的な紅茶の栽培が始まったのもソビエト政権時代になってだが、始まりは1901年にユダ・アントノヴィッチ・コシュマンという貿易商人だった男が、引退後にソチに近いソロフ・アウルの村でささやかな農地と小さな家を買った事に始まる。当初、他の村人は彼が一体何の試行錯誤を繰り返しているのか解らなかったが、実は環境に合わせた栽培法を模索していたのである。
10年後、苦労の末に収穫を得ることが出来、近所の住人を呼んで茶会を開いた。
『どうぞ召し上がれ。我が家の畑で採れたお茶です』
苦労をまじかに見てきたご近所さんならともかく、始めは誰も信じなかった。
冬あまりに寒くなるロシアで、まさか茶木が育つとは思えなかったからだ。これは当時の科学アカデミーでも同じ事で、当時は『グルジアよりも北で茶木が生育できるとは考えられない』と見なされていたからだった。コシュマンの残りの生涯は、こうした誤解を解くために費やされた。
しかし「どれ、ホラ吹き老人の鼻を明かしてやろうか」と実際に訪れる人が増える度に誤解は解けてゆき、70歳を過ぎた頃には博覧会で表彰されて、ようやく認められるようになった。
現在、このコシュマン農園の紅茶は、他の農園の茶とともに「クラスノダル紅茶」として知られ、最近まで最北の紅茶として知られていた(現在は記録更新)。その茶葉は手摘みで収穫され、ロシアでは「本当の通のための高級茶」として、高値で取引されている。
・参考資料
同「なぜロシア人はいつもお茶を飲むのか?:とくにレモンティーが大好き」
カフェイン大全 -コーヒー・茶・チョコレートの歴史からダイエット・ドーピング・依存症の現状まで-(八坂書房・2006)
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