概要
不幸や災難に打ちひしがれつつも、懸命に生き、時として運命と戦い、抗おうとする。
無論、その努力や願いは結ばれることも多いが、中には志半ばで力尽きて悲劇となることも少なくない。
そんな姿は二次元・三次元問わずどこででも見かけられ、尚且つ何かしらのドキュメンタリーや物語の題材にもされやすい。
誰でも一度は、そういった話や作品を見聞きしたことがあるだろう。そんな中、こう思ったりした経験はあるだろうか。
-「せめて、私(or私たち)の手で彼らを幸せにはできないか」と。
そんな思いを抱いた者の手によって、この言葉は生まれたのである。…筈。
発端
このタグの発祥であり、確認できる中でこの言葉が最初に向けられたであろう相手は、史実では「欠陥戦艦」として表舞台に上がり、やがて壮絶な最期を遂げた(戦艦以前に兵器として生まれた以上、これは十中八九仕方ないのだが)ことで有名な扶桑と山城。
『艦これ』において艦娘として再び生を受けて以来、息をするように不幸を嘆くせいで山城の不幸さ加減はより顕著になった。それが飛び火してか、ゲーム中のセリフで一切(直接的には)不幸を嘆かない扶桑共々「不幸姉妹」「不幸(型)戦艦」という呼び名まで頂戴する羽目になってしまう。
実際、二人とも運の初期値が艦娘全体でトップクラスに低く、纏う雰囲気すら幸薄さがダダ漏れなので言い得て妙だが。
余談
他に目を向けてみればもっと運が低い艦娘たちも存在する(改装されてなお運が低いままの彼女らとは違い、扶桑型姉妹は「改」になれば標準的な運の値になる)。そんな彼女らに対してこの言葉(思い)が向けられる事もあるが、やはり今なお最もこう言われる事が多いのは扶桑姉妹だと言っても過言ではないだろう。
…(運の数値はさておいて)割と目に見えてポジティブな彼女らに対して、扶桑姉妹の薄幸さは終始据え置きだし。
また、鈴谷と熊野は扶桑姉妹と運の初期値が全く同じ(改装後に標準的になるのも含めて)だが、他のキャラネタが濃いのと実装時期の関係からなのか、まず触れられることがなかったりする。
最後に
冒頭にも書いたが艦これに限らず、壮絶な人生・半生を送ってきたり、今なお様々な不幸に見舞われている人物は二次元・三次元問わず数多く存在する。
その姿を見て、或いはその話題を耳にして心を痛めた、画面の前のアナタ。
…どうか、彼ら(彼女ら)を、少しでも幸せにしてあげてください。
…え、既に悲劇で幕を閉じたから手遅れじゃないか、って?
いえいえ何をおっしゃる、二次創作という最大最強の手段があるじゃないですか!!!
最後よければすべてよし!! ですよ!!!
ただし、ことはうまく運ぶように!
関連タグ
不幸体質・貧乏くじ:対象とされるキャラクターが備える事の多い性質の代表格
成田提督:「艦これ」いつかあの海でにおける提督。指輪を付けた扶桑から「私、幸せよ」と告げられるが、同時に彼女との別離を強いられる事になった。