概要
1980年代~90年代にかけて活躍し、ロータスでチームメイトだったアイルトン・セナと共に日本でF1を根付かせたレーシングドライバー。粘り強い走り方で、古舘伊知郎に「納豆走法」と実況で言われた(ただし、中嶋本人は納豆が嫌いらしい)。
プロフィール
出身 | 愛知県岡崎市 | |
---|---|---|
性別 | 男性 | |
生年月日 | 1953年2月23日 | |
F1初参戦 | 1987年ブラジルGP | |
F1最終参戦 | 1991年オーストラリアGP | |
在籍チーム | ロータス・ティレル | |
ファステストラップ | 1回(1989年オーストラリアGP) | |
趣味 | ゴルフ・ドライブ | |
好物 | 栗きんとん、カップ焼きそば・中華料理 |
経歴
若い頃は日本国内のトップカテゴリーレースで活躍。ハチャメチャに熱い男の星野一義とは対照的にクールな中嶋という構図は、メディアにとってはライバル対決を盛り上げる格好のネタで、実際二人はライバルであった。なお二人はドライバーを引退してからも、イベントで何度も勝負をしてファンを沸かせている。
1982年に全日本F2レースで優勝した副賞としてJPSロータスのF1マシンをテストドライブしたのが、中嶋とF1とのファーストコンタクトだった。84年からホンダのF1テストドライバーに任命されて以降、ウィリアムズのマシンもドライブする機会に恵まれた。
そして1987年、日本人初のフルタイムF1参戦を名門チーム・ロータスから果たす。チームメイトは翌年、マクラーレンでタイトル初獲得をするアイルトン・セナ。この年のマシン、ロータス・99Tはマシンに搭載されたアクティブサスペンションが不調をきたし、思うようなドライブを出来なかったものの、4位一回、5位一回、6位二回と4度の入賞を達成。
88年は新たに前年度ワールドチャンピオンのネルソン・ピケをチームメイトに迎えたが、ニューマシンの100Tが性能を発揮できず、ポイント獲得は開幕戦ブラジルGPでの6位入賞1回だけに留まった。
89年は更にマシン性能が低下。ロータス・101は搭載したジャッドエンジンの低スペックぶりもあり更にモナコGPでは予選後の抜き打ち車検でリアウイングが規定をクリアできず、ノコギリでウイングを切るというチームのお粗末ぶりが足を引っ張った。元チャンピオンのピケもベルギーGPでは中嶋とそろって予選落ちを喫するなど、名門ロータスチームはすっかり凋落していく。それでも最終戦のオーストラリアGPで豪雨の中、ファステストラップを記録する意地を見せた。この年のポイント獲得は、最終戦のオーストラリアGPで4位入賞一回の3ポイント。
1990年からは、ティレルへ移籍。チームメイトは前年にデビューしたばかりのジャン・アレジ。ティレル018(開幕戦~第2戦)、独創的なデザインの019で戦い、6位入賞3回を記録。この年の日本GPで、ラルースでドライブした鈴木亜久里が3位表彰台に登り中嶋にもインタビューマイクが向けられたのだが、その際中嶋はこう語っている。
「おめでとう、俺より先に(表彰台に)行っちゃったな。でも来年は多分、俺の方が(表彰台へ登れる)可能性が上がるから、俺も頑張る。」
1991年にティレルへホンダがエンジンを供給し、新型マシン020の大幅な戦闘力向上と中嶋初の表彰台が期待されたが、V10エンジンの重さやパワーによる駆動系への大きなダメージ、更にはピレリタイヤの性能が低すぎる事に悩まされ、入賞は開幕戦アメリカGPの6位一回だけに終わる。
そして第9戦ドイツGPで現役引退を表明。なお、このレースの予選でこの年チームメイトだったステファノ・モデナに初めて勝った。最後の母国GPとなった鈴鹿では、マシントラブルによりS字コーナーでクラッシュ・リタイヤの悔しい結果に終わり、最終戦オーストラリアGPは2年前と同じ雨であったがスピンという形で終わった。
↑最後の愛機「ティレル・020」
F1デビューしたのが34歳と遅く、最後は体力的な衰えもあってF1マシンを振り回すには限界があったとされているが、彼の活躍は日本のファンを大いに沸かせた。
現役引退後…
中嶋はF1の引退とともにレーシングドライバーからも引退した。その後は自らチーム監督として「ナカジマレーシング」を率いて、スーパーフォーミュラやSuperGTに参戦する傍ら、若手育成にも力を注いでいる。国内レースで嘗てのライバルであった鈴木亜久里(ARTA)や星野一義(インパル)と、今度は自身のチームの監督という立場で対決する事になった。
家族
あけみ夫人との間に、長男の中嶋一貴と次男の中嶋大祐の2人を授かり2人ともレーシングドライバーとして活躍した。
特に長男の一貴は、2007年~2009年に父・悟がエンジンのテストドライバーを務めた縁もあるウィリアムズF1で走り、その後トヨタの耐久レースのエースドライバーとして、2018年~2020年のル・マン24時間のトヨタ3連覇達成にも貢献している。
なおホンダのイメージが強い悟だが、実は1985・1986年とトヨタからル・マンに参戦しているため、こちらも二代続けてとなった。