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解説

正式名称は「九龍寨城」。

香港の九龍地区にあった城で、この城の周辺地域は九龍城という。九龍城はもとは啓徳空港が隣接していた場所だが、狭義にはこの城に近接する下町の地域一帯を指す。

第二次世界大戦後からこの地に史上唯一とも言える「高層スラム街」が発生し、最盛期には3ヘクタールの敷地に350の雑居ビルがひしめき、5万人以上もの住民が暮らす超過密空間となった。これは畳一畳の土地に5人が暮らしていたという計算になり、世界人口が75億を越えた今日に至ってもこれを超える都市・スラムは生まれていない。

歴史

最初は港として開かれた香港を海賊から守るための拠点として作られた砦だった。

アヘン戦争、アロー戦争の条約により、1898年に清国は新界地区とランタオ島をはじめとする

香港島嶼部の200余りの島々を英国に99年間租借。しかし九龍城砦は例外として租借地から除外され、英国領香港の中にある清国の飛び地となる。後に英国軍の圧力で九龍城砦の清国の軍や管理が排除され、清国が中華民国となって以降も、事実上どこの国の法も及ばない行政権の空白地帯となる。

1941年に旧日本軍が香港を占領した際に、建設されていた城壁が近隣の拡張工事のために取り壊された。1945年に再び英国領となるが、香港自体が不安定な状況にあった。その中で多くの難民が香港に押し寄せ、主権の及ばない九龍城砦に人々の多くがなだれ込み、1949年に中華人民共和国が樹立しても、この状況は全く変わらなかった。

城壁が壊されたことで、跡地に難民によるバラック・仮設住居が無秩序に立ち始める。難民の流入は止まらず、過度の居住人口によって無計画な増築によるスラムが出来上がっていった。

やがてバラックは鉄筋コンクリートを用いた高層RC構造建築(最大15層)に建て替ってゆき、九龍城砦の内部や街路は幾重にも重なった迷路と化した。

加えて、英中両国が所有を主張しつつもその施設監督・管理が行われなかったため、海賊版の出版・販売、賭博、売買春、麻薬取引などの違法活動が常態化し、無免許医(といっても多くは中国大陸から逃げてきた医者なので素人ではない)による医院・歯科院や衛生法無視の飲食店・工場などが栄える混沌とした空間となり、「九龍城に一回入ると出てこられない」東洋の魔窟と言われるまでになった。

だが、1984年の英中共同声明により香港が中華人民共和国に返還されることが確定すると、1987年に香港政庁が九龍城砦を取り壊して住民を強制移住させ、城砦内での法律・政令の適用を発表。1993年から1994年にかけて取り壊し工事が行われ、九龍城砦は撤去された。

取り壊しのすぐ後に行われた再開発により、城砦の跡地に九龍寨城公園が造られた。そして1997年に英国から中華人民共和国に香港が返還され、九龍城の飛び地は消滅した。

現在、九龍城地域は活気のある商店街を中心に閑静な普通の住宅街となっている。九龍寨城公園は九龍城跡から出土した歴史遺産が展示される観光スポットになり、周辺住民たちの憩いの場となった。

環境

九龍城砦の住民は税金を払っていなかったが、行政サービスを全く受けていなかったということはなく、実際は香港政庁が受け持っていた。上下水道・街灯・警備・ゴミの撤去に関しては外に影響するため、香港政庁によって例外的に行われた。しかし中の住環境に干渉することはできず、混沌とした雰囲気は払拭されなかった。通路には電気・電話線やアンテナ、下水道といったライフラインが住民によって勝手に増設されていた。

建築に関する法律は最大45mの高さ制限以外一切無視され、無謀な増築が繰り返された(高さ制限が守られたのは、九龍城がこれも香港で悪名高かった啓徳空港の着陸航路下に当たっていたからで、これ以上上に伸ばすと冗談抜きでジェット機と接触しかねないからであった)。また別個に建てられた建物があとから壁を共有し接合しあうような事態も相次ぎ、最終的には九龍城砦全域が高さ45mのひとつづきの建物のようになってしまった。その様は押し固められた鉄くず塊そっくりで、香港では城砦のことを「スクラップ・メタル」と称するほどだった。

これほどまでに無計画に成長したため、域内にはエレベーターがたったの2基しかなく、日の光が一日中入らない部屋や窓のない部屋が普通だった(大きな通路沿いの部屋はわずかに日が差すため、家賃が高かったという。)。

また建物内には数多の住宅以外の施設も(これも無計画に)押し込まれていたため、あちらこちらにある工場の原料(薬剤)や排気のために空気は悪く、処理にあぶれたゴミや衛生監理のなされていない飲食店のために害虫・害獣がはびこる始末。さらに賭博場や黒社会系の事務所があることでのある種の危険さは常に拭えなかった。

極めつけに日中は建物上端すれすれをジェット機が爆音を撒き散らしながら行き交っていたこともあり、住環境は劣悪を極めた。

しかしこのような無節操な建物内でも住民自治はなされ、一定の秩序は保たれていた。住民たちは結束しており、そのコミュニティーは発達していて、幼稚園(教会併設)・学校・老人ホームも作られていた。

日本での影響

日本では1980年代にはイメージが先行して半ば伝説化した。その取り壊しは日本のメディアで多く報じられ、その際の立ち退きで最期まで内部にいたのは日本のテレビクルーだった(最後に城砦内にいた)らしい。

取り壊された後も、未だに一部にマニアはいる。いわゆるカオスな外見や、迷路のような内部は混沌の中にも不思議な魅力をも内包した、極めて異彩を放つ存在であり(近いものを挙げれば、今で言う廃墟嗜好に通じるものがあると思われる)、「一度生で見たかった」という人も多いのではないだろうか。

海外での影響

ニューロマンサーの作者であるウィリアム・ギブスンに影響を与え、著作「あいどる」には九龍城砦を模したサイバー空間が登場している。また複数の日本アニメ劇場作品(攻殻機動隊など)で類似のスラム世界が描かれていることから、海外でも日本と同様にマニアが存在する。

関連タグ

香港 中国 中華人民共和国 イギリス

九龍 九龍城

※「九龍城」は九龍地区の中の九龍城砦のあった地域名。現在は普通の下町商店街となっている。

※九龍城砦(九龍寨城)を指して「九龍城」と言われるが、間違い。

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