説明
ある人物・組織・国家の動きを封じ込めるために、周囲が連携して取り囲むことである。
この場合、主に取り囲まれる側の力が強大な場合に行われる。
お互いの歩調が合ううちはうまくいくが、お互いの利害関係が表面化しだすと、包囲される側の一点突破によって崩されることも多い。
人間同士でやると、一歩間違えれば同調圧力となってただの吊し上げになってしまうこともある。
歴史上の包囲網の例
戦国時代
- 信長包囲網:戦国時代に合計三回結成。一度目は和睦で終了。後の二回は足利義昭によって主導されるも、いずれも瓦解で終わっている。しかし、まさかの事件により包囲網が勝利した。
- 北条包囲網:第五次までは北条氏は持ちこたえたが、豊臣秀吉主導の第六次でついに北条は滅亡したことにより、包囲網の勝利となった。
- 秀吉包囲網:第一次は織田信孝により結成されるも敗北。第二次は織田信雄により結成されるも和睦(実態は降伏)した。
- 家康包囲網:豊臣秀吉が、徳川家康を押さえ込むために結成した包囲網。だが、効果は薄かった。
その他
- 合従策:春秋戦国時代の蘇秦によって唱えられ、勢力が増大する秦に対抗すべく、韓・魏・趙・燕・楚・斉による周辺六ヶ国による共同戦線を結成するというもの。しかし秦は張儀が唱えた個別に同盟を持ちかけるという連衡策でそれらを切り崩した。
- 対仏大同盟:イギリスを中心として結成された、フランス第一共和制およびナポレオン帝政の打倒を目指した同盟。しめて7度結成され、最終的にナポレオンが流刑されたため、目的は達成できた。
- ABCD包囲網:包囲網とはいっても、主導したのはアメリカ合衆国(A)とイギリス(B)のみである。中国(C)は元から交戦中だったし、オランダ(D)が動くのはだいぶ後になってからである。これは日本側からの呼び方という側面が強い。