プロフィール
経歴
アマチュア時代
石垣島出身。石垣島には高校が3校しかない中、後に大嶺祐太が通う八重山商工高校があったものの、入試に落ちたくなかったことや好選手の集結により八重山農林高校へ進学した。外野手兼2番手投手としてプレーしたが、甲子園の全国大会には縁が無かった。
高校卒業後の2008年、地元の不動産会社・ビッグ開発に入社。社会人3年目となる2010年にはJX-ENEOSの練習に参加し、のちに同社へと移籍。2011年オフのドラフト会議にて福岡ソフトバンクホークスから5位指名を受けプロ入りを果たした。
プロ入り後
プロ入り後は中継ぎ(セットアッパー)で起用。1年目の2012年にデビューを果たすと、2013年7月15日の千葉ロッテマリーンズ戦でプロ初勝利をあげた。(読売ジャイアンツへFA移籍した)森福允彦が退団した後はワンポイントリリーフとして登板する機会が目立ち、貴重な中継ぎ左腕として2017年~22年の6年連続でレギュラーシーズン50試合以上に登板した。
2023年は23試合の登板ながら左肩の痛みの影響で1勝0敗、7ホールド、防御率5・25と精彩を欠き、チームの若返りの戦略・編成の都合で同年オフに戦力構想外・退団。東京ヤクルトスワローズへ移籍した。
2024年シーズンは1軍で好投出来ず、同年現役引退。
エピソード
- 父方の兄弟が12人で、合わせて200人以上の大家族。
- 2016年11月3日、同郷の沖縄県出身の一般女性と結婚、2017年1月14日第一子となる男児が誕生した。
- 2014年には先発転向を通達されたが、本人の希望で中継ぎ固定となった。