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概要編集

1986年7月29日生まれ。愛知県出身。豊川高校、社会人野球・シダックスを経て2006年ドラフト会議にて福岡ソフトバンクホークスに4位指名され入団。


入団後しばらくは鳴かず飛ばず。それでも2010年に左のワンポイントや敗戦処理から徐々に首脳陣の信頼を勝ち取っていき、プロ初勝利をマーク。シーズン終盤にはこれまでの攝津正ブライアン・ファルケンボーグ馬原孝浩の勝利の方程式SBM甲藤啓介とともに割って入り、SBM48ちょと呼ばれるまでに成長。

2011年には完全に左のセットアッパーに定着。チームの2連覇に貢献し、日本シリーズでは第4戦に1点リードながら無死満塁のピンチを11球で切り抜け(森福の11球)、チーム7年ぶりの日本一に大きく貢献している。その後も中継ぎの一角を担い、2014年、2015年の日本一にも貢献した。


2016年オフにFA権を行使し読売ジャイアンツに移籍。ところが移籍後は絶不調と言えるほど目立った成績を残すことが出来なかった。

2019年シーズン終了後球団から戦力外通告を受けた。その後12球団合同トライアウトを受け、現役続行への道を模索。台湾球界からオファーは届いたものの、日本球界からのオファーが無かったことから現役引退を表明した。


森福の11球編集

秋の風物詩を乗り越え、ようやく出場した2011年日本シリーズ。相手は中日ドラゴンズ。投打とも充実し、交流戦も優勝したホークスは、圧勝するという予想が多数であった。ところが第1戦第2戦と自慢の強力打線が中日投手陣に封じられ、延長で馬原が打たれて2連敗スタート。福岡ドームでの第3戦に勝ち、1勝2敗で迎えた第4戦、ソフトバンクの先発はホールトン。ところが2-1と1点リードの6回、先頭の3番森野将彦がヒット、続くブランコがツーベース、和田一浩は四球で無死満塁の大ピンチを迎える。ここで秋山監督は2番手に森福を投入。野本圭の代打小池正晃を4球で三振に仕留め、続く平田良介は2球目を打って浅いレフトフライ。ランナーを釘付けにし、谷繁元信は5球目を打たせてショートゴロ。見事な火消し振りでチームの日本一に貢献した。MVPは小久保裕紀であったが、もし影のMVPを選ぶとすれば文句なしで森福である。


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