基本プロフィール
正式表記は「山﨑隆之」。名字の読みは「やまざき」ではなく、「やまさき」である。
棋歴
年度 | 主な成績 |
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1992年度 | 森信七段門下として6級で奨励会に入会。(その後、阪神・淡路大震災の影響などにより一時実家に帰される)。 |
1998年度 | 第22回三段リーグで12勝6敗2位の成績をおさめ、4月1日付で四段昇段(プロ入り)。 |
2000年度 | 第31回新人王戦決勝三番勝負で北浜健介六段を2勝1敗で破り、10代にして棋戦初優勝。 |
2002年度 | 第21回早指し新鋭戦でこちらも北浜六段を破り優勝。 |
2004年度 | 第54回NHK杯テレビ将棋トーナメント決勝で羽生善治名人を破り、全棋士参加棋戦初優勝。 |
2009年度 | 第3回大和証券杯ネット将棋・最強戦では木村一基八段を破り優勝。第57期王座戦挑戦者決定戦において中川大輔七段を破り、初タイトル挑戦を決める。羽生王座との番勝負は3連敗で敗退。羽生の王座18連覇を許す。 |
2011年度 | 第24期竜王戦ではランキング戦2組2位の成績で決勝トーナメント進出。挑戦者決定戦まで勝ち抜けるが、丸山忠久九段に敗れ、タイトル挑戦を逃す。 |
2015年度 | 第1期叡王戦(一般棋戦時代)決勝三番勝負において、郷田真隆九段を2連勝破り、優勝。 |
2017年度 | 第38回将棋日本シリーズで豊島将之JT杯を破り、優勝。同年度、第67回NHK杯テレビ将棋トーナメントにおいて稲葉陽八段を破り、2度目の優勝を果たす。 |
2019年度 | 第78期B級1組順位戦は最終成績3勝9敗となり危うく降級しかけるが、順位差により同星の谷川浩司九段と畠山鎮八段が降級しギリギリ残留を果たす。 |
2020年度 | 第79期B級1組順位戦は一転好調で最終成績9勝3敗となり、B級1組在籍13期目にしてついにA級への昇級を決めた。1998年度の順位戦初参加から23期でのA級初昇級は、順位戦がA級-C2級の5クラス制になって以降に初参加した棋士の中では最長記録となる。ちなみにそれまでの最長記録は屋敷伸之九段の22期(1989年度:C級2組~2011年度:A級昇級)だった。 |
2022年度 | 第35期竜王戦ではランキング戦1組で渡辺明名人、本戦準決勝で永瀬拓矢王座らタイトル保持者に勝利し、11年ぶりに挑戦者決定戦に進出した。三番勝負は広瀬章人八段に2連敗で敗れ、挑戦権の獲得とはならなかった。 |
2024年度 | 第95期棋聖戦挑戦者決定戦で佐藤天彦九段に勝利、藤井聡太棋聖への挑戦権を獲得した。タイトル戦出場の14年8か月のブランクは、将棋界において西村一義九段に次ぐ歴代2位の記録である。藤井棋聖との番勝負は3連敗で敗退。藤井の永世棋聖の資格獲得を許す。 |
余談
- 基本的には居飛車党で、力戦・早指し戦においてその力を発揮し、NHK杯・JT杯・大和証券杯最強戦といった早指し棋戦での優勝が多い。しかし、圧倒的な棋戦優勝数に対して、タイトル戦登場数が少ないという謎の状態が発生している(棋戦優勝を何回も果たしているため一流棋士なのは間違いない。しかし、一流棋士の証であるとされるタイトル戦への登場回数は僅か2回である)。
- ちなみに現タイトル戦の叡王戦も山崎が優勝した2年後にタイトル戦昇格を果たしている。そのため、あくまで山崎は叡王戦(一般棋戦)優勝であり、タイトル獲得経験は0のままである。不憫。
- 工夫を凝らした独創的な序盤戦術で、相掛かり先手の▲6八銀からの差し方など、「山崎流」と呼ばれる指し方がある。中終盤でも、他の棋士とは違う読み筋を披露することが多々ある。「丸太流」という独特な序盤作戦を行うことが多い佐藤康光九段の評によれば、「山崎将棋は独創と信念を感じる。彼くらい人まねをしない人も珍しい。よほど感性が豊かなのでしょう」。
- その独特の感性ゆえか、一見意味のわからないツイートでTLをざわつかせることがよくある。Abemaトーナメントのチームごとに開設したTwitterではよくツイートの最後の記名を忘れていたが...ツイートの内容が独特すぎるので何の問題もなかった。
「矢内さんを諦めます」発言
- 第64期名人戦第1局1日目において聞き手の矢内理絵子女流五段と共にテレビでの解説を担当。生放送の解説で次の一手に対する矢内の「断言してしまって大丈夫ですか?」というの振りに対して「これで当たらなかったら…矢内さんを諦めます」と、山崎が矢内に好意を寄せていると解釈されかねない発言をした。
- その後6年半が経過した第3期女流王座戦の前夜祭において、直前に結婚を発表していた矢内に対し花束を贈呈するプレゼンターを山崎が務め、壇上で「諦めます」と発言。喝采を浴びた。
- このため、ネットでは山崎が毎回タイトル戦や順位戦などで惜しい成績で敗退した際に「それでも俺は、山崎(山ちゃん)をあきらめない」と言われることが恒例である。
残念四天王
- ※橋本崇載八段、阿久津主税八段、松尾歩八段とともに「残念四天王」という愛称(?)で呼ばれることがある。
- 「残念四天王」という名称は、第77期順位戦C級1組(藤井聡太七段-都成竜馬五段戦)で橋本八段が解説として登場した際に、山崎、阿久津、松尾と自身を含む同世代四人を指して「残念四天王」と称したことからきている(ちなみに他の3人の了解を得ているかは定かではない)。
- とはいっても勘違いしてはいけないのは、4人共かなりの実績を誇っている強豪棋士であり、狭間の世代といわれた中では大健闘を続けている。しかし、A級経験者3人のA級での勝数はたったの「3」(橋本=1期・1勝、阿久津=2期・1勝、山崎=1期・1勝 計3勝33敗)。タイトル戦挑戦も山崎が経験あるだけ(しかもタイトル戦での勝利数は0)、松尾や橋本は挑戦者決定戦止まりであり、阿久津に至っては挑戦者決定戦進出すらない。一方、全員30代前半までに八段へ昇段しており、順位戦・竜王戦も上位クラスに在籍し年間を通して高い勝率を誇っていること(松尾はB級1組で頭ハネ経験あり)など、実力は確かなのだが…。原因はおもにこの世代。
- なお、4人の中でも山崎は通算勝率の高さ、棋戦優勝8回、さらにタイトル挑戦2回(王座=2009、棋聖=2024)と棋力的には1歩抜けている印象を受けるが、彼の色々なエピソードを知るとなんとなく納得できてしまう。
- なお、この世代の四天王に準ずる棋士には飯島栄治八段がいる。彼も竜王戦1組在籍5期、さらに将棋界の最難関リーグとされている王将リーグへの参加経験があるものの、順位戦では苦戦続きでB級1組に1期在籍したのみである。なお渡辺明九段は彼らより年下ではあるが、次の佐藤天彦九段らの世代と比較するとこの世代に含むことがある。