平松愛理
ひらまつえり
1964年3月8日生まれ、兵庫県神戸市須磨区出身。本名は平松絵里。
実家は病院経営をしていた。実兄も大阪で医者をしている。
1989年2月21日にシングル『青春のアルバム』、およびアルバム『TREASURE』でデビュー。
1992年、『部屋とYシャツと私』でブレイク。同年、尾崎亜美・崎谷健次郎と「HIRA^O SAKI」を結成し、シングル『My Best Friends』をリリース。
1994年、3rdアルバム以降、共に楽曲制作をしていた編曲家の清水信之と結婚。
同年、岡村孝子・沢田知可子・大江千里・島倉千代子をコーラスに迎え、チャリティーシングル『美し都〜がんばろやWe love KOBE〜』を発売。
1996年に女児を出産。
1997年、神戸復興チャリティ公演「KOBE MEETING」を2020年まで、毎年震災のあった日の前後に行うようになる。
2001年、持病の子宮内膜症の悪化により子宮を摘出。また、同年に乳癌も発見される。
2005年、子育てと仕事でのすれ違いから離婚。ただし、発展的解消の意味合いが強く、慰謝料も発生せず、娘の学校行事には父母そろって参加するなどしている。
同年、神戸大使を委嘱される。
2010年、第64回神戸新聞文化賞を受賞。
長年に渡って子宮内膜症に悩まされ続けた。激しい痛みで病院に担ぎ込まれることが屡々あったほどで、医者から子供を授かるのは無理とまで言われたが、結婚し奇跡的に懐妊した。
ただし、母子共に危険な状態での出産だったにも拘らず、平松は昔からの夢だったからと、出産後に半ばフラフラしながら子を抱いて子守歌を歌って聞かせたという。
近年意外な形で注目されることとなった。それは極度の方向音痴だということ。
そのレベルは生半可なものではなく、誇張などではなく本当にマンガのキャラ並みに道を間違える。
アウト×デラックスで検証した際は、駅から6分で行ける所属事務所に着くのに1時間半かかった。途中には事務所の前に着いたのに気づかず通り過ぎてしまうという考えられないミスもあった。