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概要編集

(1933年5月10日- 2023年3月9日)。兵庫県神戸市出身。本名林寛子


銀行員の父の家に生まれ、高校卒業後は大学進学を望むも父親の希望で大学進学を諦める。その代わりに友人が勝手に宝塚音楽学校へ願書を送付しており、父親への反発心からも宝塚への進学を決める。宝塚への入団は15歳の時に神戸本線春日野道駅で発生した電車追突事故に巻き込まれて肩の骨を骨折して入院し、その時に病院へ見舞いに来た阪急電鉄の責任者に宝塚入団を勧められたのがきっかけともされる。


1954年に『春の踊り』で初舞台を踏み、映画専科新設後は八千草薫と共に編入され、在団中に映画デビューを果たしている。

1957年に宝塚を退団し、翌1958年に歌舞伎役者の二代目中村扇雀(後に三代目中村鴈治郎を経て四代目坂田藤十郎)と結婚。1年ほど芸能活動を控え、知人の薦めで日本教育テレビ制作の単発ドラマに出演し、芸能活動を再開する。


司会仕事などでの堂々とした態度を買われ、福田赳夫らからスカウトを受け政界入りを決意。1977年の第11回参議院議員選挙に自民党公認候補として出馬して初当選を果たす。

第2次森改造内閣では建設大臣兼国土庁長官として初入閣し、中央省庁再編に備えて運輸大臣・北海道開発庁長官も兼務した。


中央省庁再編によって国土交通省が発足するとそのまま初代国土交通大臣へ就任。在任中は国内線羽田国際線成田の原則を崩す発言を匂わせて千葉県の反発を招いたこともあったが、鹿児島本線で発生した列車追突事故後に無閉塞運転(閉塞信号機が停止信号を示していても、一定条件を満たせば停止現示のままでも進んでも良い)を禁止させた他、東京外環自動車道の予定地を視察した際に建設反対の看板を持って座り込んでいた子供に「都心に用のない車は他所を走って欲しいと思う人」と問いかけて子供に素直に応じさせて反対派の保護者を慌てさせた。


2004年7月には参議院議長へ選出されたが、2007年5月に政界からの引退を表明した。


叙・桐花大綬章。女性では前身の勲一等旭日桐花大綬章を含め初の受章者である(外国人では高位王族に授与される可能性があるが、女性王族は宝冠章が授与されるため事例が無い。国内では例外なく初めて)。

また没後、没日付で従二位に叙された(女性としては一条秀子(澄心院・江戸幕府13代将軍徳川家定の継室で、篤姫の前の正室)以来173年ぶり、また明治維新以降の女性の叙位では柳原愛子大正天皇生母)の正二位に次ぐ高位に叙された)。


長男に四代目(当代)中村鴈治郎、次男に三代目中村扇雀がいる。次男は女方であることに加え、元々の容姿からも「母親似」と言われていた他、生前に扇から扇雀に対し政界入りを薦めたことがあった(結局、扇雀は断ったと言う)。


2020年に夫が他界後、晩年は食道胃接合部がんで闘病しており、2023年3月9日に都内の病院で逝去したことが13日に公表された。享年89歳。葬儀は国葬にこそならなかったものの増上寺で700人もの参列者がある規模で行われ、小泉純一郎が弔辞を読んだ。

義妹(夫の妹)の中村玉緒とは生前不仲も囁かれたが、扇の没後に玉緒は「兄を長年支えていただき感謝しております」と追悼の言葉を述べている。


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