プロフィール
経歴
父親が足利競馬場の元騎手で調教師をしていたこと、母方の伯父に当時JRA騎手であった飯塚好次(後に調教師に転向し、ライスシャワーなどを管理)がいた影響で幼い頃より馬に親しんでいたものの、競馬場が移転してからは関心が薄れ、乗馬の経験もないまま育ち、特段競馬に関係した仕事をするつもりもなかった。
しかしながら、競馬ファンである大学時代の友人の影響で本格的に競馬に関心を持つようになり、大学の休暇期間中に北海道旅行のついでに父の仕事を手伝ったことを機に「父たちと同じように競馬の世界に身を置くことも悪いことではない」と思うようになる。このことについて飯塚に自分の進路について相談した際に「競馬がやりたいなら中央(JRA)でやったほうがいいよ」と勧められたことを受けて、本格的にJRAの調教師を目指すようになる。
内定していた企業への就職を蹴って、家族の紹介で生産牧場に1年ほど勤務した後、競馬学校厩務員課程を修了。相川勝敏厩舎に厩務員として配属された後、佐藤林次郎厩舎を経て、佐藤全弘(※飯塚の義兄である大久保勝之調教師の下で11年調教助手を務めていた)厩舎にて調教助手として8年近く勤務する。
30歳になってから調教師試験を受験し、4度目の挑戦で合格。1年ほどの準備期間を経て、小西登厩舎と田中和夫厩舎の管理馬とスタッフを引き継ぐ形で開業。
開業1年目にして、ベルグチケットでフェアリーステークスを制し、JRA重賞制覇を果たすなど早くから頭角を現し、2005年にはグレイスティアラが全日本2歳優駿に勝利して交流GⅠ初制覇し、2011年にはアルフレードが朝日杯フューチュリティステークスを勝利してJRA・GⅠ初制覇を成し遂げた。
父親と伯父の影響から北関東の競馬関係者とのパイプラインが強い一方で、社台グループとも繋がりが深い厩舎の一つでもある。開業当初からは短距離~マイル路線での活躍馬やダート馬を多く輩出する一方で、フィーエルマンの菊花賞制覇を機に中長距離でも徐々に実績を重ねている。